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peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

奥州市水沢区福原「寿庵廟」&サツキ(皐月)2020年6月30日(火)

2020年07月03日 | 史跡、名所、

2020年6月30日(火)、奥州市水沢区福原の「寿庵廟」に行ってきました。100mほど離れた所にある無料駐車場に車を駐めて、「後藤寿庵廟」に向かいます。

福原寿庵廟:「寿庵廟」は、福原農村公園として整備されて、伊達政宗の家臣であった後藤寿庵の館の跡に建てられています。

 カトリック信者であった寿庵は、長崎で、西洋文化や土木技術を学んだ(この時「五島」と名乗ったそうです)といわれており、後、水不足に悩むこの地に私財を投じ堰を作ったそうです。

そのため、カトリックの信者たちだけでなく、多くの人たちに影響を与え、今も尊敬されています。

 1924(大正13)年には、治水の功により寿庵に従五位が贈られ、1931(昭和6)年には、寿庵廟堂が建てられたそうです。[下記Webサイトより]

https://www.pauline.or.jp/kirishitanland/20130904_juanbyu.php[Laudate:キリシタンゆかりの地をたずねて]

(上と下)入口付近に立派なトイレ(「後藤寿庵廟さわやかトイレ」)があります。

(上)説明版が大きな木の陰になって見えなくなっていました。そんなに古い物には見えませんでしたが…

 

 


一関市大東町「山吹城跡」(その1)&ヤマガシュウ(山何首烏)2019年10月30日(水)

2019年11月01日 | 史跡、名所、

2019年10月30日(水)、妻が「大東町大原の体育館の所にある伊達吉村公の石碑などが見たい。」というので、マイカーを運転して、大原まで行ってきました。折角の機会なので、前にも行ったことがある山吹城跡にも行ってみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/伊達吉村

 

(下)山吹城本丸跡へ続いている道の傍にヤマガシュウ(山何首烏)が、果実を沢山つけていました。

[山と渓谷社発行「山渓カラー名鑑・日本の樹木」より]

https://blog.goo.ne.jp/pea2005/s/ヤマガシュウ

http://plants.minibird.jp/kansai/kansai50/kansai_ya/con_ya/yamaKashuu/yamaKashuu.html

[ヤマカシュウ(ヤマガシュウ)-関西の花・初夏の花・兵庫県]

http://kanon1001.web.fc2.com/foto_sinrin/K_yuri/yama_gasyu/yama_gasyu.htm[ユリ科シオデ属ヤマガシュウ(サイカチバラ)、学名:Smilax sicboldii]


一関市東山町の搔引城(駆引城)跡を訪ねる 2019年10月18日(金)

2019年10月22日 | 史跡、名所、

2019年10月18日(金)、妻が、一関市東山町長坂字南山谷にある掻引城(駆引城)跡を写真に撮りたいと言うので、マイカーを運転して行って来ました。この城跡は、東山町が毎年実施している「唐梅館城まつり」の唐梅館城の出城と思われる施設で、創建者は唐梅館と同じ千葉左衛門尉頼胤とされています。

(上と下)東山町長坂字町の三菱マテリアル(株)岩手工場や松川石灰工場の石灰石鉱山が見えます。

 

この道は、旧県道19号線(旧今泉街道)から分岐している道で、特養老人ホーム・やすらぎ荘の所で県道237号線(一関市役所東山支所前を通り、東山町田河津字高金方面へ続いています)に合流しています。城跡の場所がはっきりわからないので、やすらぎ荘の入口の所にあるゴミ小屋の前に車を駐めて、城跡を探しました。

(上)県道237号線に合流している東山町長坂字南山谷地区

(上)県道237号線から分岐している市道を100mほど入って行くと城跡がありました。

(上と下)一関市営住宅が30軒ほど建っていました。

(上)正面の遠くに見えるのが、東山中学校。

(上)市営住宅の間にある細道から城跡と思われるものが見つかりました。

(上)東南側の腰部(2段)

(上)南側に設けられている階段を登ったら”ここは「山谷(やまや)ふれあい緑地公園」ですの表示板が建っていました。

 ここにも「掻引城(駆引城)」の案内板が欲しいと思いました。

(上と下)頂上に登ると平地になっており、ベンチが置かれ、古碑が建っていました。

(上)主郭南側には空堀が配されず、自然の谷を生かした切岸となっていました。現在は宅地となっていました。

(上)城跡の北側部分。現在は道路となっていました。近くには市営住宅、遠くには東山中学校も見えます。

(上)北西側には民家が沢山建っていました。(下)西側にも民家が見えました。

(下)南側に見えるのは、少し高台にある特養老人ホーム・やすらぎ荘。右の道は「長平」地区に通じている。

(下)主郭は、標高78mの丘陵に位置する。東西37m、南北45mの方形状の主郭をもつ単郭の城館で、主郭の北西から西側にかけて空堀が配されており、そのまま南側の谷へと続いている。東側遠く見えるのは、松川石灰鉱業所。

