介護保険の認定申請をすると、訪問調査という手続きが行われます。
制度運用スタートの年から3年ちょっと、その仕事をしていました。
申請があった方に直接お行き会いするべく、電話でまず調査日程を決める
ところから始まるので、その電話で失礼のないように細心の注意を払います。
(勤めていたのが広域連合だったので、それを名乗ると「れんごう?うちは
労働組合に知り合いはいないよ」とか、市内にあるレ○ゴー青果と勘違いして
「青果市場でも介護のことをやるんですか?」など、どういう機関なのかを
伝えるだけで一苦労、というお家もあったなぁ・・・役所に対する不満爆発な
方の話を30分電話で聞きつづけたことも)
日程調整ができて、晴れておじゃまできるのですが、そこで何度も聞いたのが
介護保険に対するかかりつけ医の、勘違いも甚だしい言動の数々でした。
膝の痛みと変形があり、段差を越えることが困難になったというある女性は、
家屋内のリフォームと杖などのレンタル希望で申請しました。
そのお宅はその女性のひとり暮らしで、昔ながらの高い上がりかまちと
いたるところにある段差をまたいで、転ばないように気をつけていることなど
電話で話してくれました。さて、ではいつお邪魔しましょうか・・・という話に
なったとき、「来週主治医のところに受診する予定なので、それから決めても
いいですか?」との申し出があり、受診後の返答を待つことに。
その数日後、女性から電話がありましたが、なんと「申請を取り消そうかと
思って・・・」という意外な申し出でした。本人からの申し出であれば、それを
妨げることはできませんが、確か初めての電話では必要であると言ってたのが
気になって、離れたところに住む血縁の方に連絡をとってみると、
やはり困っていることに変わりはないので手続きを進めてほしい、との返答でした。
お宅に伺って調査を実施したあと、その女性が申請取り消しの申し出について
なんともはや・・・な顛末を語ってくれました。
主治医から「まだあなたには介護なんて必要ない」と断言されたあげく、
介護保険を申請したことをひどく怒られ、「そんな意気地のなさが
人間をダメにするんだ。私は書類(主治医意見書)が来ても書かないぞ」
と言われてすっかりへこんで帰ってきたのだそうです。
ちなみにその医師はどの患者さんにもそのようなことを言うキャラらしく、
通院に杖やシルバーカーなどを使っているのを目撃された日にゃ、そのことを
怒られたうえ「俺の言うことを聞けないんだったら、もう診察してやらない」と
言われてしまうのだそうで・・・ああ、今思い出しても腹立たしい。
また、余命いくばくもない方を在宅で看取ることになったので、早くサービスを
利用したいというケースでも、「医療的には介護保険を使ってどうの、という
段階ではないから書類を書けない」という理由で医師の書類が遅れて審査も滞り、
結果を待たずに(つまりサービスを使えないまま)亡くなった、ということも。
上記、最初のエピソード中の主治医には、結局「上」から督促をかけて
かなり滞ったあげくにようやく書類を提出してもらいました。
それから時がたった現在、勘違いをしていると思われる医師の弁明を
時折聞く機会があるのですが、非常にみっともないですよ、先生方。
(もちろん、大部分の医師や医療機関は真摯に制度や患者さんと向き合って、
市民の利益のために貢献してくださっていますよ、念のため)
介護保険のサービスが必要かどうかを決めるのは断じて医師ではないですから。
ましてや、「俺の言うことが聞けないなら・・・」なんてのは問題外。
確かに、訪問看護や通所リハビリなどには医師の診断書や指示書は不可欠ですが
介護保険の主治医意見書はそういった医師の権限を振りかざすものでは
ない、というのがなぜ分からないんでしょう?いい大人なのに。
病気の診断や処方は医師にしか出来ません。しかし、その「診断できる立場」を
拡大解釈した行動や言動が市民の不利益になるようなら、本末転倒ですよね?
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制度運用スタートの年から3年ちょっと、その仕事をしていました。
申請があった方に直接お行き会いするべく、電話でまず調査日程を決める
ところから始まるので、その電話で失礼のないように細心の注意を払います。
(勤めていたのが広域連合だったので、それを名乗ると「れんごう?うちは
労働組合に知り合いはいないよ」とか、市内にあるレ○ゴー青果と勘違いして
「青果市場でも介護のことをやるんですか?」など、どういう機関なのかを
伝えるだけで一苦労、というお家もあったなぁ・・・役所に対する不満爆発な
方の話を30分電話で聞きつづけたことも)
日程調整ができて、晴れておじゃまできるのですが、そこで何度も聞いたのが
介護保険に対するかかりつけ医の、勘違いも甚だしい言動の数々でした。
膝の痛みと変形があり、段差を越えることが困難になったというある女性は、
家屋内のリフォームと杖などのレンタル希望で申請しました。
そのお宅はその女性のひとり暮らしで、昔ながらの高い上がりかまちと
いたるところにある段差をまたいで、転ばないように気をつけていることなど
電話で話してくれました。さて、ではいつお邪魔しましょうか・・・という話に
なったとき、「来週主治医のところに受診する予定なので、それから決めても
いいですか?」との申し出があり、受診後の返答を待つことに。
その数日後、女性から電話がありましたが、なんと「申請を取り消そうかと
思って・・・」という意外な申し出でした。本人からの申し出であれば、それを
妨げることはできませんが、確か初めての電話では必要であると言ってたのが
気になって、離れたところに住む血縁の方に連絡をとってみると、
やはり困っていることに変わりはないので手続きを進めてほしい、との返答でした。
お宅に伺って調査を実施したあと、その女性が申請取り消しの申し出について
なんともはや・・・な顛末を語ってくれました。
主治医から「まだあなたには介護なんて必要ない」と断言されたあげく、
介護保険を申請したことをひどく怒られ、「そんな意気地のなさが
人間をダメにするんだ。私は書類(主治医意見書)が来ても書かないぞ」
と言われてすっかりへこんで帰ってきたのだそうです。
ちなみにその医師はどの患者さんにもそのようなことを言うキャラらしく、
通院に杖やシルバーカーなどを使っているのを目撃された日にゃ、そのことを
怒られたうえ「俺の言うことを聞けないんだったら、もう診察してやらない」と
言われてしまうのだそうで・・・ああ、今思い出しても腹立たしい。
また、余命いくばくもない方を在宅で看取ることになったので、早くサービスを
利用したいというケースでも、「医療的には介護保険を使ってどうの、という
段階ではないから書類を書けない」という理由で医師の書類が遅れて審査も滞り、
結果を待たずに(つまりサービスを使えないまま)亡くなった、ということも。
上記、最初のエピソード中の主治医には、結局「上」から督促をかけて
かなり滞ったあげくにようやく書類を提出してもらいました。
それから時がたった現在、勘違いをしていると思われる医師の弁明を
時折聞く機会があるのですが、非常にみっともないですよ、先生方。
(もちろん、大部分の医師や医療機関は真摯に制度や患者さんと向き合って、
市民の利益のために貢献してくださっていますよ、念のため)
介護保険のサービスが必要かどうかを決めるのは断じて医師ではないですから。
ましてや、「俺の言うことが聞けないなら・・・」なんてのは問題外。
確かに、訪問看護や通所リハビリなどには医師の診断書や指示書は不可欠ですが
介護保険の主治医意見書はそういった医師の権限を振りかざすものでは
ない、というのがなぜ分からないんでしょう?いい大人なのに。
病気の診断や処方は医師にしか出来ません。しかし、その「診断できる立場」を
拡大解釈した行動や言動が市民の不利益になるようなら、本末転倒ですよね?
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