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真田丸-23

2016-06-12 18:49:23 | Weblog
別の用事もあって今日は早々と真田丸の記事を書き始めているところだ。テレビを見ていてふと思ったのは、自分の生まれ育った千葉県市川市というところは平安時代から鎌倉あたりまでは内乱も多かったのが、この戦国時代には他の地域ほどの問題はなかったような気がする、ちょうど今日は秀吉が家康に領地替えで江戸に移るように命じていたが、市川市はそのあと明治まで徳川幕府の直轄地で、多少有名なのはお寺さんと神社くらいの純農村地帯だったのだから、戦乱の真っただ中で戦に巻き込まれる地域とはまた違う歴史をたどったわけだ。有名な英雄というのがほとんど出ていない。

その点、真田丸の真田一族も含めて、日本史に登場する有力な戦国大名たちが闊歩していた地域を見直すと、古代日本以来の中心的な地域だった関西との交流の深い地域の領主たちではないか。日本史に名を遺す人々のいた土地はやっぱり、京都と行き来しやすい当時の最先端の文化に触れやすい地域だったように思う。

そういう地域だったからこそ千利休のような人物も出現したし、組対五課の課長によく似た北条の家臣の江雪斎のような人物も暗躍できたのだろう。

今日の真田丸の気になったところ、1、信繁はなぜ黄母衣を背負っているのだ?、誰か説明してほしい、黄母衣は特定の人達しか着ていなかったはずなのだが。2、連れしょんついでの密談、これもありそうななさそうな。

とにかく現代と違って戦に負ければ一族郎党全員の命にかかわる時代、上に立つ人間の資質は重要なのだ。いくら周りから上杉が手を差し出しても、伊達の死に装束のパフォーマンスがあっても、さて北条はそれにどう応答するか、続きは来週だ。