(下)遠くに見えるのは、県道49号線(今泉街道)。真下に見えるのは西本町地区。

(上と下)東山野球場も見えました。遠く鉄塔が見える所が唐梅館方面。

(下)真下に見えるのは、立派なトイレでしたが、鍵が掛かっていました。

(上)城跡の北側にある登り坂。「掻引城(駆引城)」の標柱が建っていました。中世・城館跡、南北34間、東西36間、御城主葛西御家臣千葉刑部小輔様の由申伝候 [安永4年(1775)長坂村風土記]

 

(上)主郭北側の空掘跡。(下)主郭北側は現在道路になっています。(この先は北山谷集落に通じている)

 

(上)唐梅館城主郭からの郭引城(駆引城)跡遠望。(直ぐ下が市営住宅。右側下は東山中学校、上は特養老人ホーム・やすらぎ荘)

http://joukan.sakura.ne.jp/joukan/iwate/kakehiki/kakehiki.html [掻引城]


奥州市「館山史跡公園」のサクラ(桜)の実 2014年5月27日(日)

2018年06月01日 | 史跡、名所、

2018年5月27日(日)、えさし郷土文化館の「平成30年度・館長ツキイチ講座’安倍氏・清原氏・奥州藤原氏を考える」(第2回)を受講する為に奥州市江刺岩谷堂に出かけました。

 この日は、妻が是非訪ねたいという多聞寺を1番先に訪ねました。妻が知人に聞いていた「明治記念館の裏側」という所在地を目指します。妻が明治記念館に立ち寄って場所を聴いてくることになりました。

 直ぐに戻ると思って車で待っていたのですが、中々戻って来ないので訝しく思っていたのですが、結局「明治記念館」を見学することになりました。その上、管理人の勧めるままに、私は急勾配の階段を上って4階まで登ってしまいました。管理人の言う通り、四方の眺めは中々良かったです。

次に「岩谷堂山・多聞寺」を訪ねました。

その後、「館山史跡公園」のトイレ兼休憩所の大駐車場に車を駐め、久しぶりに散策しました。下から眺めると空中に架かっているかのように見える「夢乃橋」にも行ってみました。下界の眺めが素晴らしかったです。  

(上)この坂を登って行くと「本丸跡、二清院」に行けますが、この日は桜の木が沢山植栽されている方に降りて行きました。すっかり青葉になったサクラ(桜)の木が、赤く色づいた小さな果実を沢山付けていました。

 (上)この階段を登りきった所の平地に館山八幡神社イチョウ(公孫樹/銀杏)の古木、二清院などがありました。

(上)延慶4年(1311)の古碑

二清院:館山公園内に建立された優美な八角堂で、奥州藤原氏の初代清衡公と、その父経清公の木像が安置されているそうです。

 

 


奥州市江刺の明治記念館 2018年5月27日(日)

2018年05月30日 | 史跡、名所、

2018年5月27日(日)、えさし郷土文化館の「平成30年度・館長ツキイチ講座’安倍氏・清原氏・奥州藤原氏を考える」(第2回)を受講する為に奥州市江刺岩谷堂に出かけました。

 この日は、妻が是非訪ねたいという多聞寺を1番先に訪ねることになりました。妻が知人に聞いていた「明治記念館の裏側」という所在地を目指します。妻が明治記念館に立ち寄って場所を聴いてくることになりました。

 直ぐに戻ると思って車で待っていたのですが、中々戻って来ないので訝しく思っていたのですが、結局「明治記念館」を見学することになりました。その上、管理人の勧めるままに、私は急勾配の階段を上って4階まで登ってしまいました。管理人の言う通り、四方の眺めは中々良かったです。

(下3つ)明治記念館の傍を流れている人首川(ひとかべがわ)と人首大橋、中の橋など

(上と下3つ)自動車の駐車場が見つからなかったので、入口付近の道路に駐めましたが、坂を登った岩谷堂幼稚園の傍にありました。

(下)「とんがり帽子」の歌碑:菊田一夫・作詞、古関祐司・作曲

 

(下)岩谷堂共立病院時代の医療器具など:薬草を粉にする機器・薬研(やげん)