風邪が治らなくて困る

2014-06-08 14:48:53 | Weblog
ここ二、三日どうもずっと調子がよくない。夏のような暑い日が続いて油断していたところに今度は梅雨入りの連日の雨と気温の低下ですっかり風邪をひいて、寝不足もいけないのかもしれないが、37度越えの微熱がとれない。実際には低体温症だから普通の方の平熱の36度台なのだが、日ごろの低体温から、体温計の読みを1度上げて読み込んでちょうどよいのだ。36度台なら37度台に換算してちょうどよくなる。

正常なら平熱になる36.5度は実際には普通の37.5度くらいの発熱中というわけだ。実際このくらいの熱になると歯が痛み出すし、体のだるさや、のどの痛みも出てくるから医者にいくところなのだが、今日は日曜日、そしてかかりつけの医院は月曜日がお休みで火曜日まではどうにもならない。このくらいなら手持ちの鎮痛解熱剤で抑えていれば、うまくいけば自然に治っていたりする、ただ気温が上がらないと治るのに時間がかかるから火曜日に治っていなければ医者行きだ。

昨日も今日も教会に行くのを休んでいて、明日もこのままだと月曜日の講座も休むしかない。今まで休んだことがなかった講座も今回はだめかもしれない。とてもよい話をうかがえるから休みたくないが、今の感じだと乗り物の中で気分が悪くなったりしかねないふらふら感が、止めておけと語っている。

夕べも眠れないまま死んだ母親のことをかんがえていて、さらに寝るのが遅くなってしまったのだ。子供の私はいまや母の死んだときの年齢よりさらに20年も多く生きていて、母より年上のおばはんになっている。それなのに心の中では相変わらず子供のときと同じ気持ちで母に対していたことに気づかされたのだ。今では母は教会で関わりあっている私より若い方たちと同世代のまだまだ若い人だったことに気がついて驚く。

母が死んだときこちらは高校生の子供だったから、母は年上だったけれど、今の時点ではこちらはおばば世代に近づき、母はまだ女ざかりの若さのままだ。今にしてようやく母が急死してしまったときの父の悲しみ、母の兄弟、妹の悲しみ、母の母、祖母のあの時の悲しみがやっと理解できるのを感じる。父母のお仲人さんもお悔やみにに来ていたっけ。

父方の遠縁のおばさんで、中山の本家の伯母と二人して縁談を持ってきて俺はだまされて結婚してしまったのだなどと父はよく子供に言っていたけれど本家の伯母と竹中さんのおばさんがいなければ私だってこの世に生まれていないのだ、文句どころか感謝すべき二人なのだが、いまやみんなこの世を去ってしまった。

父が死んだときやっと、前からうすうす知っていた中山の父の実の父のことも聞き、会ったこともなかった父の実の母の結婚した先で生まれた種違いの弟にも会った。ほとんど付き合いのない相手方だけれど、父にとっては気になっていたのだろう。父が子供のころの話を聞くと、実の親と離れて中山の本家で育って本当はとてもさびしい子供だったようだ。だからものすごいいたずらっ子、先生方を困らせる悪がきだったわけだ。だからにぎやかなことが大好きで、人の輪の中心に居たがる子供だったのだ。父の実の父親はすぐ近くにいて、父を見る機会もあったはずだけどどう考えていたのだろう。

父方、母方のさまざまなことが思い浮かんでくる。妹はこんな話、どの程度知っていたのだろう。あれももういなくなってしまったから、話し合えることもないのだが。長い独り言になってしまったからこれでやめておこう。