2013年9月3日(火)、一関市立渋民公民館(伊藤朋広・館長)主催の室蓬カレッジ「文学講座~向田邦子・珠玉のエッセイを読む」(全5回)の第1回目が、一関市大東町渋民集会センターで(9:30~11:30時)開催されたので行ってきました。講師は昨年に引き続き内田正好氏(一関市教育委員)で、「向田邦子のプロフィール」という演題でした。
この講座が始まるまで少し時間があったので、隣接する花畑(花壇)に植栽されている植物を観てきました。梅干しの色づけに使うアカジソ(赤紫蘇)が沢山植栽されていて、ピンク色の小さな花を沢山咲かせていました。
まだ51歳だった作家・脚本家の向田(むこうだ)邦子さんが、昭和56年(1981年)8月22日、台湾旅行中に航空機事故で死去してから32年。今年は「33回忌」にあたることから、出版界やマスコミで関連出版やリメークが続いているという。
(下)講師の内田正好氏(一関市教育委員)。この日は、「向田邦子・年譜」や比較的新しい新聞記事などをコピーした資料(B4判9ページ)が配られて、年譜の説明や新聞記事、向田和子(妹)さんの「手袋をさがす」、久世光彦(くぜてるひこ:演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー)氏の「遅刻」などのエッセイが朗読されました。
私は、難聴で補聴器を付けなければ妻との会話もままならない状態なのですが、良く聞き取れる素晴らしい朗読で感銘しました。次回は「父の詫び状」「眠る盃」「男どき女どき」などを朗読するということですが、大いに期待しています。
向田邦子(むこうだ くにこ)年譜
1929(昭和4)年 0歳。11月28日 父・向田敏雄、母・せい の長女として東京市世田谷区若林86番地に誕生。
1930(昭和5)年 1歳。4月、栃木県宇都宮市二条町へ転居。
1934(昭和9)年 5歳。4月、宇都宮市西大寛町へ転居。
1936(昭和11)年 7歳。4月、宇都宮市西原尋常小学校に入学(1年の1学期のみ)。7月22日、東京市目黒区中目黒3丁目へ転居。9月、東京市目黒区油面尋常小学校に転校(1年の2学期から)。11月、肺門淋巴腺炎発病(完治まで約1年。翌年夏休みには東京・奥多摩の小河内村等で療養)。
1937(昭和12)年 8歳。3月、9月、東京市目黒区中目黒4丁目へ転居。
1939(昭和14)年 10歳。1月、父の転勤に伴い、鹿児島県鹿児島市平之町へ転居。鹿児島市立山下尋常小学校に転校。
1941(昭和16)年 12歳。4月、香川県高松市寿町1番地へ転居。高松市立四番丁国民学校に転校。
1942(昭和17)年 13歳。3月、高松市立四番町国民学校卒業。4月、香川県立高松高等女学校入学。(1年の1学期のみ)。一家は東京市目黒区中目黒4丁目へ転居。(本人は高松市内で下宿生活)。7月、本人も東京市目黒区中目黒4丁目へ転居し、9月、東京市立目黒高等女学校に編入学。
1943(昭和18)年 14歳。9月、目黒区下目黒4丁目へ転居。
1946(昭和21)年 17歳。6月24日、一家は仙台へ転居。(宮城県仙台市国分町。半年後に琵琶首。本人は弟・保雄と2人で母方の祖父宅に寄宿。(東京都港区麻布市兵衛町)。
1947(昭和22)年 18歳。3月、東京都立目黒高等女学校(現都立目黒高校)卒業。4月、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国語科に入学。
1950(昭和25)年 21歳。3月、実践女子専門学校卒業。4月、東京・四谷の財政文化社に入社。社長秘書のかたわら、東京セクレタリ・カレッヂ英語科夜間部に学ぶ。5月、一家は東京都杉並区久我山3丁目へ転居。(本人も同居)。
1952(昭和27)年 23歳。5月21日、雄鶏社に入社、「映画ストーリー」編集部に配属。
1958(昭和33)年 29歳。10月、初のテレビ台本「ダイヤル110番」(日本テレビ)を共同執筆。第55話「火を貸した男」、第59話「声」。
1959(昭和34)年30歳。6月、「ダイヤル110番」第93話「赤い爪」の脚本を執筆。(単独第1作)。
1960(昭和35)年31歳。5月、女性のフリーライター事務所「ガリーナクラブ」に参加。「週刊平凡」、「週刊コウロン」等に執筆。12月24日、雄鶏社を退社。
1961(昭和36)年 32歳。4月、「新婦人」に初めて向田邦子の名前で執筆。「映画と生活」等。
1962(昭和37)年 33歳。2月、父の退職により、社宅生活終わる。東京都杉並区本天沼3丁目へ転居。3月、「森繁の重役読本」(東京放送、文化放送他)開始(1969年12月まで。7年間で2448回の台本を執筆)。
1964(昭和39)年 35歳。2月、「七人の孫」(TBS)脚本執筆(原作・源氏鶏太)、人気シナリオライターに。10月10日、東京都港区霞町(現・西麻布3丁目)のアパートで独立生活を始める。
1965(昭和40)年 36歳。6月、「七人の孫」(TBS)の脚本8回分執筆(翌年2月まで)。
