河内飛鳥(河内源氏の里) その6
河内飛鳥(河内源氏の里)ハイキング
河内源氏発祥の地の壺井にある壺井八幡宮
大阪みどり百選の樹齢1000年の楠を
パワースポットとして感じ、はるか昔を・・・・
井戸には古めかしい「壺井水」の表示が・・・
今は枯れた井戸に・・・・ 井戸を埋めたのかもしれないと・・・
史跡 壺井水の石柱
壺井水の案内ですが・・・・ 錆びて見えにくいのですが・・・
「安時代前9年の役(1051~1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、
弓の先で崖をつき崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれている。
平定完了して凱旋する際冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の香爐峯の南麓に
井戸を掘り、そこに冷泉の水を底に入れ苦戦の記念としたもので、これが「壺井」
の地名の起源となった。」と・・・
もう一度壺井水を見て・・・
鳥居をくぐって・・・
今度は、史跡 通法寺へと行くことにして歩きます。
古い常夜灯であったと思える燈籠が・・・・・・・
道標を見て
民家の窓にも壺井八幡宮の標識 わからない人が多いのかなと・・・・
道なりに歩きます。
ここにも地蔵堂が・・・・ 信仰が厚いことが思われ・・・・
ゆっくりと・・・
周りを見ながら進むと・・ ここを左折して史跡 通法寺へと・・・
歩きます。
道が細くなってきましたが・・・
建物が見えてきました。
これは・・・
通法寺の隣にあるので事務所でしょうか・・・・
これが通法寺です。
通法寺は、長久4年(1043年)、源頼義によって建てられた寺です。頼義が猟の途中、
山中で拾った仏像を本尊として安置したのがはじまりという。その後、河内源氏の
菩提寺となったが、南北朝時代に兵火にかかり焼失。元禄13年(1700年)、徳川幕府
により再建されたが、明治初期に廃寺になったとのことです。こんなに立派な山門が
ある寺なのにと・・・
立派な山門です。
山門の右には 「大正8年 大阪府 通法寺址」 の石柱
そこには・・・
山門をくぐり
境内を見ると
立派なお墓が・・・
これは 源頼義の墓 菩提寺なので当然、ここにお墓があるのかと・・・
今は静かに・・・
眠っています。
「源頼義朝臣之墓」と・・・・
河内飛鳥(河内源氏の里)ハイキング
河内源氏発祥の地の壺井にある壺井八幡宮
大阪みどり百選の樹齢1000年の楠を
パワースポットとして感じ、はるか昔を・・・・
井戸には古めかしい「壺井水」の表示が・・・
今は枯れた井戸に・・・・ 井戸を埋めたのかもしれないと・・・
史跡 壺井水の石柱
壺井水の案内ですが・・・・ 錆びて見えにくいのですが・・・
「安時代前9年の役(1051~1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、
弓の先で崖をつき崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれている。
平定完了して凱旋する際冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の香爐峯の南麓に
井戸を掘り、そこに冷泉の水を底に入れ苦戦の記念としたもので、これが「壺井」
の地名の起源となった。」と・・・
もう一度壺井水を見て・・・
鳥居をくぐって・・・
今度は、史跡 通法寺へと行くことにして歩きます。
古い常夜灯であったと思える燈籠が・・・・・・・
道標を見て
民家の窓にも壺井八幡宮の標識 わからない人が多いのかなと・・・・
道なりに歩きます。
ここにも地蔵堂が・・・・ 信仰が厚いことが思われ・・・・
ゆっくりと・・・
周りを見ながら進むと・・ ここを左折して史跡 通法寺へと・・・
歩きます。
道が細くなってきましたが・・・
建物が見えてきました。
これは・・・
通法寺の隣にあるので事務所でしょうか・・・・
これが通法寺です。
通法寺は、長久4年(1043年)、源頼義によって建てられた寺です。頼義が猟の途中、
山中で拾った仏像を本尊として安置したのがはじまりという。その後、河内源氏の
菩提寺となったが、南北朝時代に兵火にかかり焼失。元禄13年(1700年)、徳川幕府
により再建されたが、明治初期に廃寺になったとのことです。こんなに立派な山門が
ある寺なのにと・・・
立派な山門です。
山門の右には 「大正8年 大阪府 通法寺址」 の石柱
そこには・・・
山門をくぐり
境内を見ると
立派なお墓が・・・
これは 源頼義の墓 菩提寺なので当然、ここにお墓があるのかと・・・
今は静かに・・・
眠っています。
「源頼義朝臣之墓」と・・・・
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