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壊れかけたパソコン

2016年07月05日 | essay

   パソコンが動かなくなった。電源を入れると起動するが、それより先はどの「部屋」のドアを叩いても開かない。おまけに電源を切ることすらできない。まるで、朝起こすのは起こしたがそれから全く言うことを聞かず、今度は寝ろと言っても寝ようとしない反抗期の子どものようである。

 人に相談すると、かなりの末期症状だという。場合によっては「リカバリー」と言って、工場から出荷した当時のまっさらな状態に戻した方がいいかもしれない、とまで言われた。子どもで言えば、電気ショックでも与えて人格を一度崩壊させ、一から人格を作り直すといったところか。

 ところが所用があったついでに近所の量販店に持ち込んだら、ちょっとした作業で治ってしまった。人間の子どもで言えば───なんでも子どもに関連付けるのはいけないが───反抗期真っ盛りだったのが、誰かの言葉とかふとしたことがきっかけで、つきものが取れたように正常に戻ったといった感じか。「でも、安心はできませんよ」とそこの店員。「今回はたまたまラッキーだったかも知れませんが、パソコンのいろんなところにたまった歪みが、これですべて矯正されたと思わない方がいいですよ」

 そうだ。この文を書きながら思い出したが、その店員こそがまさにパソコンを人間のように語る人だったのだ。「すねる」とか、「ストレスが溜まる」とか、「体に軋みが出る」とか。おかげでそれを聞いた私もやたらと人間に置き換えて考える癖がついた。

 その店員は、考えられる故障の原因としてこう語った。「例えばシャットダウンしている途中で蓋を閉じるじゃないですか。そうすると、シャットダウンせよ、という命令の上に、スリープせよ、という別の命令が重なるんですよね。するとどっちなんだ、って。そんなことが繰り返されると、コンピューターも頭が混乱してへそを曲げちゃうんです」

 何と。コンピューターもへそを曲げるのか。へそを曲げられないために、人間に対するのと同じように気を遣わなければならないのか。私はこれまで、パソコンを完全にモノだと思っていた───だからこそ、少々乱暴に扱っても構わないし、モノだからまさかそのことに腹を立てたりはしない、と思いこんでいたのだ───その辺りから認識を改めないといけないのか。なるほど。コンピューターにも感情があるのか。まさにその辺りの理解の有無が、案外、コンピューターに強い人と弱い人との分水嶺になっているのかも知れない。

 ところで最近、体の調子があまり良くない。背中が張るし、眠気が取れない。慢性的に運動不足である。放っておけば、この体も動かなくなるかもしれない。コンピューターに人間的気遣いをできない者は、自分という体に対しても同様か。

 うむ。何でもモノ扱いはよくない。

 自分の体にへそを曲げられる前に、少し歩こう。   

 

  

 

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