エスパルスの移籍の情報が錯綜しています。エスパルス自体から情報発信が一切ないので、周りのファンと名乗っている人が、いきり立っています。前から何度も書いているように、一つの現象に対して100人居れば100通りの考え方が必ずあります。例えば移籍していったサンタナ選手には残留して欲しかったと言う意見と、チームに不要だったと言う意見があります。それ自体は単なる意見。でも、その意見発信する相手を攻撃するのは違うと思います。人の意見を認められないのは、今から下に書く事に該当する人かも知れません。
さて、皆様。
蔭山昌弘さんと言う方をご存じでしょうか?
まあ、正直ほとんどの方が知らないと思いますが、
元々は高校教師であり、
並行してスクールカウンセラーとして活躍。
今は、静岡産業大学の特任教授をしながら、
静岡高校や静岡雙葉中・高で、
スクールカウンセラーを務めていらっしゃいます。
私は、蔭山先生とは面識がありませんが、
私の奥様が面識あります。
蔭山先生の息子さんが19才でパラグライダーの事故で亡くなった時、
斎場までの道に弔問客の車の列が、
安西橋まで続いたと言う話があった記憶が?
まあ、静岡市の人間しか判らない距離感でしょうが。
さて、本題に入ります。
奥様が、蔭山先生がある雑誌に投稿した?文章のコピーを入手。
私もそれを読ませて頂きました。
・子どもの心に寄り添って 親の考える「愛」と子供の思う「愛」
というコラム?です。
ポイントは4つかな。
1.子供に聞く「親に愛されていると感じる時」は、色々なシチュエーションが返って来ますが、親が思う「子どもを愛しいと感じる時」は「親の思うように動いてくれる時」という意見が多いようです。
2.親は子供が困らない様に、色々と手を出したり指示・注意をしますが、子供にとって一番大切なのは、「子どもが自分で考え、自分で決め、自分で行動出来る力を培うこと」。例え失敗しても自分で責任を取って再びチャレンジしていく精神的な強さが必要であること。
3.最近、「友達の顔色や周りに気を遣いすぎてくたくたになっている」子が多くなっている。本来、ケンカと仲直りを繰り返すことで大人の階段を上がっていくのですが、それを経験しないので、人とのかかわり方が判らない大人が増えているようです。子供のためにと言う大義名分で転ばぬ先の杖を発動することで、子供は転ぶことを恐れて動けなくなる現象が起きているのです。
4.悪いことをした時叱るのは当然で、子供も叱られることは受け止めています。然しそれにプラスして、「だからお前はダメなんだ」「何度言ったら判るんだ」等々の余分なフレーズに子供が反発を感じます。子供を叱るのではなく、自分の怒りをぶつけていないか?
一つの例として、子供に服を買ってあげる時、ご馳走をふるまう時。
子どもが選ぶものが親の思惑と必ず一致するとは限りません。
子どもが選んだ服が、親の価値観では気に入らない時、
こちらの方が良いよと言って子供の意思を拒否していないか?
子どもは、実は自分が選んだ服を着たいのに、
親のことを気に掛けて、親の気に入った服を選ぶ。
そうして、人の顔色を伺うことが常態化すること。
私も子供の頃、家族で天ぷらそばを食べに行った時、
一人だけ月見そばを注文しました。
値段からすれば雲泥の差かもしれませんが、
当時の私には天ぷらはご馳走ではありませんでした。
親父は、何故天ぷらそばを食べないのか?と思ったようです。
そう言う一つ一つに思い当たる方も多いのでは?
以前の私のブログです。
たまたま同じような趣旨のことを書いています。
見守ると言うこと2013-03-15 07:14:13 | その他
祝!高校退学2006-03-30 06:52:53 | 私・家族・我が家・親戚
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