1968(昭和43)年 39歳。5月、「色はにおえど」(TBS)第22回。8月、初の海外旅行(タイ、カンボジア)。
1969(昭和44)年) 40歳。1月、「きんきらきん」(TBS)第3、7回。2月21日、父・向田敏雄、心不全で急死(享年64歳)。
1970(昭和45)年 41歳。8月、「北条政子」(NET)(原作・永井路子、10月まで)。11月、「だいこんの花」(NET)第3、4、7,8、9回。12月、東京都港区南青山5丁目のマンションへ転居。
1971(昭和46)年 42歳。8月、「時間ですよ」(TBS・翌々年8月まで、10回分)。12月~翌年1月、28日間の世界一周旅行。
1972(昭和47)年 43歳。1月、「だいこんの花」パート2(NET・6月まで、12回分)。11月、「だいこんの花」パート3(NET・翌年5月まで、26回分)。16日間のケニア旅行。
1973(昭和48)年 44歳。9月、「じゃがいも」(NET)。
1974(昭和49)年 45歳。1月、「寺内貫太郎一家」(TBS・39回連続)。9月、「だいこんの花」パート4(NET・翌年4月まで、13回分)。10月、「時間ですよ・昭和元年」(TBS)
1975(昭和50)年 46歳。4月、小説「寺内貫太郎一家」刊行(サンケイ出版)。「寺内貫太郎一家」パート2(TBS・翌年8月まで、30回分)。10月、乳癌発病、手術(入院3週間)。
1976(昭和51)年 47歳。1月、前年の手術時の輸血が原因で血清肝炎、つづいて右手が利かない病気を併発。2月、「銀座百点」に「父の詫び状」連載開始。(53年6月まで)。5月、「七色とんがらし」(NET・10月まで)。
1977(昭和52)年 48歳。1月、「冬の運動会」(TBS・10回連載) 6月、「だいこんの花」パート5(テレビ朝日・11月まで、26回分)。
1978(昭和53)年 49歳。5月11日、東京・赤坂に「ままや」開店。7月、「家族熱」(TBS・14回連続) 11月、初のエッセイ集「父の詫び状」刊行。(文芸春秋)。
1979(昭和54)年 50歳。1月、「阿修羅のごとく」パート1(NHK・3回連続) 2月、鹿児島旅行。5月、「週刊文春」(5月24日号)に「無名仮名人名簿」連載開始。9月、ケニア旅行。10月、エッセイ集「眠る盃」刊行(講談社)。 1980(昭和55)年 51歳。1月、「源氏物語」(TBS)放送。「阿修羅のごとく」パート2(NHK・4回連続)。2月、「小説新潮」(2月号)に連作短編小説「思い出トランプ」連載開始。北アフリカ旅行(マグレブ3国)。3月、モロッコ旅行、「あ・うん」(NHK)放送。5月、「週刊文春」に「霊長類ヒト科動物図鑑」連載開始。5月30日、NHK「阿修羅のごとく」、「あ・うん」、TBS「源氏物語」などの創作て活動に対してギャラクシー選奨受賞。 7月、「幸福」(TBS・13回連続)。7月17日、「思い出トランプ」の中の「花の名前」、「かわうそ」、「犬小屋」で第83回直木賞受賞。8月、エセイ集「無名仮名人名簿」刊行(文芸春秋)。12月、「思い出トランプ」刊行(新潮社)。12月31日、NHK「紅白歌合戦」審査員を務める。 1981(昭和56)年 52歳。1月、「蛇蝎のごとく」(NHK・3回連続)。2月、3月「隣りの女」ニューヨーク・ロケハンに同行。5月、「隣りの女」(TBS)、「続あ・うん」(NHK)。ベルギー旅行。長編小説「あ・うん」刊行(文芸春秋)。6月、ブラジル・アマゾン旅行。7月、「週刊文春」(6月4日号)に「女の人差し指」連載開始。「小説新潮」(7月号)に連作短編小説「男どき女どき」連載開始。8月22日、台湾旅行中に航空機事故で死去。 シソ(紫蘇) シソ科 シソ属 Perilla frutescens var.crispa(acuta) 別名:ノラエ、イヌエ、チソ。原産地はインド、ミャンマー(ビルマ)、中国、ヒマラヤと考えられている1年草。短日植物で、秋にタネが採れる。畑で栽培するが、雑草化したものも多い。春(4~5月)に種子を播くと、夏には50~100㎝ほどに育つ。茎は断面が長方形で少し毛があるが、毛のないものも見られる。葉は対生し、卵円形で先が尖り、縁は深い鋸歯状となり、長い葉柄がある。摘むと特有の香りがある。 穂状につく花は小さく、白または淡紫色。開花期:7~9月。葉が紫色で花が淡紫色のものがアカジソ(赤紫蘇)、特に葉が大形で皺が多く、紫色が濃いものをチリメンジソ(縮緬紫蘇)と呼び、どちらも梅漬(梅干しの着色に欠かせない)に使われる。葉が緑色で白花の品種がアオジソ(青紫蘇)で、薬味に使う。。葉は生食や天ぷらに、芽生えたばかりの子葉は芽ジソ、花は穂ジソとして、混ぜご飯などに利用される。 栽培のポイント:タネの寿命が短く、乾燥させると1年で発芽しなくなる。こぼれダネでも殖えるが、近縁種と交雑しやすいので、市販のタネを求めたほうが良い。タネは2日ほど水に浸けてから播く。40日ほど育苗してから、若葉を順次、収穫する。[主婦の友社発行「ハーブ図鑑200」&山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]