ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

小学2年で性同一性障害と診断

2006-05-20 01:59:16 | Weblog
同性愛と性同一性障害、それは似ているようでまったく違う。

だから男性同性愛者である俺がどこまで性同一性障害のことを書けるのか分からないけれど、
同じ性的マイノリティとして、性の多様化を求めるものとして書くことにします。

兵庫の小学2年の男子小学生が性同一性障害と診断され、学校でも女児としての通学
することを地元教育委員会が受け入れたという画期的なニュースを見た。

同性愛者と性同一性障害はよく混同されますけど違います。
簡単に説明してしまいますと、同性愛は自分の体の性についても現状のまま良いと肯定していて、
愛する相手が同性です。(例 男性同性愛者なら自分自身も男でいたいし、男として男を愛します)

性同一性障害の場合は、自分の体の性に違和感を持っており、自分が思っている性と体が
一致しないでいます。殻と中身が違うわけですね。

一見しただけでは、同性愛者と変わらないように思いますが内面ではまったくの別物。
愛する相手が実際の性から見て異性か同性どちらに向かうか?それはまた別問題になるからです。
(例 体は男性であるが、中身は女性、この場合愛する相手は男性の場合が多いと思いますが、
人によっては同性(女性)を好きになる場合もあると思います)

世の中、男と女と2種選択でしか捕らえられない人には頭が混乱するでしょう。
ゲイも別にどちらかの内面が女性であるからカップルが成立している訳じゃないのです。

性というものはいかに多様なものかと改めて思ってくるでしょう~?

さて、今回の小学生は性同一性障害とみられ、生まれもった体は男ながら本当は女性であると診断され、
社会的(学校)には女性として扱われて生きていくことになった。

とはいっても小学2年での判断、10代になればまた違ってくる可能性もあるかもしれない。

男性同性愛者の場合でも女の子っぽい子がいますし、
幼いころから女の子のように振舞っていた方がしっくりして来たといいます。

そうやって10代20代と成長していくわけですが、
手術をしてまで性を変えたいと思うまでには至らない人もいるのです。

この小学生の場合、成長期に入ればホルモン治療を開始して
男性的な体の変化が出ないように抑えられていくのでしょう。

しかし性は神秘なるもの、
18歳くらいになってやっぱり自分は男のようだ!
と考え出す可能性も無いとはいえない。本当に分かりません。

でも今回のような挑戦を社会としてやってみようと思い立った兵庫県は素敵だ。
本人の気持ちの安定を考えれば、どちらが健やかに育っていけるか、
自己を作っていく重大な時期に10代の間は我慢しなさいでは済まされないことだろうと思う。

男性、女性、異性愛者か同性愛者かバイセクシャルか、そして性同一性障害者なのか、
こんなカテゴライズさえも意味をなさないほどに性は多様である、

そういうことなのだろうと思う。

こういう件をきっかけに社会でそういう意識が広がっていくなら本当にすばらしいことだと思う。

教育委員会はPTAにも報告はしていないのでクラスメイトも気がついていない人が多いだろうとのこと。

ただ、これから成長していくとホルモン治療していても徐々に察知されていくかもしれない。

今後、成長に合わせ周りの児童にうまく説明をしていけるか挑戦が続くだろう。

小学校5年になるとキャンプなどの実習で同級生とお風呂に入ることがあるらしい。
ヘテロの幻想で「俺も性同一性障害だったら女風呂に入れんのにな~」とか
馬鹿げたことを言い出すやつはいるだろうけど、
そういう学校ならクラスメイトがたしなめるでしょう。

バッシング花盛りのジェンダー教育、
このような児童の状況を想像することが出来るか?
ジェンダーフリーバッシングをする人たちは、その上での議論をすべきなのです。

毎日新聞の記事はこちら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000045-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000062-mai-soci

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