正圓寺と兼好法師
大阪市阿倍野区にある海照山正圓寺。
別名、大阪の低山「聖天山」があることから聖天山正圓寺と呼ばれている。
「天下茶屋の聖天さん」と親しまれている
ここ正圓寺は、南海天下茶屋駅から歩いて約10分
最寄駅は阪堺電車北天下茶屋駅です。
兼好法師がこの近くに住んでいたとの・・・・・・
大きな天下茶屋聖天尊の看板があります。
ここから歩きます。突き当りが公園です。ここに聖天山古墳があります。
聖天山の石柱
ここから聖天山へ・・・・
階段を登り・・・
山門が見えてきました!!
右は・・・
左は・・・
山門をくぐり・・・
本堂が見えて来ました。
本堂の横は・・・・
鐘楼です。
左奥に・・・
そして・・・
本堂の横に「聖天山山頂」の標識 標高14m
正圓寺の境内にある「聖天山山頂」の標識は、「大阪5低山」に選ばれことでお寺が、作成したとのことです。
「大阪五低山」の一つです。大阪市内にある山です。
①天保山、4.5m ②聖天山、14m ③御勝山、14m ④帝塚山、20m ⑤荼臼山、26m
天保山以外は、すべて古墳です。(2.5万分図の記載の山です)
おっちゃんは、これらを含めて「なにわの低山をあるこう」と全部征服しています。
一度行かれては・・・
さて、この山頂からの眺めは・・・
昔は、海が見えていたとか・・・・
吉田兼好の「兼好法師の藁打石」の案内が・・・・
良く見ないと気が付きませんが・・・・
階段を下って・・・
この鳥居の左に・・・
わかりますか・・・
「兼好法師の藁打石」と・・・大聖歓喜天」と刻んだ標碑の礎石がその『藁打石』と言い伝えられています。
柵に囲まれて見にくいのですが・・・・
そして「兼好法師隠棲庵跡」
吉田兼好は南北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。
徒然草の一文が・・・随筆を読んだことはありませんが・・・
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて」だけ覚えています。
もうすぐ新年を迎えるに当たり、初詣で確認されてみませんか・・・
大阪市阿倍野区にある海照山正圓寺。
別名、大阪の低山「聖天山」があることから聖天山正圓寺と呼ばれている。
「天下茶屋の聖天さん」と親しまれている
ここ正圓寺は、南海天下茶屋駅から歩いて約10分
最寄駅は阪堺電車北天下茶屋駅です。
兼好法師がこの近くに住んでいたとの・・・・・・
大きな天下茶屋聖天尊の看板があります。
ここから歩きます。突き当りが公園です。ここに聖天山古墳があります。
聖天山の石柱
ここから聖天山へ・・・・
階段を登り・・・
山門が見えてきました!!
右は・・・
左は・・・
山門をくぐり・・・
本堂が見えて来ました。
本堂の横は・・・・
鐘楼です。
左奥に・・・
そして・・・
本堂の横に「聖天山山頂」の標識 標高14m
正圓寺の境内にある「聖天山山頂」の標識は、「大阪5低山」に選ばれことでお寺が、作成したとのことです。
「大阪五低山」の一つです。大阪市内にある山です。
①天保山、4.5m ②聖天山、14m ③御勝山、14m ④帝塚山、20m ⑤荼臼山、26m
天保山以外は、すべて古墳です。(2.5万分図の記載の山です)
おっちゃんは、これらを含めて「なにわの低山をあるこう」と全部征服しています。
一度行かれては・・・
さて、この山頂からの眺めは・・・
昔は、海が見えていたとか・・・・
吉田兼好の「兼好法師の藁打石」の案内が・・・・
良く見ないと気が付きませんが・・・・
階段を下って・・・
この鳥居の左に・・・
わかりますか・・・
「兼好法師の藁打石」と・・・大聖歓喜天」と刻んだ標碑の礎石がその『藁打石』と言い伝えられています。
柵に囲まれて見にくいのですが・・・・
そして「兼好法師隠棲庵跡」
吉田兼好は南北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。
徒然草の一文が・・・随筆を読んだことはありませんが・・・
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて」だけ覚えています。
もうすぐ新年を迎えるに当たり、初詣で確認されてみませんか・・・
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