岩湧山ハイキング~岩湧寺 その8
岩湧山ハイキング、四季彩館から岩湧寺へと
岩湧寺(いわわくじ)の名称の「岩湧」は、高い岩場が湧くが如く屹立
する風景からきたと伝えられ、和泉山脈・金剛山地を行場とする葛城
修験の霊場として知られています。
あまり知られていないため、静かに岩湧寺を見ることができます。
階段の道を上がり・・・・
細い山道を歩きます。
岩湧寺の多宝塔が見えてきました。
岩湧寺へと、参道を・・・・
ここは・・・社務所でしょうか・・・
立派な山門ですが・・・
ここを左に曲がると・・・本堂が・・・
こちらは本堂の右側
多宝塔に近づきます。
秋の紅葉の季節はいい感じと・・・
この多宝塔の仏像 多宝塔の本尊である大日如来坐像(平安末期で重要文化財)と
愛染明王坐像(鎌倉時代の作で河内長野市指定文化財)ですが、現在は堺市博物館に
寄託されています。無人なので仕方がありませんが・・・
もみじが・・・
そして多宝塔は、国の重要文化財です。室町時代末期建立、高さ13mあります。もっと宣伝してもよさそうなのに・・・・
この境内の杉林は、樹齢400年以上あり、老木があるのは河内長野でここだけの景色です。大きいでしょう!!
本堂は・・・・
大宝年間(701~704)に修験道の開祖 役小角(役行者)が開基したお寺です。
山伏たちの修験道場として栄え、役行者は、大峯山の山上ヶ岳へ修行の場を移すまで、ここ岩湧山で修行していたとか。
そのため岩湧山は、元々の修行の場であったことから「元山上」と呼ばれています。
南海三日市町の駅前に岩湧寺の石碑が・・・・ ここに河内元山上 岩湧寺 是南約五十丁」の文字があります。
このことを物語っているようです。
本堂は、江戸時代初期の建物です。
本堂と多宝塔
境内には地蔵堂も・・・
もっと早く訪れればシャクナゲがきれいだったのにと・・・・
いよいよ岩湧山に上ろうと・・・・登山口へと進みます。
岩湧山ハイキング、四季彩館から岩湧寺へと
岩湧寺(いわわくじ)の名称の「岩湧」は、高い岩場が湧くが如く屹立
する風景からきたと伝えられ、和泉山脈・金剛山地を行場とする葛城
修験の霊場として知られています。
あまり知られていないため、静かに岩湧寺を見ることができます。
階段の道を上がり・・・・
細い山道を歩きます。
岩湧寺の多宝塔が見えてきました。
岩湧寺へと、参道を・・・・
ここは・・・社務所でしょうか・・・
立派な山門ですが・・・
ここを左に曲がると・・・本堂が・・・
こちらは本堂の右側
多宝塔に近づきます。
秋の紅葉の季節はいい感じと・・・
この多宝塔の仏像 多宝塔の本尊である大日如来坐像(平安末期で重要文化財)と
愛染明王坐像(鎌倉時代の作で河内長野市指定文化財)ですが、現在は堺市博物館に
寄託されています。無人なので仕方がありませんが・・・
もみじが・・・
そして多宝塔は、国の重要文化財です。室町時代末期建立、高さ13mあります。もっと宣伝してもよさそうなのに・・・・
この境内の杉林は、樹齢400年以上あり、老木があるのは河内長野でここだけの景色です。大きいでしょう!!
本堂は・・・・
大宝年間(701~704)に修験道の開祖 役小角(役行者)が開基したお寺です。
山伏たちの修験道場として栄え、役行者は、大峯山の山上ヶ岳へ修行の場を移すまで、ここ岩湧山で修行していたとか。
そのため岩湧山は、元々の修行の場であったことから「元山上」と呼ばれています。
南海三日市町の駅前に岩湧寺の石碑が・・・・ ここに河内元山上 岩湧寺 是南約五十丁」の文字があります。
このことを物語っているようです。
本堂は、江戸時代初期の建物です。
本堂と多宝塔
境内には地蔵堂も・・・
もっと早く訪れればシャクナゲがきれいだったのにと・・・・
いよいよ岩湧山に上ろうと・・・・登山口へと進みます。
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