さて、年末旅行で浮かれている自分ではあるが、
その前にちょっとまじめなお話を。
以前、青木鈴花ちゃんの事を書いた。
そしてあるHPでこの通園に対する判決のことで、
いろいろな方のコメントが寄せられている。
因みに青木鈴花ちゃんは喉頭(こうとう)軟化症という
障害を持っている女の子。
医療的なサポートが必要と言うことで
保育園の入園を拒否され裁判で争った過去がある。
今は元気に小学校に通っているはず。
さて、今私が触れたいのは、
この裁判判決で通園が決まった時に寄せられた
様々なコメントの中には、当然賛否両論あり、
まあ、批判的な意見の中には、
本人の問題ではなく、受け入れ側に負担がかかること、
また、事故が起きた時に責任をどうするのか?
と言うような指摘が多い。
内容的には予想される範囲であるが。
さて、まず負担の問題であるが、
コメントの中には健常児だけの先生の負担より、
障害児の担任の方が負担が大きく、
そういう「迷惑」を掛けることを鈴花ちゃんの両親は、
どう思っているかと言う意見。
確かに私は彼女の担任ではないし、
第3者としての意見と言われれば反論は出来ない。
ただいつも思うことは、
今の日本にはこういう自分だけが負担を負うのは
「損」と言う考え方があまりに多い気がする。
同じ給料で働くなら楽な方がいい。
こういう考え方も理解はできる。
でも、上手く言えないが、何かを達成する。
あるいは何かの役に立つ。
こういうプラスの気持ちが味わえるなら
私はまず、そもそも負担と思わない。
多分こういう気持ちを感じられない人とは
永久に平行線だとは思う。
そういう人から、その負担増の許容範囲は?
と言われれば、確かに本当にひどい負担がかかれば
私だってもういやだと投げ出すとは思う。
どこに境界線があるか?それは判らない。
でも鈴花ちゃんの受け入れが
許容範囲を超えるとは到底思えない。
もう一つ、事故がおきた時、
それが重大な誰かの過失なら、
裁判あるいは責任という話にはなるだろう。
でもそれは鈴花ちゃんに限った話ではない。
例えば子供同士で滑り台やジャングルジムで遊んでいて、
誰かにぶつかって落ちて怪我をした。
うちの子も悪い、あるいはそんなのただの怪我
と言って何も言わない親もいれば、
監督責任といって学校を訴える親もいる。
怪我をさせたと言って一緒にいた子どもの親を訴える?
施設の安全面に問題ありと言って市や国を訴える?
色々な親がいる。
多分鈴花ちゃんを受け入れることがリスクを増大させる
と言って反対するコメントを書く人は、
こういう類の人か。
もし私が鈴花ちゃんの親なら、
もし鈴花ちゃんが普通に怪我したり、
吸引等で問題が生じたとしても、
重大な過失でなければ問題にしないと思うのだが。
こういう気持ちが理解できない人が大勢いるのだろう。
私の仕事でも、普通でないクレームをしてくる人間が
随分増えてきた。
自分の間違いを絶対認めない人。
もう閉店時刻を過ぎているのに、
なんとかしろとひかない人。
説明したのに聞いていないと譲らない人。
話がずれてきたので戻します。
鈴花ちゃんの問題には色々な複線がある気がしますが、
特に人と違う人間(例えば障害者)の排除と言う気持ちも、
見え隠れします。
そういえば昔幼稚園のバザーかなんかで、
その場で食べ物を売るために火を使いたいと言ったら、
そのときの園長は子どもが走り回って事故がおきたら困るので、
火は厳禁と没になりましたが、
翌年新しい園長になったら、
すんなり二つ返事でOKになりました。
事なかれ主義はどこにでもあります。
いつもこういうことで考えさせられます。
長くなったのでこの辺で。
またいつか気が向いたらこういう話題に触れてみたいです。
その前にちょっとまじめなお話を。
以前、青木鈴花ちゃんの事を書いた。
そしてあるHPでこの通園に対する判決のことで、
いろいろな方のコメントが寄せられている。
因みに青木鈴花ちゃんは喉頭(こうとう)軟化症という
障害を持っている女の子。
医療的なサポートが必要と言うことで
保育園の入園を拒否され裁判で争った過去がある。
今は元気に小学校に通っているはず。
さて、今私が触れたいのは、
この裁判判決で通園が決まった時に寄せられた
様々なコメントの中には、当然賛否両論あり、
まあ、批判的な意見の中には、
本人の問題ではなく、受け入れ側に負担がかかること、
また、事故が起きた時に責任をどうするのか?
と言うような指摘が多い。
内容的には予想される範囲であるが。
さて、まず負担の問題であるが、
コメントの中には健常児だけの先生の負担より、
障害児の担任の方が負担が大きく、
そういう「迷惑」を掛けることを鈴花ちゃんの両親は、
どう思っているかと言う意見。
確かに私は彼女の担任ではないし、
第3者としての意見と言われれば反論は出来ない。
ただいつも思うことは、
今の日本にはこういう自分だけが負担を負うのは
「損」と言う考え方があまりに多い気がする。
同じ給料で働くなら楽な方がいい。
こういう考え方も理解はできる。
でも、上手く言えないが、何かを達成する。
あるいは何かの役に立つ。
こういうプラスの気持ちが味わえるなら
私はまず、そもそも負担と思わない。
多分こういう気持ちを感じられない人とは
永久に平行線だとは思う。
そういう人から、その負担増の許容範囲は?
と言われれば、確かに本当にひどい負担がかかれば
私だってもういやだと投げ出すとは思う。
どこに境界線があるか?それは判らない。
でも鈴花ちゃんの受け入れが
許容範囲を超えるとは到底思えない。
もう一つ、事故がおきた時、
それが重大な誰かの過失なら、
裁判あるいは責任という話にはなるだろう。
でもそれは鈴花ちゃんに限った話ではない。
例えば子供同士で滑り台やジャングルジムで遊んでいて、
誰かにぶつかって落ちて怪我をした。
うちの子も悪い、あるいはそんなのただの怪我
と言って何も言わない親もいれば、
監督責任といって学校を訴える親もいる。
怪我をさせたと言って一緒にいた子どもの親を訴える?
施設の安全面に問題ありと言って市や国を訴える?
色々な親がいる。
多分鈴花ちゃんを受け入れることがリスクを増大させる
と言って反対するコメントを書く人は、
こういう類の人か。
もし私が鈴花ちゃんの親なら、
もし鈴花ちゃんが普通に怪我したり、
吸引等で問題が生じたとしても、
重大な過失でなければ問題にしないと思うのだが。
こういう気持ちが理解できない人が大勢いるのだろう。
私の仕事でも、普通でないクレームをしてくる人間が
随分増えてきた。
自分の間違いを絶対認めない人。
もう閉店時刻を過ぎているのに、
なんとかしろとひかない人。
説明したのに聞いていないと譲らない人。
話がずれてきたので戻します。
鈴花ちゃんの問題には色々な複線がある気がしますが、
特に人と違う人間(例えば障害者)の排除と言う気持ちも、
見え隠れします。
そういえば昔幼稚園のバザーかなんかで、
その場で食べ物を売るために火を使いたいと言ったら、
そのときの園長は子どもが走り回って事故がおきたら困るので、
火は厳禁と没になりましたが、
翌年新しい園長になったら、
すんなり二つ返事でOKになりました。
事なかれ主義はどこにでもあります。
いつもこういうことで考えさせられます。
長くなったのでこの辺で。
またいつか気が向いたらこういう話題に触れてみたいです。