河内飛鳥(河内源氏の里) その5
河内飛鳥(河内源氏の里) ハイキング
河内源氏発祥の地にある壺井八幡宮
源頼義が壺井八幡宮を建立したのが始まり・・・
河内源氏にとってなくてはならない八幡宮です。
右側には・・・
石碑が・・・・句碑だそうですが・・・
読めません。才のなさが・・・(>_
八幡宮の裏から・・・・
壺井権現社へと・・・
植樹されていますが・・・
壺井権現舎から拝殿へと
拝殿には、猿の絵馬が・・・・
拝殿の上には・・・ 「正一位壺井権現」の神額が掲げられ、位が高いのを示しています。
後冷泉天皇から永承6年(1051年)、奥州に乱がおこり源頼義に賊を平定との勅命が下り、
出陣に際し、石清水八幡宮に詣で戦勝を祈願し、康平5年(1062)賊を平定した。
源頼義が康平7年(1064)5月15日、壺井八幡宮の社殿を建立し、石清水八幡宮から神霊を遷し
祀ったのが、壺井八幡宮の始まりと・・・・ 歴史がある壺井八幡宮です。
昔はさぞかし・・・権威があったと思われますが・・・
境内には・・・
大きな楠が・・・・
樹齢1,000年になる天然記念物の楠があります。これが大阪みどり百選に選定されているくすのきです。
御神木です。
そびえ立っている楠、パワースポツトかと・・・ 見ていると力がみなぎります。
鎮守の森と・・・・
大阪みどり百選の石標があります。
広い境内
歌碑が・・・・「若菜つむ 河内源氏をまつる野に 青箱子」
「若菜つむ 河内源氏をまつる野に 青箱子」の青箱子の略歴が石碑に刻まれています。
石段を下り
進んで行くと
有名な壺井の井戸が見えてきました。
これが壺井の井戸です。
今は、水が枯れていますが・・・
河内飛鳥(河内源氏の里) ハイキング
河内源氏発祥の地にある壺井八幡宮
源頼義が壺井八幡宮を建立したのが始まり・・・
河内源氏にとってなくてはならない八幡宮です。
右側には・・・
石碑が・・・・句碑だそうですが・・・
読めません。才のなさが・・・(>_
八幡宮の裏から・・・・
壺井権現社へと・・・
植樹されていますが・・・
壺井権現舎から拝殿へと
拝殿には、猿の絵馬が・・・・
拝殿の上には・・・ 「正一位壺井権現」の神額が掲げられ、位が高いのを示しています。
後冷泉天皇から永承6年(1051年)、奥州に乱がおこり源頼義に賊を平定との勅命が下り、
出陣に際し、石清水八幡宮に詣で戦勝を祈願し、康平5年(1062)賊を平定した。
源頼義が康平7年(1064)5月15日、壺井八幡宮の社殿を建立し、石清水八幡宮から神霊を遷し
祀ったのが、壺井八幡宮の始まりと・・・・ 歴史がある壺井八幡宮です。
昔はさぞかし・・・権威があったと思われますが・・・
境内には・・・
大きな楠が・・・・
樹齢1,000年になる天然記念物の楠があります。これが大阪みどり百選に選定されているくすのきです。
御神木です。
そびえ立っている楠、パワースポツトかと・・・ 見ていると力がみなぎります。
鎮守の森と・・・・
大阪みどり百選の石標があります。
広い境内
歌碑が・・・・「若菜つむ 河内源氏をまつる野に 青箱子」
「若菜つむ 河内源氏をまつる野に 青箱子」の青箱子の略歴が石碑に刻まれています。
石段を下り
進んで行くと
有名な壺井の井戸が見えてきました。
これが壺井の井戸です。
今は、水が枯れていますが・・・
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