美智子上皇后の歌の師であった五島美代子。
母性の歌人と言われる。
子を大事にした。
次の歌は、すでに紹介した。
……
亡き子来て袖ひるがへしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
大切に育て、東大が初めて女子を受け入れたとき、
本人の意志にしたがって、入学させた。
それだけでは足りず、自分も東大に聴講にいった。
ところが、娘は、母の期待を負いきれず、自死してしまった。
その娘を幻の中で見たのが、この歌をつくった動機となった。
それだけでなく、
ことごとく母性に殉じたことが特筆される。
次のような歌も詠った。
……
身を分けていのちも魂もしかも身にまかせぬものを母といふなり
娘を失って、呆然とする姿を彷彿させる。
自分を賭けて育てていた娘を失った悲しみが、身を貫いたのである。
そして、ついには、次のような歌を詠んだ。
……
吾死なば亡き子をふたたび死なしめむわれのみが知る子よ永遠に生きよ
母性に満ち、子を大切に思っても、
次の世も、子を死なせるまでに歌を詠むであろう、と
鬼のような自分の作歌意欲に向かい合わねばならなかったのである。
そのような激しい意志が、
美智子上皇后に歌の心を伝えるよすがとなったのであろう。
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