徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

部活から派生するちょっとした人生の思い出

2020-05-02 08:37:45 | 自叙伝

皆様、使い捨てのマスクでも、洗って使う方も多いと思いますが、1枚当たり何回使っていらっしゃいますか?私の場合は4回くらいでしょうか?ここまで数えてきたわけではありませんが。

 

ゴールデンウィークは29日に始まっていますが、

私にとって今日、5月2日がスタートの気分です。

先日のブログにも書きましたが、

ここ数年、何もせずにこの期間を過ごしており、

それは今年も同じです。

 

と言うことで、思い出話?を一つ。

文京区千駄木小学校の時、

区の、大会とも言えないような記録会に、

選抜メンバーとして選ばれ(今でもなぜ私か謎です)、

走り高跳びをやらされました。

当時の跳び方は、

挟み跳びかベリーロールしかなかった時代。

しかも設備もなく砂場で行う走り高跳び。

先生にその場で挟み跳びを教わって、競技を行い、

記憶では1M25CMを跳んで私の学校では1番でした。

区の中でも、1番ではありませんでしたが、

そこそこ上位だった気がします。

そこからが私の中高の陸上部人生のスタートでした。

でも、本当は野球部かテニス部に入りたかったのです。

兄貴は中学校の部活でソフトテニス部に入っていました。

だから、野球も当時は大好きでしたが、

兄貴の後を追いかけたかったことが1番でした。

小さい頃から、

優秀なDNAは全て兄貴が持っていき、

「カスで出来た次男」と、

ずっと友達に言われ続けた私にとって、

兄貴は憧れであり、目標でした。

そして、兄貴は大学でテニス同好会に入り、

夏休み等で戻ってくると、

中学生の私と、庭でボレーボレーを数回実施。

たったそれだけなのに、

私はテニスの魅力に取りつかれ、

大學でテニスを始め、今に至ります。

今でも、中学の時からテニスを始めていたら、

もう少しうまくなっていたでしょうし、

ひょっとしたら全国大会も行けたかも?

妄想だけなら自分勝手に出来るので、

子供がプロ野球選手を夢見るように、

活躍する中学生の自分をいつも想像しています。

別にスポーツでなくても、

いろんな局面で、選べなかった選択肢があり、

それを選んでいたらどう自分の人生が変わっていたか、

そんなことを想う方も多いのではないでしょうか。

進学でも受験でも恋愛でも就職でも、

どんな選択をしたとしても、

どんな人生を歩んできたとしても、

今を必死に生きることしか出来ません。

過去を変えることはできません。

 

これ以上書くと暗い話しか書けそうもないので、

連休を不自由ながらも楽しみましょう!

コメント
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