すべてが遠くに。
人類が道を切り開いてきた、と思うのは奢りである。
おそらく、人より先に道があった。
獣が成したか、
自然の起伏か。
限られた道が、
限られた行き先とともに。
人類は新たな道を造ることに熱中した。
まるで整形手術を施すように、
それで見栄えをよくしたかのように。
やがて人は去り
道が残った。
道を踏み外す、という言葉の真意を
今一度深く考えるべき時が来た。
※写真は修那羅石仏群入口
1月20日、短編脱稿。
今回は手書きで仕上げたので、こちらに載せることができない。
気がつけば年が明け、仕事に追われ、喉を痛め、こちらの更新を一カ月も滞ってしまった。
かつて、こういうときは適当な俳句を詠んで誤魔化していたが、からっぽの頭からは言葉一つ出てこない。
頭は新しく買い替えることもできない。だましだまし使い続けるしかない。
呑んべえの知人は相変わらず呑んべえである。誘われても行く元気がない。
寝る前にうつ伏せになって腰を振ると、背中の凝りがほぐれることがわかった。
体の心配ばかり増えた。詰まらないことである。
短編脱稿。
ほとんど、生きる手ごたえのために。
常念小屋にて一泊。常念岳登頂は、積雪のため断念。
両日とも天気良好。美しいものをいろいろ見た。
※写真1枚目は常念乗越より夜明け前。2枚目は横通岳中腹より常念岳撮影。
上高地を歩く。河童橋から徳沢を過ぎる。
行けども行けども人が多い。人の背中を見て歩き続ける。木立の向こうは透き通った綺麗な川である。穢れたものや愚かなものは一切流しそうにない川である。ましてや人間の手など浸してほしくないだろう。川原に猿がいた。猿も人間に見飽きたのか、行列が通っても知らんぷりである。
この辺りで引き返すことに決めた。
上高地にはウェストン碑がある。
日本アルプスをこよなく愛した彼は、イギリスに帰国してのち、彼のもとを訪ねた日本人に対し、上高地のことを矢継ぎ早に尋ねたという。そして最後に、「上高地にホテルが建つというのは本当か」と尋ねた。
その通りだという答えを受け取ると、彼は背を向けて窓の外を眺め、静かに涙を浮かべたという。
彼の胸中は、語られていない。
「海が見たい」と少年は思った。
家族と海に来て、少年はその希いを実現した。
少年よ。
「大志」という言葉をまだ君は知らない。
世界の途方もない広がりについて考えるすべもない。
今もほら、波打ち際の、浮かんでは消える水泡に君は見とれるばかりである。
少年よ。
こうべを上げよ。
君が知るべき大海の輪郭は
もっともっと先にある。
君の本当に見たかった風景は
もっともっと、果てにある。