先週日曜日の読売新聞にあったコボちゃんで、
「ダンボールの入った肉まん」と「ダンボールに入った肉まん」
を比較して、「の」と「に」の違いでえらい違いだねえという話が出ていました。漫画なんだから、そんなものを文字化しても何の面白みもありませんねえ、ごめんなさい。それは仕方ないとして、上の二文、確かにほとんど同じ文字列であるにもかかわらず、意味的にはぜんぜんちがいます。
日本語、朝鮮語、モンゴル語、満州語といった、いわゆる膠着語の人々には、この助詞の重大さというのがものすごくよくわかります。ところが、助詞のチカラを直感的に理解できない人々もいるわけです。
先学期担当していた、スウェーデンの学生は、完全に助詞を無視していました。
「先生、もう僕は助詞に関して判断を停止するよ(意訳)」
などと宣言していたとおり、「ここの助詞ちゃうがな~」って指摘すると適当に、
が、を、の、に、で
の順で書き直します。そりゃ確かに5択みたいなもんで、適当に入れたらあたりもするけどねえ。たぶん、名詞になんかくっついてるな~くらいの意識しか持っていないんじゃないでしょうかねえ。彼は。もちろん、欧米人でも助詞が完璧な子もいます。
話は変わって、試しにダンボールかじってみたのよ。カケラが大きいとかなり口に残りますが、きれいに細切れにしたら食べられるんじゃないかなあ。
ヤラセだったみたいだけど、どうなのかな~。9割くらいは本物で、ちょっとだけ水増しにダンボールを入れていたんちゃうかなあ。
ダンボールも入った肉まん
助詞って素敵だ~。
「ダンボールの入った肉まん」と「ダンボールに入った肉まん」
を比較して、「の」と「に」の違いでえらい違いだねえという話が出ていました。漫画なんだから、そんなものを文字化しても何の面白みもありませんねえ、ごめんなさい。それは仕方ないとして、上の二文、確かにほとんど同じ文字列であるにもかかわらず、意味的にはぜんぜんちがいます。
日本語、朝鮮語、モンゴル語、満州語といった、いわゆる膠着語の人々には、この助詞の重大さというのがものすごくよくわかります。ところが、助詞のチカラを直感的に理解できない人々もいるわけです。
先学期担当していた、スウェーデンの学生は、完全に助詞を無視していました。
「先生、もう僕は助詞に関して判断を停止するよ(意訳)」
などと宣言していたとおり、「ここの助詞ちゃうがな~」って指摘すると適当に、
が、を、の、に、で
の順で書き直します。そりゃ確かに5択みたいなもんで、適当に入れたらあたりもするけどねえ。たぶん、名詞になんかくっついてるな~くらいの意識しか持っていないんじゃないでしょうかねえ。彼は。もちろん、欧米人でも助詞が完璧な子もいます。
話は変わって、試しにダンボールかじってみたのよ。カケラが大きいとかなり口に残りますが、きれいに細切れにしたら食べられるんじゃないかなあ。
ヤラセだったみたいだけど、どうなのかな~。9割くらいは本物で、ちょっとだけ水増しにダンボールを入れていたんちゃうかなあ。
ダンボールも入った肉まん
助詞って素敵だ~。
でも、目標言語の文法事項を過小評価するぐらいの姿勢のほうがいいかもね。
「不規則変化を覚えないと英語がしゃべれない!!」と強迫観念を持ってしまう大多数の日本人よりも?(おれも含め)
seeed catched buyed でも十分わかるんだから。
そうやねえ。「ダーリンは外国人」のトニーもカツと同じ意見でした。私も賛成。それでも大多数の日本人は細かいこと気にするよねえ。
なんでやろ?
ういちさん
なんでも試しよん。あの口に残る残骸をどう処理するかがコックさんの腕の見せ所やろなあ。