音多歌樂箱 オタカラバコ・音楽療法の待合室

東信濃に生息する看護師×出前音楽療法士ハラサチコの覚書。

出発点はボランティア

2006-01-16 22:47:09 | 音:Music Therapy
前記事で「(音楽)ボランティアについてどうお考えでしょうか?」という
質問を頂戴していました。
質問を下さったshanshankotokotoさん、ありがとうございます。
自分の経験をもとに、考えをまとめてみますね。

音楽療法を学びたいと思ったのは今から10年以上前になりますが、
そう思った4年後、もっと活動範囲や足元を広げたいと思った私は、
勤務していた施設を退職して一度フリーになりました。(技術的にも人間的にも
未熟だったので、結局のところその時は別職について遠回りをしたのですが)
その無謀なフリーの期間、近くのデイサービスで定期的な音楽ボランティアを
長い間やらせていただきました。今現在、有償でセッションしている施設にも
(何を隠そう、上記の元職場ですが)6年間ひたすら修行に通ったなあ・・・
そういうベースがあるので、音楽ボランティアを否定する考えはありません。
自分もその一人であったように「志す人が通る道」だと思っています。
ただし、これは音楽療法を学びたいという「芯」あっての行動や思考であり、
プレイヤーの方々が施設等を訪問する際によく標榜する「音楽ボランティア」とは
似て非なるもの、と考えています。
どちらも「演奏等により、目の前にいる方々に楽しんで(喜んで)いただく」と
いう共通のねらいはありますが、もしも聴いてもらうこと(感動を与えたい、と
いうのも同義)が目的のボランティア活動を音楽療法と呼ぶとしたら、
それはちょっと違うのではないかと思います。
どちらにしても「自ら社会貢献のために行動する」ことに変わりはなく、
持てる演奏(表現)技術を、必要としている方々に惜しみなく披露している方々は
まわりにたくさんいますし尊敬していますが、反応や空気をまったく無視した
演奏をもって音楽療法を標榜している人も少なくはないです。
(・・・うーん、でもよく考えると、いま音楽ボランティアをしている人の中には
「そこまで堅苦しく考えてないんですけど・・・」と躊躇しながらこの記事を
読んでいる人もいるかも知れませんね。)
自分の足で現場を探して、門をたたくことや、長く続けることは大賛成です。
そういう時に蒔いた種は、その先必ず発芽しますので。もっと大事に育てると
花も咲くし実もつけます。この実は非常に美味なので、志す人にはぜひ
味わって欲しいな、とも思います。

昨日は音楽療法士補の試験だったそうですね。
受験した方々に良き知らせが届きますように。