今日はほんとに眠かった

2014-06-02 17:58:21 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、昨日は昼間と夕方にコーヒーを飲んだもんだから夜眠れなくて、今日は朝から眠くて眠くてあくびばっかりしてたのよ。そしたらツイッターのチクタクさんに朝からお休みの挨拶なんかされて文句を言ってたけど、さっき四谷から帰ってきてもう一度ツイッターをみたら、今度はまたチクタクさんにとぼけられちゃってたわよ。うちのおばはんのほうもなんか寝ぼけてるみたい。

とにかく今日はかなり眠い一日だったんじゃないのかしら。四谷の午後の講座でも途中まではかなり、あくびをかみ殺してたのよ。途中からなんだか急に目を覚ましちゃってたけど、すっごく眠い日だったのはたしかみたいよ。

今日の講座のお話は先週のつづきで「いやし」のことだったのね。だけど今週は先週よりずっと内容が深かったの。うちのおばはんの苦手な病気の癒しの話から今日は心理的、社会的、霊的なレベルの癒しの話にまで入ってきて、そこに働く神様のみ業の働きとかそれに応えて行くこちら側の信仰とかのはなしになったの。その辺でうちのおばはん急に眠気が覚めてきちゃったんだわさ。

あの人が癒しの話なんてどうでもいいって思っていたのは癌でお父さんが入院して死ぬまでのちょうどまる1年を最初から最後までそばでずっと見てたときのことや、日経新聞のお世話になった知り合いがやっぱり癌で、あんなに勇敢にがんばって戦っていたのがだめだったのが未だに記憶から離れないのよ。だけど今日の話を聞きながらふと心に浮かんできたのはある司祭の言葉だったの。

その司祭から教わった一番大きいことは、絶対者には頭を下げるってことだったのよ。人間は神様の前では何者なのかを思い出させることばだったの。それと「いつでもはいといいなさい」とも言ってたわ。これってもしかして、ねこのA太郎の「はい」とおなじ出所じゃないのかしら。

とにかく人間は自分を超えた大きなお方の前には頭を下げることが大事なのよね。人間のすることには絶対納得できない種類のこともあるけど、その背後に働いている大きなお方には「はい」って応える姿勢を忘れちゃいけないのよね。

なんていうか、目の前に差し出されたいやなこともそれを受け入れる心に変わるとき、見える景色が一変してしまう、心理的な癒しってそんなんじゃないのかな、そのとき周囲との関係性も自然と変わってくると、そこに社会的な癒しの場面が生まれるし、その全体のプロセスから霊的な癒しに移っていくんじゃないかって気がしたらしいの。

うちのおばはんも現金なもんだから、その辺が閃いたら眠気も覚めたらしいのよ。どうも人間の心の癒しって、自分が神様の前で何者なのかを思い出して初めて可能なのかもね。

つまんないお話で長くなりすぎちゃいそうだから今日はこのへんで止めとくわね。ほんじゃまたね。


月曜日の朝はどうもいけません

2014-06-02 09:46:05 | Weblog
会社勤めを止めて久しいのに、いまだに金曜日の夜にはひとりでも盛り上がって土・日の予定を考えてうきうきし、日曜日の夜になると風船がしぼむようにわくわく感が消えていき、月曜日の朝はただただ眠気と戦い、やっとこさ一日をはじめ、月曜日の夕方あたりからやっと一週間が始まった実感が出てくる人生のサイクル、なぜかいまだに変わっていない不思議、月曜日の朝から午前中いっぱいは一週間で一番盛り下がっているのは私だけだろうか?

とはいえ、今年は月曜日の午後の講座に出席するようになったのでそれでも多少は違っている気もする。さて、今日もこれから出かける前に雑用を片付けなくては。

気分の切り替えに好きな曲をひとつ。美しい。ほかにもいろいろなバージョンはあるけれどあっさりしたこれが一番好き。

Ave Maria - Victoria