正しいボンビー、困ったボンビー

2014-11-10 20:49:01 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、さっきまで落語ばっかり聞いてて、今日はどうするのかと思ってたらあたしに番がまわってきちゃったわ。ジブリの音楽とその次は落語で、あたしはその後、いったい何を話せばいいんだか、これじゃ全然つながらないじゃないのよね、こまるわよこんなの。あの人、今日は帰ってきて部屋の鍵を開けようとしてバッグを開ければいつものところに鍵がなくて部屋のドアの前で、バッグをひっくり返して中身を廊下にぶちまけてみても出てこないし、どこにおいたんだかさっぱりわからないし、これは不動産屋さんに行って鍵を借りてくるしかないかと思いながらもう一度バッグの中身を見て、もしかしてロザリオ入れに合鍵も一緒に入れてあるかもしれないって思って確かめたらやっぱり合鍵が入っていたからやっとお部屋に入れたのよ。あんまりドジっちゃったから他のことは上の空なんだわさ、まったくもう。

しょうがないからひとつあたしが今日のうちのおばはんがどこに出かけてたかとか、ちょこっとおしゃべりしてみるわね。今日は普通の月曜日だし英神父様の講座も平常通りだからあの人、久しぶりに四谷に出かけたのね。定期も切り替え時だったから今月は吉祥寺から東中野じゃなくて、西荻から四谷の方向で定期を買ったみたい。吉祥寺は隣の駅だから現金でかってもたいしたことないし、今回はとにかくなるべくちゃんとミサや講座のほう優先みたいよ。

食料はお米5キロと3個108円のインスタントラーメンも20個あるし、小麦粉やパスタも少し残ってるから、卵、納豆、お豆腐に野菜、果物を少しずつ買ってくれば今月はなんとかなるからおなかはそれで満たせるけど、心とか魂のほうを満たすことを考えないととてもじゃないけどやっていけないんですって。こっちのほうはとりあえずミサや講座に通いやすい四谷と吉祥寺に行く交通費だけはちゃんと定期やスイカに換えて確保してたわよ。

そういえばうちのおばはんはまだいいのよね。目的や目標があってのボンビーだし、時々ピーピー文句は言うけどそれなりにやってるけどさ、おとなりのへやの男性、このあいだから、ごはんたべるのをやめてたら救急車で運ばれたって言ってたかと思うと、福祉事務所の前でもばったり出会ったし、このご時勢だから仕事がなくて福祉事務所に行ったのかしら。大家さんが下に住んでいたときは時々隣がいるかどうか様子を見てほしいって言われたけど、今は大家さんもいないし、うちのおばはんにしても両隣の人たちにしても一人暮らしだから、気をつけて様子を見ていないとどうなっちゃうんだかわからないのよね。都会のアパートの孤独死なんて困るわ。お隣さん、ちゃんと福祉事務所で相談に乗ってもらえたかしら。ボンビーも今の日本の社会状況では簡単にはいえないのよね。

それはとにかく今日の講座はあの人にとっては出かけてよかったみたいよ。はるか大昔、もう何十年も前に当時牧師の卵だったある神学生が、自分は毎日必ず、福音と詩篇を読んでのデボーションを欠かさないようにしていると言っていたことの意味が今日やっとわかったっていうのよ。プロテスタントの教会でのことだったけど、福音はわかるけど、なぜ詩篇なのかがわからないままだったのね。今日の解説ではなんとカトリック教会の祈りはほとんど詩篇なんですって、そうかそういうことだったのかって、うちのおばはん、長年の疑問がやっと解けたらしいわ。如何に不勉強な信者かがよくわかるってもんだわさ。

まあねえ、古代教会の砂漠の隠遁者とかじゃないけど、やっぱり正しいボンビーは神様だけに心を向けるためには必要なんだわさ。だけど今の日本に蔓延しているボンビーは決して正しいものじゃないと思うのよねえ。これは社会正義とかそんな問題なんじゃないのかしら、困ったボンビーなのよね。詩篇を唱えるたびに困ったボンビーの解決も祈り願わなくちゃ嘘だと思うんだわ。

あたしのはなしもなんかまとまりがよくないけどさ、今日のところは勘弁してちょうだいね。ほんじゃまたね。