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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

3月8日

2009年03月08日 | Weblog
 仕事に一年の区切りが訪れる。午前中の休日出勤も今日までである。伸びをしてみる。何か物足りない気がしてもう一度伸びをする。奇声も上げる。そうだ。恥ずかしくない。それくらいの努力はしてきたつもりだ。もう一度、今度は歓声を上げる。窓を開ける。青空が一段と高く見える。白い雲に、私のこの一年の評価を尋ねてみる。なあ。なあ。どうだろう。結果はわからんが、ともかくもがんばったんじゃないかなあ。

 まずまずだ、と雲が答える。ちぇっ。雲はいつだってそう答えるのだ。
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3月6日

2009年03月06日 | Weblog
 一本の電話を待つとき、わたしは身を丸める。沈黙した空気に五体が触れるのを忌み嫌うかのように。

 激しさを増す雨が、そんな小さなわたしをあざ笑う。へへへ、さっきから鳴らしているこの雨音こそが、あんたのための呼び出し音だよ。

 わたしは外に飛び出したい衝動に駆られる。

 もちろん、わたしは飛び出さない。私が待っているのは、一本の電話の呼び出し音である。 
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3月4日

2009年03月04日 | Weblog
 青色申告を終了した。例年のように、その場で納税金を叩きつけて(いやもちろんそんな大それたことは小市民の私にはできない。愛想笑いを浮かべながらへいこらと支払ったわけだ)帰ってきた。
 それにしても私は金勘定ができないとつくづく思う。まさに顔色青色申告である。山積するレシートを前に一時は世をはかなんでレシート自殺(たとえばレシートの束を呑み込んで喉を詰まらせるとか)も考えたが、家人の協力もあり何とか申告にこぎつけた。もう二度とやりたくない。古代のように、徴税吏が鞭を鳴らしながら家の前に現れ、地べたに這って許しを乞う私を尻目に米櫃(こめびつ)を運び去っていくほうがずっと楽なのではないかとまで空想する。

 いやいや、そんなことはない。来年もがんばろう。
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3月3日

2009年03月03日 | Weblog

 個人主義の徹底した教育を受けてきたせいか、単に私が臆病なのか、他人に自分が与える影響というものが気になって仕方ない。教育となるとなおさらである。人は人に何が正しいかを教えることなどできない、と古代ギリシャの哲人も確か言っていた。

 窓の外を見ると雪である。今年の春はずいぶん早いと思いながら庭の花壇に水を遣ったのが確か今朝であった。見ている間に、みぞれのような粒はふわりと速度を落としぼたん雪になった。面白いから腕を組んでずっと見ていた。静かな雪である。

 今日ハ「彼」ヲ叱ラナケレバナルマイ。ソレガ私ノ今日ノ仕事ダカラ。
 シカシ叱ルノト、コノ雪ヲタダジット眺メサセルノト
 一体ドチラガマシカ知ラン。
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2月27日

2009年02月27日 | Weblog
現代に正しく生きるにはどうしたらよいか。

 その答えが見つからないから生きられない、と思う人がいる。

 その答えが見つからないからこそ生きられる、と思う人もいる。
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2月24日

2009年02月25日 | Weblog
 仕事に追われ何も書けない日々が続くので、書くことがなくても日記を続ける。前二日の日記は、日付が一週間分間違っていた。人に指摘されたが、それでも気付かず、再び指摘されてようやく事態を呑み込む次第である。大変危険な状態である。地上に足をつけて歩いている気がしない。
 近所の図書館に仕事で立ち寄り、ついでに付設の喫茶店で昼食をとる。すでに昼は食べていたにもかかわらず。胃を苦しめてもいいから喫茶店で時を過ごしたかったのである。喫茶店に逃げ込みたかったのである。それなら珈琲を飲めばいい。いやしかし、珈琲を飲むほどの心の余裕すらなかったのである。
 窓辺の席に座る。店内はカウンターでスポーツ新聞に顔を埋める男の他、がらんとしている。窓から差し込む日差しはとてもやわらかく、私は左肩を陽に預けて眠るようにうなだれる。来るとき肩に触れた霧雨は続いているのだろうか。顔を上げる。窓から見える中庭は、湿っているようにも乾いているようにも見える。
 窓か。私は小さい頃、窓から外をずっと眺めている子供だったらしい。
 喫茶店の窓から外には、間違っても飛び出せない。飛び出しちゃだめだよ、僕。大きなガラス窓は外を眺めるためのものでしかない。してみると、これは監獄の格子窓のようなものである。だから外を眺めたくなるのだ。そして監獄なら、それはそれで、過酷な現状も甘んじて受け入れようという気にもなるのだ。
 支離滅裂なことを疲弊した頭で考えていたら、カレーライスが来た。見るやいなや食欲を失ったが、私は大きなスプーンを武器のように手にとり、威勢よくライスに突き刺した。
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2月22日!

2009年02月22日 | Weblog
 人類が目的を見失って久しい。地球という浸水しかけた小さな帆かけ船にぎゅうぎゅう詰めに乗り込んだ彼らは、何とか沈没を免れようと巨大な装置を船の中に作り上げた。結局その装置の重みで船は大海に没しようとしている。じゃあ何もするなと言うのか? われわれはただ大人しく船に揺られて行き先のない航行を続けろと言うのか? われわれはそもそも何のためにこの船に乗り込んだのか?
 人類はためらっている。船を降りるための岸辺は見当たらない。装置をすべて海に投げ捨てて元の帆かけ船に戻す勇気もない。彼らは少し憂鬱になり始めている。自分たちを元気づけてくれる次なる目的────進歩という大いなる目的に取って代わり、新たな航海の指針を与えてくれるはずの目的────も、いまだ見つけきれずにいる。 
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雑感

2009年02月08日 | Weblog
拡大はいつか必ず止む。

止むだけではない。

拡大それ自体を目的とする拡大は、そのとき崩壊する。

踏みとどまる術を知らないからである。

当り前のことであるが、

さて本当にわかっている拡大がどれだけあろうか?



──世の中はおしなべて不景気である。まさか責任の所在を「彼ら」に求めるわけにはいかない、とみな思っている。交通事故の責任を、そこに造った道路に押し付けるわけにいかないのと同じであるから。
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ある人の言葉(47)

2008年12月18日 | Weblog
ネットですか。ネットはまあ底のない宝石箱みたいなもので。各人が各様の宝石箱を大事に持って、密かに蓋を開けて中を見ます。ところが底がないから、中からは世界が見えるという仕掛けですな。まあ箱の綺麗な分、何だかよく見えるような気もしますが、そりゃ箱を持つ手を下ろして、直接見たほうがずっとよく見渡せるもんでしょうが。

え? そんなことはないって? まあま、そんなこと言わずにもう一杯。
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ごく小さな挙式に寄せて

2008年11月04日 | Weblog
天ハ全テノ個ヲ異ナラシメ

        以ッテ全テノ出会ヒヲ異ナラシム

故ニ 出会フマデハ偶然ナリ 
 
        出会ヒテノチハ必然ナリ

偶然ニ感謝シ 必然ヲ享受シ

        ココニ今日ノ吉事ヲ迎ヘル。



       
           アリガトウ ※※サン。 アナタハ私ノ一期一会デス。 
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