ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

郷に入っては

2006-07-30 01:57:39 | いろいろ
郷に従え。

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やっぱmixiに書いたのははずかしい。
けど、「はずかしい」と思っている自分がいることに驚いた。

恥ずかしさ、羞恥心の分析については諸説あるみたいだけど、
例えば「周囲(あるいは自分自身)の期待や予想に反する行動を取った時に、恥ずかしいと感じる」とする説がある。

「自分とはこういう人間だ」っていう「像」があって、
「恥ずかしくない言動の範囲」が人それぞれにある。

例えば電車の中でマンガを読むことを恥ずかしくないと思う人もいれば恥ずかしいと感じる人もいる。
小学生や中学生なら、本人も周りもそれを不自然とは思わない。だから恥ずかしくない。
でもバリバリのビジネスマンが電車の中でドラえもんとか読んでたらやっぱ恥ずかしい。

「え、この人がこんなことするの?!」見たいな風になると「恥ずかしい」、ですよねやっぱ。

あるいは逆に、小学生が周りに「カッコいい~」って言われると極端に恥ずかしがる。
だけど、大人になれば、「カッコいい」って言われたら「ありがとう」とか「そう?」みたく普通に受け止める人のが多くなる。
これも、小学生にとって「カッコいい自分」というのが、
「自己像の範囲外にあるものだから恥ずかしく感じる」ということで説明がつく。

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わりと自分はどんな異文化の人にも合わせてやっていける人のつもりでいた。
それはつまり、自己像の範囲が広いつもりでいたということ。

上の論に沿って言い換えると、「自分が恥ずかしいとは思わない言動の範囲が広い」。
悪く言えば厚顔・鉄面皮、良く言えば「いろんなタイプの人と行動を共にできる」。
自分の行動パターンの幅が広いということも言える。

たぶん僕が「変な人」と言われる所以もそこにある。
行動パターンが広い、「多面体」みたいな人ってつかみどころがない。
自分でも、自分自身がどういうキャラなのかよくわからない。

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だから、思いっきりノロけ風味たっぷりに書いた日記をmixiにて公開するのがむちゃくちゃ恥ずかしいかった時、
「恥ずかしい」と感じてる自分に安心した。笑
あぁ、自分にも「ここだけは譲れない」みたいなものがあるんだなぁ、って。

「恥ずかしい」と感じるということは、自己像の範囲を超えた行動であるということ。
つまり、「恥ずかしい」と感じることによって、自己像の境界線が一部定まる。
自分とはどんな人間なのか?というところに、一つの答えを見つけたことになる。だから安心した。

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うーん、長々と謎なリクツを書いちゃった。伝わるかな??

とにかく「恥ずかしい」と感じて安心したんです。><
「自分はこれこれこういう人間だ」って言える事柄を一つ発見したから。
「自分は、人前でノロけるのを恥ずかしいと感じる人間なんだ」、って。

このように、「恥ずかしい」という感情は、感情の中でも人の行動を制限する力の強い感情なのです。

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といいつつ 

案外1ヶ月もしたら最初恥ずかしかったことがなんでもなくなってるかもしれない。
そしたらびっくりだ・・けど、それが「郷に入っては郷に従え」ということでもあるのかも。

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というわけで今日は花火の日でした。
ジャニヲタの女の子たちから見ると、ジャニーズJr.と一緒にドラマとか出てる脇役の女の子は「敵」なんだそうですw

急に周囲からの視線とヒソヒソ声が増えて、何が起きたのかよく分からなかったのだけど
とりあえず隣の人の様子からしてどうやらまずい状況らしい、緊迫してるらしい、と判断。逃げたw

ほんとどこもかしこも人が溢れていて、その中を逃げるように走る夏の夜。
まるでマンガだか小説だかの一シーンみたいじゃない?
こんなハプニングも面白いよね。

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と 「はずかしい」ということすら興味深く感じて楽しんでいる今日この頃です。

うーん、変な人?