1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月25日・バイエルの影響

2024-07-25 | 音楽
7月25日は、ピアニスト、中村紘子(なかむらひろこ)が生まれた日(1944年)だが、ドイツのピアニスト、フェルディナント・バイエルの誕生日でもある。

フェルディナント・バイエルは、1806年、当時ザクセン王国であったドイツのクヴェアフルトで生まれた。
父親は仕立て屋の親方で、母親はパイプオルガン演奏者だった。
祖父が教会のパイプオルガン演奏者で、母親もオルガニストという音楽エリートの家系に生まれたフェルディナントは、ライプツィヒの神学校で神学を学び、聖職者のコースを進んだが、神学と並行して和声学やオルガン、ピアノの教育も受けた。
16歳のとき、父親が没し、これを機に父系から母系へ、音楽のほうへ身を入れ出した。
20代のころは、作曲家と演奏者として、各地を演奏してまわっていた。
28歳のころ、マインツに引っ越し、結婚したために経済的安定をはかる必要もあり、ピアノ教師になった。
その後、音楽出版社と契約して、そこの専属の作曲家となった。
バイエルは、オリジナル作品の楽譜を書くとともに、既存の楽曲をアレンジ(編曲)して、子どものピアノレッスン用の楽譜など、一般向けに編曲したピアノ曲の楽譜をたくさん書いた。
軽音楽、大衆音楽をピアノに取り入れた彼は成功した編曲者として生き、1863年5月に没した。56歳だった。

バイエルは、ショパン、シューマン、ワーグナーといった音楽家たちと同時代の人である。すると、ロマン派の時代にポピュラーを志向した音楽家ということなる。
バイエルが40代半ばのころに発表した「バイエル教則本」は、子どもなど、はじめてピアノを学ぶ初心者のための楽譜が100曲以上収められた本だった。
これが米国に伝わり、それが明治時代に米国人によって紹介され、「バイエル教則本」として日本に伝えられた。
おそらくこの時点ですでに、バイエルがドイツで出版したものからだいぶ内容が変わり、アメリカナイズされていたであろうが、これが日本人音楽家たちによってさらに、さまざまに編集され、曲が削られたり、別の曲が加えられるなどして日本仕様となって進化しつつ「バイエル」は極東の島国に普及していった。
第二次大戦後の復興時代から日本が立ち上がり、高度成長期となり、ピアノが普及していくのと並行して「バイエルピアノ教本」も日本列島に浸透していった。
教則本はほかにもあるが、やはりピアノをはじめて学ぶ日本人は、バッハでもモーツァルトでもベートーヴェンでもショパンでもなく、「バイエル」から、ということになった。
そういう意味では、日本のピアニストにもっとも影響力があった西洋音楽家は、じつはフェルディナント・バイエル、その人なのかもしれない。

ちゃんと「バイエル」で習ったことがない。
そんな自己流で弾く自分でも(家がせまいのと、お金がないので)電子ピアノをもっていて、ときどき弾く、というよりは触るのだけれど、おびただしい回数のミスタッチでポピュラーを弾きながら、自分もバイエルの影響下にあるのかなぁなどとぼんやり考える。
左手で伴奏、右手でメロディーを引くスタイルは、バイエル教本の特徴だそうである。
いや、いまの自分にバイエルを語る資格はない。ちゃんと語れるよう、バイエルからはじめなくては。
(2024年7月25日)



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