2018年1月8日(月)、北上市の映画館に行った帰りに、北上市立博物館(北上市立花14地割59番地)
に立ち寄りました。この博物館には、2016年9月22日(木)に「リニューアル・オープン」した後、一
度行っているので、余り気乗りしませんでしたが、妻が「収蔵資料展:民具蒐集家・丹治敬子さんから
の贈り物」という企画展みたいなものがあるというので、立ち寄った次第。彼女が収集した逸品とその
彩色スケッチなどが展示されていました。民具や骨董への愛にあふれた作品(絵)は、昔の生活を懐かし
く思い出させてくれました。
(上)天秤秤と錘:私が子供の頃(70年ほど前)は、供出する米などをこれ以上巨大な秤で量っていま
した。(大人の男が4~5人がかりでした。)一升升(マス)は日常の計測器で、配給の米などもマスで
量っていました。(振動を与えると余計に入るので、売る側は名人芸でした。)算盤(そろばん)は、
5つ玉のものが使われていて、親たちは4つ玉のものより使いやすいようでした。)
(上)下駄は日常の履物で、よそ行きには必ず履きました。(桐材のものは高価なので焼杉の材で作ら
れたものが多用されました。)草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)も現役で活躍していました。
(上)私が中学生の昭和29年頃、学校の暖房は石炭ストーブが主でした。当番に当たっている日は、石
炭置き場から、薄い鉄板製のバケツで運んだものでした。(授業中は先生がときどき燃えカス落しをし
てくれました。)左側の容器は、燃えカスなどを入れる消壺で、火気には気をつけたものです。
(上)手動の消火用ポンプ(と思われますが、どれほどの威力があったのでしょうか?)
(上)左側の女の子は、藁で編んだ雪靴(深靴)を履いていますが、農村では昭和30年代ごろまで良く
使われていました(福島県郡山近郊の農村)。雪が溶けると足が濡れるのが欠点でした。(私は母のゴム
長靴を専用していたので、ほとんど履いた記憶がありません。)
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