ナースにとって、自分の目で見た事象や手で触れた感触から得られる情報は、
ときに検査データや画像資料に勝ることもあります。
余談ですが、医師は診断のために様々なデータを集めることから始めます。
それは診断に誤りがあってはいけないから、というのをある医師から
聞いたことがありますが、残念なことに患者さんにほとんど触れずに手短に
診察や回診を終わらせていた医師もいました。
医師として、というより人として如何なものか、と思うことが多かった人でも
ありましたが、かつて両手両足ギプス固定の患者さんをレントゲン室に連れていく
指示が入り、ストレッチャーに移乗しなければならなかったとき、先輩達が
それぞれの部屋で患者さんのケアにあたっていて手が離せない状態でした。
四肢ギプスのうえ身体の大きな患者さんを、一人では移せないよな…
無理な状況下で困っていたら、詰所で談笑するその医師たちの姿が見えました。
迷ったあげく、手を貸していただきたい旨を丁重に伝えました。
(何しろ指示を出した張本人だし)すると、その医師はこう言い放ちました。
「そんなことを医者にやらせるな!看護婦の仕事だろう」
手と目と耳、の本論からはちょっとずれますが、患者さんに触れもせずに
診断をつけ、顔を見なくても「とくに変わりない」という人からの情報だけで
薬が処方できてしまうって、すごい。
けど、感覚的に到底分かりかねます、私には。
昨年の音楽療法学会支部大会で、尊敬する先生の「セラピストの肉体改造」と
いう表題の講演があったのですが、その目の前にいる人の「声以外の声や
雰囲気を感じとり、それを共に味わう感覚を磨く能力」が療法士には
もっと求められるのだと述べておられました。
その「声にならない声」や機微は、その人の目の前に行って、見て、
触れてみることで初めて分かるものなんだ、と思います。
看護の「看」の字は『手』と『目』が組み合わさって出来ています。
すてきだなぁ、と思うナースがもし近くにいたら、ちょっと観察してみて下さい。
まず目の前にいるあなたを見て、触れて、声を聞く(順不同)ことから
始めているはず。
ときに検査データや画像資料に勝ることもあります。
余談ですが、医師は診断のために様々なデータを集めることから始めます。
それは診断に誤りがあってはいけないから、というのをある医師から
聞いたことがありますが、残念なことに患者さんにほとんど触れずに手短に
診察や回診を終わらせていた医師もいました。
医師として、というより人として如何なものか、と思うことが多かった人でも
ありましたが、かつて両手両足ギプス固定の患者さんをレントゲン室に連れていく
指示が入り、ストレッチャーに移乗しなければならなかったとき、先輩達が
それぞれの部屋で患者さんのケアにあたっていて手が離せない状態でした。
四肢ギプスのうえ身体の大きな患者さんを、一人では移せないよな…
無理な状況下で困っていたら、詰所で談笑するその医師たちの姿が見えました。
迷ったあげく、手を貸していただきたい旨を丁重に伝えました。
(何しろ指示を出した張本人だし)すると、その医師はこう言い放ちました。
「そんなことを医者にやらせるな!看護婦の仕事だろう」
手と目と耳、の本論からはちょっとずれますが、患者さんに触れもせずに
診断をつけ、顔を見なくても「とくに変わりない」という人からの情報だけで
薬が処方できてしまうって、すごい。
けど、感覚的に到底分かりかねます、私には。
昨年の音楽療法学会支部大会で、尊敬する先生の「セラピストの肉体改造」と
いう表題の講演があったのですが、その目の前にいる人の「声以外の声や
雰囲気を感じとり、それを共に味わう感覚を磨く能力」が療法士には
もっと求められるのだと述べておられました。
その「声にならない声」や機微は、その人の目の前に行って、見て、
触れてみることで初めて分かるものなんだ、と思います。
看護の「看」の字は『手』と『目』が組み合わさって出来ています。
すてきだなぁ、と思うナースがもし近くにいたら、ちょっと観察してみて下さい。
まず目の前にいるあなたを見て、触れて、声を聞く(順不同)ことから
始めているはず。