「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その15」
大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩きも最終章です。
町歩きもいいなと思いながら・・・・
太平寺を見て。。。。
大阪のことが自慢できると。。。。
また来てみたいと。。。
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「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その14」
大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き
夕陽丘の命名は、伊達宗広が藤原家隆を敬愛し家隆の和歌にちなんだもの。
ここには清地蔵(さやじぞう)があります。20歳で亡くなった陸奥宗光の娘・
清の等身大の地蔵が鎮座しています。
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「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その13」
本柱2本の後方に控柱2本を建てた門のことを一般的に藥医門と呼びます。
聖徳太子が愛染堂を創建された当初、この場所が施薬院だったこともあり、
薬医門の由来のようです。赤門とした方がいいような気がしますが
「縁起の良い赤門を通って、赤門(=東大)を始め志望校への入試を突破しましょう」と
境内マップにも書かれています。
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「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その12」
大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き
大江神社のある大江は、太古の昔は、この辺まで大阪湾が迫っていて
「大江」という地名はその名残とか・・・・・
昔は夕日が見事な景勝地だったとか。それを思いながら
「百段の階段」を昇るきると長寿になれるとか、ほんとかなと・・・
階段を上っていくと・・・
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「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その11」
大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き
柳谷観音の大阪別院 泰聖寺と金龍水を見て、
右の山手には、星光学園。ここに料亭「浮瀬」跡があります。
現在は、星光学園に電話予約をしないと入れませんが・・・
与謝蕪村、十返舎一九、シーボルトなどが訪れています。
元禄7年(1694年)9月26日に松尾芭蕉が訪れ
「此路を行人なしに秋の暮れ」「此秋は何で年よる雲に鳥」
で詠み。浮瀬の句会の半月後に南御堂で急死しています。
ぜひ訪れたいと・・・ すぐに急な坂が・・・
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「大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その10」
大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き
柳谷観音の大阪別院 泰聖寺に
この泰聖寺は、宝暦5(1755)年に八代将軍徳川吉宗公の弟 紹空哲山惠隆上人によって、
眼病平癒のお寺として信仰がある柳谷観音楊谷寺の大阪霊場として創建されたもののようです。
創建当時、境内には「金龍水」「銀龍水」と呼ばれる井戸水が湧いていて、眼病に良い水として知られ・・・
太平洋戦争で井戸がかれ、金龍水を復活させたようです。
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