父方が鎌倉時代から中山法華経寺にゆかりのある家だったから、小さい時から親に連れられて度々法華経寺には行っていた。母方も法華経寺の末寺だった寺の代々の檀家だから、子どもの頃、お経と言えば法華経のことだと思っていた。
また、家の近くにはカトリック市川教会の教会墓地があった。幼馴染の家に遊びに行く途中の道の傍らが墓地で、十字架の墓石は印象的だったものだ。
幼年期の環境がそんなもので、おまけに父は実の親がお寺さんだったのだそうだが、確かに世の普通のお父さん達とは一味も二味も違っていて、父自身、世間的な知識はまるでだめな人だったのだが、お金にならないことだったら人一倍よく知っていて、子どもの私にも教え込んだものだ。長女で一番上の子で、顔も親父似の、父親っ子の娘だったから、しっかりと親の影響を受けて育ったのである。
それでどうなったかというと、子どもの頃からお寺さんの姿を見ては、この人たちは一生、神さま、仏様にお仕えしている人たちだ、と思い、一種の憧れを感じて育っていくことになった。子どもの頃は父の出生の秘密など知らないから、お寺さんは一生懸命世のため、人のために修行しているのだとばかり思っていた。
そんな子ども時代に親が買い与えてくれたのが、新潮文庫版のアンデルセン童話集、全3巻と、岩波文庫の旧かなの宮沢賢治の童話、風の又三郎だった。これ、小学年生の子どもに与えるような本かと今なら思うが、ちっちゃいときから本が大好きだった子どもとしては大喜びで読めない文字もなんのその、ちゃんとストーリーくらいは読んでいたのだから我ながら呆れる。
それから、まともな子どもにも簡単に読める本で、銀河鉄道の夜、そのほか、賢治の童話を買ってもらって読んだ。しかし、賢治が法華経の熱心な信者だったとはおとなになるまで知らなかった。
賢治の童話に表わされる、自分を捨てて他者のために尽くす生き方、これは私にとっても一つの理想として心に焼き付けられている。アンデルセンの童話が教えてくれたのは、賢治とは違い、絶対者の前での人間のあり方だったといってよいと思う。賢治の姿勢は自分から動いていくが、アンデルセンの作品の登場人物は絶対者の前にはただただ受身になって、わからなくても頭を下げている。人間の思いを越えた存在があることを教えられるものだった。
そして、この二つが両方とも「信仰」というものにとっては重要なのだろう。
人間が生きていくのは現実のこの世界だから、かなり理想とはかけ離れているのも事実だ。それでも、自分に可能な何らかの形で、理想を追い求めていきたいものだ。
また、家の近くにはカトリック市川教会の教会墓地があった。幼馴染の家に遊びに行く途中の道の傍らが墓地で、十字架の墓石は印象的だったものだ。
幼年期の環境がそんなもので、おまけに父は実の親がお寺さんだったのだそうだが、確かに世の普通のお父さん達とは一味も二味も違っていて、父自身、世間的な知識はまるでだめな人だったのだが、お金にならないことだったら人一倍よく知っていて、子どもの私にも教え込んだものだ。長女で一番上の子で、顔も親父似の、父親っ子の娘だったから、しっかりと親の影響を受けて育ったのである。
それでどうなったかというと、子どもの頃からお寺さんの姿を見ては、この人たちは一生、神さま、仏様にお仕えしている人たちだ、と思い、一種の憧れを感じて育っていくことになった。子どもの頃は父の出生の秘密など知らないから、お寺さんは一生懸命世のため、人のために修行しているのだとばかり思っていた。
そんな子ども時代に親が買い与えてくれたのが、新潮文庫版のアンデルセン童話集、全3巻と、岩波文庫の旧かなの宮沢賢治の童話、風の又三郎だった。これ、小学年生の子どもに与えるような本かと今なら思うが、ちっちゃいときから本が大好きだった子どもとしては大喜びで読めない文字もなんのその、ちゃんとストーリーくらいは読んでいたのだから我ながら呆れる。
それから、まともな子どもにも簡単に読める本で、銀河鉄道の夜、そのほか、賢治の童話を買ってもらって読んだ。しかし、賢治が法華経の熱心な信者だったとはおとなになるまで知らなかった。
賢治の童話に表わされる、自分を捨てて他者のために尽くす生き方、これは私にとっても一つの理想として心に焼き付けられている。アンデルセンの童話が教えてくれたのは、賢治とは違い、絶対者の前での人間のあり方だったといってよいと思う。賢治の姿勢は自分から動いていくが、アンデルセンの作品の登場人物は絶対者の前にはただただ受身になって、わからなくても頭を下げている。人間の思いを越えた存在があることを教えられるものだった。
そして、この二つが両方とも「信仰」というものにとっては重要なのだろう。
人間が生きていくのは現実のこの世界だから、かなり理想とはかけ離れているのも事実だ。それでも、自分に可能な何らかの形で、理想を追い求めていきたいものだ。