大きな集団セッションになればなるほど、ある程度明確な「枠組み」が
必要になります。駆け出しのころは、選曲まで前夜必死に考えて、こんな
展開で…と綿密にプランニングしたものですが、その頃のセッションと
今のセッションを比べると、現在は非常に緩くなりました。
こちらの頭の中で出来上がったものを実施して、それはそれで喜んで
もらえたのですが、それはセッションとは似て非なるものでした。
その昔、講座の師匠に「(勉強を)始めて2~3年はプランニングを
じっくりやるようでなきゃダメよ。でも、いつでもその場に適応できる
臨機応変さも身につけてね」とアドバイスを受けたものですが、
時を経て、1ケタの人数でのセッション経験を積むようになり、
その言葉の真意を感じられるようになりました。現在、宅老所での
セッションは、その場に居合わせる人たちを取り巻く空気のような
存在を目指していますが(位置付けとしてたとえて言うなら、
「台所から漂う、なんともいえない良い匂い」)、
そんな時間の最中や後に、「ちょっと良い感じ」という感想が
スタッフからもらえると、ひそかにとても嬉しかったりします。
この「ユルさ加減」に興味をお持ちの方のお越しをお待ちしております。
必要になります。駆け出しのころは、選曲まで前夜必死に考えて、こんな
展開で…と綿密にプランニングしたものですが、その頃のセッションと
今のセッションを比べると、現在は非常に緩くなりました。
こちらの頭の中で出来上がったものを実施して、それはそれで喜んで
もらえたのですが、それはセッションとは似て非なるものでした。
その昔、講座の師匠に「(勉強を)始めて2~3年はプランニングを
じっくりやるようでなきゃダメよ。でも、いつでもその場に適応できる
臨機応変さも身につけてね」とアドバイスを受けたものですが、
時を経て、1ケタの人数でのセッション経験を積むようになり、
その言葉の真意を感じられるようになりました。現在、宅老所での
セッションは、その場に居合わせる人たちを取り巻く空気のような
存在を目指していますが(位置付けとしてたとえて言うなら、
「台所から漂う、なんともいえない良い匂い」)、
そんな時間の最中や後に、「ちょっと良い感じ」という感想が
スタッフからもらえると、ひそかにとても嬉しかったりします。
この「ユルさ加減」に興味をお持ちの方のお越しをお待ちしております。