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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月1日・萩原朔太郎の詩論

2018-11-01 | 文学
11月1日は、「大陸移動説」のヴェーゲナーが生まれた日(1880年)だが、詩人、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の誕生日でもある。

萩原朔太郎は、1886年、群馬の前橋で生まれた。父親は開業医で、母親は上流階級出身だった。裕福な環境で育った朔太郎は、小さいころ、洋行帰りの親戚の家で、外国製のオルゴールを気に入り、抱えて離さなくなった。仕方なく両親は、横浜まで舶来のオルゴールをさがし求めて、朔太郎に買い与えたという。からだが弱く、夢見がちな少年だった朔太郎は、本と音楽が好きで、ハーモニカやアコーディオンをいつも手にしていた。
朔太郎は中学時代、短歌を詠み、友人と短歌の回覧雑誌を作っていた。
中学を出た後、高校入試に失敗した彼は、熊本の五高、岡山の六高、慶応大学予科などを入っては落第して転校したりした後、結局退学し、25歳のころ東京を放浪した。音楽家になろうと志して、現在の東京芸大を受験しようと考えた時期もあったという。
27歳のとき、詩人の北原白秋が主宰する「朱欒(ざむぼあ)」に詩を発表して詩人デビュー。同じく白秋のもとに集った詩人、室生犀星(むろうさいせい)と友情を結んだ。
以後、詩人として活動を続け詩集『月に吠える』『悲しき欲情』『青猫』『純情小曲集』などを出した後、1942年5月、急性肺炎のため、東京の自宅で没した。55歳だった。

「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん。」(「旅上」『純情小曲集』)

この詩「旅上」を読んで以来の朔太郎ファンで、詩集の『月に吠える』『青猫』の復刻版を、ときどきペーパーナイフでページを切り開いて読む。

「詩とは感情の神経をつかんだものである。(中略)
 詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と子読者との寂しいなぐさめである。」(『月に吠える』序)
「詩を作ること久しくして、益々(ますます)詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない。」(『青猫』序)
こういう立場で書かれた彼の詩は、読むと心がうっとりとしびれたようになる。

「どこに私たちの悲しい寝台があるか
 ふつくりとした寝台の 白いふとんの中にうづくまる
 手足があるか
 私たち男はいつも悲しい心でゐる
 私たちは寝台をもたない
 けれどもすべての娘たちは寝台をもつ」(「寝台を求む」『青猫』)

たとえばJポップを聴いて「ああ、わかるわあ」とその「詞」に共感するのと、「詩」はまったく異なるものだと萩原朔太郎は教えてくれる。朔太郎の詩は共感など求めない。読み手の足首をつかまえ、ことばの調べと感情の泉に引っ張り込み、溺れさせてしまう。読み手は別の世界へもっていかれる。詩とは恐ろしいものだ。
(2018年11月1日)



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