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徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

行方不明の大和君見つかる!

2016-06-03 23:03:11 | 知人・友人・赤の他人
ニュースで皆様ご存知の通り、
行方不明となっていた男の子、
田野岡大和君が発見された。
今回の騒動の中身については、
報道でも、色々な方のブログでも、触れられているし、
行きすぎなしつけとか・・・・
まあ、感想は人によって違うだろうし、
私も子供に対し、同じではないにせよ、
紙一重の対応をしたこともある。
ここではそれについて触れるつもりはない。
ただ、私自身の迷子の経験について語りたい。
小学校2年くらいの時、
今回の彼と年齢が同じ頃、
迷子になってかなり遠くまで行ってしまったことがある。

その時のシチュエーションは。
もちろん今回とは全く違う。
私の実家と迷子の起点となった駿府公園は歩いて15分くらい?
自転車で5分くらいのところだった。
友達とひとしきり遊び、
家に帰ろうとしたとき、ある曲がり角で、
私は勘違いし、本来は左へ曲がるべきところ、
右に曲がってしまった。
友達は当然左へ曲がる。
その時私は、なぜか意地になり、こちらの道が正しい!
そう思って戻ることはなかった。
何故そう思ったか?
それは自分のことながら、今でも謎である。
そのまま突き進めば、当たり前だが、
家に帰りつくはずもない。

そのまま進みながら、家の近所と似たような風景が見えると、
それに縋る様に、(すがるように)、
この道はやはり正しいんだ!
そう自分に言い聞かせながら、
戻ろうか?
という気持ちを封じ込んでいった。

彼のケースと全く違うので、
私に対し、何が言いたいの!
と思う方もいるだろうが、
要するに子供の発想は、大人とは違う。
理性的考えが支配する大人と違い、
子供の発想はどこか一途?
何故?という行動もありうるので、
違うと思っても戻れない自分がいた経験。
だから、
彼の、捜索範囲を広げるしかないと思っていた。
子供だって、2時間も歩けば8キロくらい進めるわけで、
もちろん山道を考慮しても、
5・6時間歩けば10キロは十分進める。
だからこそ、今の捜索範囲より外を探すべき!
そう思っていた。
まあ、今回は、建物が見つかった時点で移動をやめた訳だが、
もしその建物がさらに先であれば、
そこまで移動したのでは?


ただねえ。今回のように捜索範囲が360度にわたる場合、
捜索範囲をやたら広げることが、実際問題難しいだろうし、
こういうものは難しいんだろうなあ。
実体験を重ねての感想でした。







<小2保護>偶然や好条件重なり

毎日新聞 6月3日(金)21時30分配信

男児が行方不明になった方角の自衛隊演習場の境界付近。長期間使用していないゲートなどがあり、周辺は草木で覆われている=北海道鹿部町で2016年6月3日午後1時40分、手塚耕一郎撮影


 北海道の山中にしつけのため置き去りにされ、行方不明になっていた北斗市追分4、小学2年、田野岡大和さん(7)。6日ぶりに無事見つかったのは警察などの捜索範囲外の自衛隊演習場内の施設だった。厳しい冷え込みが続き、捜索態勢も縮小する中で、偶然や好条件も重なり、小さな命はつながった。

 陸上自衛隊によると、大和さんがいた廠舎(しょうしゃ)と呼ばれる簡易宿泊施設は、幅6メートル、縦30メートルの半円状の木造。演習時の宿泊や休憩などに使われ、50人まで利用可能という。板敷きの室内には、約40枚のマットレスが積まれていた。

 大和さんが行方不明になった場所から同施設は直線でも約6キロ。演習場までは複数の林道があり、「道なりに歩いたら10キロある。上り下りもある山道で、隊員でも2時間半はかかる」(陸自担当者)という。

 道警や消防などは不明になった場所から最大15キロ四方を捜索したほか、自衛隊員が同演習場脇まで林道周辺をオートバイで回って確認した。しかし演習場は大和さんを降ろした後で家族の車が進んだ方向と逆で、山を登る形にもなることや「ここまで1人で歩いて行くのは考えられない」と対象に入っていなかった。また、捜索とは別に施設の点検に訪れた隊員が5月30日午前9時50分ごろ、建物の中を確認したが、異常はなかったという。

 演習場の周囲には、大和さんの背丈より高いやぶがある。敷地内も車1台が通れる程度の未舗装の道が複雑に入り組んでおり、両脇には高さ6~10メートルの木々がうっそうと生い茂る迷路のような地形という。大人の背丈でも周囲を見通すことはできず、担当者は「枝道を避け、なるべく太い道を選び続けた結果、発見された施設にたどり着いたのではないか」と推測する。道警によると、大和さんは「28日夜からここ(施設)にいた」と話しているという。

 施設では建物の外にある水道の水が出るが、食料はなく、ストーブや電灯は発電機がなく使用できない状態だったが、スイッチは入っていた。建物内も夜は真っ暗で、大和さんは「電気をつけようとしたが、つかなかった」と話したという。演習場内には他に体を休められる建物がなく、最も近い民家までは約1キロ離れていた。

 函館地方気象台によると、5月28日から6月2日までの函館市の天候は夜間を中心に雨の降った日が多かった。鹿部町に隣接する森町では、6日間のうち4日間は、最低気温が10度を下回った。

 大和さんはTシャツにジャージーの薄着姿。現場にいた隊員の一人は「室内のマットの間で体を休めていたのは、低体温にならないために適切な判断だったと思う」とみる。

 冒険家・三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊に同行した経験がある国際山岳医で、山岳遭難などに詳しい心臓血管センター北海道大野病院(札幌市)の大城和恵医師(48)によると、生存のために良かった条件として▽雨風をしのげる小屋のような建物を見つけることができた▽そこから動かなかった▽真冬のような季節ではなかった▽水が飲めた--の4点が挙げられるという。「どれか一つでも欠けていたら難しかっただろう。ただ、あと数日遅かったら危なかったかもしれない」と大城医師は話す。【野原寛史、立松敏幸】
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