音多歌樂箱 オタカラバコ・音楽療法の待合室

東信濃に生息する看護師×出前音楽療法士ハラサチコの覚書。

逆さ霧ふたたび

2009-07-11 18:12:57 | 特:Special
昨日の太郎山。
だんだん綿アメに見えてきた私は、そのとき空腹でした(^_^;)

雲が生き物のように、どんどん動いていくさまは見応え十分。
コンビニに車を停め、しばし眺めてリフレッシュ。

有難く拝見しました

2009-07-08 22:36:51 | 看:Nursing
きょう、訪問先で本物の「召集令状」を拝見しました。
見せてくださったのは令状を受け取ったご本人です。

明治生まれのその殿方は、お若い頃から齢百近い現在に至るまでの
さまざまなパーソナルデータ(明細、私信、辞令、写真など)を
きちんと保存していて、サービス終了後にその分厚いファイルを
開き、ひとつひとつに説明を加えながら見せて下さいました。
いずれもご本人の生活史資料としての証になるのはもちろん、
その殿方の在職期間を通して地域行政の歴史を学べるのではないかと
思えるほど貴重な資料でもありました。
その中にあったのが、「令状のとおり一旦職場を離れる」という
辞令と、召集令状でした。私、本物を見たのは初めて。
想像していたよりもシンプルな内容でした(赤くもなかったし)。
感情や事情を排さなければならないような内容だからでしょうか。
ファイルのポケットには、寄せ書き入りの日の丸や軍服写真なども
保存されていました。物言わぬ品ですが、「国策」の恐ろしさや
戦争の愚かさを後世の私たちに伝えてくれているように感じました。

その後に見せてくださったのは、「軍隊除籍通知」、そして
復職の辞令でした。どんな気持ちでその通知を受け取ったのかな…
「それ」が届いたら、家族がいようが仕事があろうが赴かねば
ならない時代を生き抜いてくれたから、今こうしてお行き会いして
いられるんだなぁ、と思ったらグッときてしまいました。

戦後の経済成長やバブル崩壊、そしてこの国の迷走ぶりを
憂う半面、ご自身については一貫して「自己責任」を
ポリシーに暮らしておられる、とても芯の強いお方です。
その殿方の生活から学んだことはたくさんありますが、
「上手な嘘より下手な誠」など、人として当たり前の姿勢を
自ら作った標語で私たち若造に教えてくれたりします。
話題も豊富です。お話が、これまた面白いのなんの。
昨今の政治やニュースも冷静に分析しています(やや辛口)。

ちなみに、戦時中に亡き奥様へ駐屯地から宛てた葉書が何通か
そのファイルから出てきました。
毎年直筆の年賀状(干支の絵入り)を下さる筆まめな殿方のこと、
きっと奥様にもたくさんお便りを出していたのでしょうね。

修行と思えばよいのだ

2009-07-05 22:36:44 | 箱:Private
出来事を文字にすることがしんどいときもあるものですね。
この週末は、楽しいことや嬉しいこともたくさんあったのですが
ちょっと引っ張りそうな失敗もやらかしまして…
健康度としてはあまり高くないかも。
でも、自分で解決しなければならない仕事上のことですので
ここは克服するしかないのです。

楽しかったことは、残しておこう。

木曜日…
TATSUROバンド練習。「課題曲」の中でも、徐々にお気に入りに
変わりつつある曲もあります。しかし、兄さん方はタフだ。

金曜日…
カエルブルウのフォークナイトで、久々に歌伴。
よしだたくろう、もっと勉強します。

土曜日…
友人N氏主宰のの音楽集団「音だまくらぶ」雨やどりコンサート。
午後のリハから夫が待つPA部隊に合流し、裏方を堪能。
音だまメンバーには本当に癒されます。大人にも子どもにも。

そして日曜日。
お世話になっている音楽教室の発表会お手伝い&ちょい出演。
のびやか&朗らかなジャズシンガーのヴォーカルも聴けて、
心身ともによい研修になりました。

今月は大きな仕事が複数入っています。
誕生日が明けて早々からヘルパー講義(3時間×10日)が始まり、
外部講師として出向く「みんなで考える音楽療法の新しいあり方」
(上越まで伺います。7月、10月、1月の計3回)も初日を迎えます。
そのほか、来年のJMTA信越北陸支部大会(長野開催)の準備会、
「特:Special」に関連する事柄も、いろいろと詰める予定。
皆さんに喜んでいただけるといいなぁ。
カエルブルウの日曜ライブは19日。皆様お越し下さいませ。

へこんでいる場合じゃないぞ、自分。
今晩は早く寝てリカバリーしよう。うん、そうしよう。

あきらめる=あきらか、つまびらかになる

2009-07-01 23:27:01 | 箱:Private
ちょっと思うことがあり、調べてみたことをからめつつ、
「ある若者」にメッセージをしたためてみようと思います。
(彼女たちが読むかどうかは分かりません。でも、書きます)
私信のようなものですが、お付き合いいただけると幸いです。

いまや「あきらめない」のは、夢を叶える上でもっとも大切な
気持ち、であると考えている人が多い世の中になりました。
でも、私はちょっと違うのではないかと思っています。
『諦める』は決して「後ろ向き」や「負け」を意味する言葉では
ありません。「絶対にあきらめない、あきらめたくない」と
いう時は、確かに過去の私にもありました。でもね。

もともと「諦める」は仏教用語で、現在の使われ方とは異なります。
「物事の道理が明らかになり、なぜ願いが叶わないのかが分かって
納得したうえで断念する」というプロセスを意味していたものが、
いつしか「断念する=負ける」に歪曲してしまったのだそうです。
大谷大学HP上で、一郷正道教授が詳しく説明してくれています)
「絶対に夢を叶える」「信じていれば叶う」これは信念としては
心の奥底に抱いていて良いとは思いますが、渾身の力を込めたことが
不本意な結果に終わってしまったときこそ、成長のチャンスです。
ひょっとしたら現状のやり方では叶いませんよ、ということを
「途中経過」として教えてくれたのかも知れない。

だから、おばちゃんはこう思うのです。
あなた方がもしも「言霊」という存在を信じるのであれば、
「あきらめない」と口に出す(あるいは文字にする)ことを
ちょっと休んでみることをお薦めします。
「絶対にあきらめない」ということは、真理から目を背け続けると
宣言しているのと同じなのではないかな、と思うのです。
この先、音楽を人に届ける人生を進んでいきたいのであれば、
たとえば先人たちの考えやアドバイスに耳を傾けてみたり、
プロフェッショナルの添削を受けてみるなど、行動や考え方を
変えてみると、その先に道が見えてくるかも知れない。
そして、その上で「諦める」ことがあっても、それはきっと
あなた方の人生の中で「誇れる決断」になると思います。
今はとてもそんなふうには思えないとしても。

以上、あなた方の倍を生きるおばちゃんからのお節介でした。