た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

2008年05月02日 | Weblog
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生は余剰である。

デコレイションである。

生が無くても

宇宙はその美しい規則を保った。

生は余剰である。

ならばなぜ

「生きる意味はあるのか?」と問う代わりに

「意味を超えて生きるこの恵みは!」と驚かないのか。

生は恵みである。

あ・な・た・は・恵みである。

世界はあなたを利用するつもりはなかった。

あなたを生んだのは親という名の他人としても

あなたを生きるのはあなた以外になかった。

あなたの生は、あなたの自由であった。

その恵みに

その余剰に

その意味を超えた不可思議に

どうしてあなたはちっぽけな身分証明書を宛がおうとするのか?

どうしてあなたは分別臭く後始末をつけようとするのか?

どうしてあなたは

今日を生きたことを驚かないのか?

この混沌とした大海の中で

目的とする島もなく

漂流し続ける木切れであっても

また一日分を生き延びたその力強さに

感動しないのはなぜか?


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これは私の知る人の独白文を目の当たりにして、思わず発奮して書きなぐった返信である。彼は何かしら弱音らしきことを書き綴っていた。それに私のお節介が反応した。しかし実際は、よくあることであるが、他人がそこまで亢奮するほどのことでもなかったのであろう。

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