真田丸-40

2016-10-09 22:53:39 | Weblog
今回、真田信繁は、真田幸村と名前を変えた。本当を言うと。現代の世にもよく知られている呼び名は真田幸村なのだが、初めからこの呼び名だったのではないのは番組を見てきた皆様もご存知の通りだ。兄の信幸が家康から捨てるように命じられた、父の与えてくれた幸の字を信繁が受け継ぎ、九度山村の村を下に持ってきて幸村としたわけだ。

時代はさらに難しいことになってきていた。権力を握った家康は豊臣家のすることに細かく目をつけて難癖をつけるのに都合のよい欠点を探してはダメ出しをしてきたのだった。国家安康、人々の安寧を願ってのこの言葉を刻んだ鐘を朝晩突いて祈ることにしたことも、国家安康の言葉の中に家康の名前が含まれているのは家康を呪詛する意味があるのではないかといいだした。

人の好い片桐且元も神経をすり減らす日々だったに違いない。そんなこんなでついに真田幸村にも大阪に来て家康と戦うように声が掛けられたのだった。しかし、その段階では且元の頼みを幸村は断る。やめておきたかった幸村の心を揺り動かしたのはなんとキリだった。

どうも幸村を取り囲む多くの女性陣たちの中で、常に幸村に本音で語るキリと淀君の存在というのはいわば雪村の心の中に生きている、ユング心理学でいうところのアニマそのもののような気がする。