人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

今日は何の記念日? セガン話

2021-02-28 08:03:31 | 日記

快晴 寒い朝

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たこ焼きへの欲望は寒さに敗北した。結局は、まったくせず。こんな案配だから、みっともなく腹がつきだしている。節制することは悪いことではない。いや、ぼくにとっては善良なる行いだ。

まさむね嬢はジジの椅子を乗っ取り、ひなたぼっこ。はーるのうららのジジの椅子♪

 

2月28日という日は、脳梗塞に倒れ入院した日。退職間際であったことは不幸中の幸い。弘美君始め家族のみんなにおんぶの人生が開始された記念日。「自分で出来ることを探す」のが、ぼく自身に課したリハビリ。次いだ生に走ってしまうのが悔しい。

 

【セガン】

終生治癒しない病や症状を持ち、扶養する身内を持たない人たちのために、フランス国(王政、帝政、共和政)は、公共の福祉・医療機関を創設している(前身はキリスト教修道院など)。
 そのうちの一つ、パリの男子不治者救済院で、エデゥアール・セガンは、1842年度「白痴の教師」という身分で働いた。
 セガンは、1842年のそこでの報告書で、知的障害を持つ子どもたちの発達にかかわる「到達」を種々述べているが、次の文言は、私をセガン実践の現代への提言として読み取らせた。 
 彼が綴った執務記録のあるページに、次の文言がある。
「生徒は彼らの進歩を互いに生み出し合っているのです。」
 つまり、セガンは個別教育による個別の成長という成果を誇っているのではなく、知的障害を持つ子どもたちがそれぞれに影響しあい、学びあっている、という実相を誕生させている(というより、セガンはそのことを明確に意識した教育をしていた、ということになる)。8歳から20歳までの10数人の子ども集団。「できる者がまだできていない者の支援・援助をするのです。」
 この時代、イギリスを中心に広がった初等教育における「相互教育法」(ベル・ランカスター法)から、セガンが大きく学んでいたことがわかる。普通教育から隔絶された「特殊な教育」の地位に、白痴教育を据えることを、セガンはしていなかった。
 参観者の手記には、生徒たちは讃美歌を合唱するにまで成長しているのです、と称賛している。その歌声はとても美しく、神々しくあったとも記されている。セガンは、白痴教育に合唱は極めて適切である、と綴っている。