アンデルセンと宮沢賢治

2010-09-21 09:47:54 | インポート
父方が鎌倉時代から中山法華経寺にゆかりのある家だったから、小さい時から親に連れられて度々法華経寺には行っていた。母方も法華経寺の末寺だった寺の代々の檀家だから、子どもの頃、お経と言えば法華経のことだと思っていた。

また、家の近くにはカトリック市川教会の教会墓地があった。幼馴染の家に遊びに行く途中の道の傍らが墓地で、十字架の墓石は印象的だったものだ。

幼年期の環境がそんなもので、おまけに父は実の親がお寺さんだったのだそうだが、確かに世の普通のお父さん達とは一味も二味も違っていて、父自身、世間的な知識はまるでだめな人だったのだが、お金にならないことだったら人一倍よく知っていて、子どもの私にも教え込んだものだ。長女で一番上の子で、顔も親父似の、父親っ子の娘だったから、しっかりと親の影響を受けて育ったのである。

それでどうなったかというと、子どもの頃からお寺さんの姿を見ては、この人たちは一生、神さま、仏様にお仕えしている人たちだ、と思い、一種の憧れを感じて育っていくことになった。子どもの頃は父の出生の秘密など知らないから、お寺さんは一生懸命世のため、人のために修行しているのだとばかり思っていた。

そんな子ども時代に親が買い与えてくれたのが、新潮文庫版のアンデルセン童話集、全3巻と、岩波文庫の旧かなの宮沢賢治の童話、風の又三郎だった。これ、小学年生の子どもに与えるような本かと今なら思うが、ちっちゃいときから本が大好きだった子どもとしては大喜びで読めない文字もなんのその、ちゃんとストーリーくらいは読んでいたのだから我ながら呆れる。

それから、まともな子どもにも簡単に読める本で、銀河鉄道の夜、そのほか、賢治の童話を買ってもらって読んだ。しかし、賢治が法華経の熱心な信者だったとはおとなになるまで知らなかった。

賢治の童話に表わされる、自分を捨てて他者のために尽くす生き方、これは私にとっても一つの理想として心に焼き付けられている。アンデルセンの童話が教えてくれたのは、賢治とは違い、絶対者の前での人間のあり方だったといってよいと思う。賢治の姿勢は自分から動いていくが、アンデルセンの作品の登場人物は絶対者の前にはただただ受身になって、わからなくても頭を下げている。人間の思いを越えた存在があることを教えられるものだった。

そして、この二つが両方とも「信仰」というものにとっては重要なのだろう。

人間が生きていくのは現実のこの世界だから、かなり理想とはかけ離れているのも事実だ。それでも、自分に可能な何らかの形で、理想を追い求めていきたいものだ。

眠りの精

2010-09-21 03:16:07 | インポート
アンデルセンの童話に眠りの精、オーレルゲイエが出てくる。夜になると眠った子供をゆめの世界に連れていってくれるのだ。

だが、大人たちの現実にはオーレルゲイエは存在しないから、夢の国に行くためにはさまざまな就眠儀式が必要になる。

アルコールさんの助けを借りたり、音楽さんに頼んだり、手っ取り早く導眠剤さんに手伝ってもらったりして、なんとか眠りの国に渡ろうと四苦八苦。

でも眠れない時は眠れないのだよ。ましてやうかつに夜に紅茶を飲んだりしては尚更だ。

こういうときは自然に任せて眠くなるまで起きているしかない。その代わり明日の一日はアクビばかりでるんだが。

オーレルゲイエに会えなくても、夢の国に行けなくても、朝になれば新しい一日が始まるんだ。昨日とは違う一日だよ。楽しみじゃないかい。ほら、こころがワクワクしたら自然に眠くなるじゃないか。

小氷河期の到来?

2010-09-21 02:36:19 | インポート
だいぶ前に京都の知り合いから、専門家に言わせると今や小氷河期がいつきてもおかしくないという説もあると聞いて、それでは温暖化はどうなるのだと思ったのだが、どうも現実は温暖化より小氷河期のほうが可能性が高いらしい。

いくら平均寿命が伸びたとはいっても、大自然の変化は人一人の一生よりも遥かに長い時間で動いているものだから、ちょっと見ではわからないのだ。

そして先日は電車の車内広告に、朝日新聞の科学記事から、まもなく太陽が冬眠に入るとかいう話しがでていて、流石にオヤッと思わされたのだった。太陽が冬眠とはなんだ、どういうことだ、と言うわけで検索してみると太陽の黒点の活動が鈍ってきているのだそうだ。

詳しくは知らないがこれが知り合いの言う小氷河期に繋がる原因になるらしい。これが本当だとすると相当大変なことになるはずだ。猛暑の夏でも人が簡単にばたばた倒れ、命を失うことがわかった上、作物の成長にもどんな障害がでるかがわかった。しかし、小氷河期となると、これはもう確実に農作物の不作、へたをすれば飢饉、それも世界的な広範囲のそれが起こりかねない話になる。

日本史に飢饉の記録はいくらでもあるし、世界史をみれば民族の大移動や戦争を引き起こし、人類史で見れば飢饉と疫病はたちまち人口減少をもたらしてきたことを思い出させられる。

その時、どの地域が一番酷い被害をうけるかはわからないが、確かなのは貧しい人たち、弱い立場の人たちにまずしわ寄せがいくだろう。

今の段階であれこれ心配しても仕方がないのだが、今日は昨日の続きで、明日も今日の続き、とばかりは限らないことを心に留めておきたいものだ。