数日ぶりに小雨が降った。庭の花や木にはちょうどいいだろう。今日一日は曇天のようだ。家の庭には杉の木が何本か植えられているがその杉の木や塀には蔦が伸びて全体を覆い隠すようにまでなって来た。山の木々を覆う葛と同じく、蔓性の植物の繁殖力には驚かされる。大阪から釜石へ戻って来たとき、娘が大阪の名家の葛餅を土産に持って来てくれた。この葛餅が周辺の山を覆う葛から出来ていることを話すとびっくりしていた。葛は昔から様々な用途に使われている。葛の蔓も丈夫でこの蔓を使って籠などが編まれていた。各地の郷土資料館などに行くと、こうした山野の植物を利用した民芸、工芸品などもよく見られる。特に東北は冬の藁で作られた日用品が多い。周囲の自然の材料が用具に使われた時代は考えてみればさほど遠い時代のことではない。むしろ、今のような石油製品に変わってから時代的にはさほど経ってはいない。生活様式の変化はこの50年が急激だったのだ。四国でさえ「あかぎれ」や「しもやけ」の子供たちを見かけたが、アトピーや喘息の子供などは見かけたことがなかった。食べ物が乏しかったために子供たちは人目から離れた畑からトマトやキュウリ、芋などをこっそりと失敬していた。遊び道具も既成のものは限られていたため、身の回りの空き缶や板や竹などを使って自分たちで遊び道具そのものを作るしかなかった。車などほとんど通ることのない未舗装の道路に次々に年齢の異なる子供たちが集まって来ては一緒になって遊んでいた。年長の子供が年下の子供を暗黙のうちに気遣い、体力や智慧のある年少の子供は年長の子供と対等に遊ぶ場面も見られた。子供たちはある意味で現在の子供たちより早く自立せざるを得ない環境に於かれていたのかも知れない。自然もごく身近なものだった。ナイフを自由に操って木や竹を切って遊び道具を作っていた。池では筏を組んで危なっかしく大人に隠れて遊んでいた。少しだけ住宅街から離れた山裾を流れる川では真っ裸になった子供たちが岩の上から次々に飛び込んでいた。海も近く、夏は毎日のように連れ添って出かけていた。以前友人から太平洋の島々では心を病む人はほとんどいない、という話を聞いた。今は地方でも心を病む子供たちがいる。アトピーや心の病みは心身の悲鳴なのだろう。急速に変化した環境に動物である人間がついて行けないのだ。ついていけないと同時にどう対処していいか分からないのだ。歴史をみれば人類は着実に変化して来たことは確かだが、この50年から100年はこれまでの人類の歴史の中で経験したことがない急速な変化の時代だった。科学が、自然科学があまりにも急速に「進歩」した。それはいい悪いの問題でもなく、科学そのものに内在する性質のものでもあるだろう。科学にも人文科学や社会科学もあるがそれらはむしろ人類の歩みのスピードに近く「発展」しているのだろうが、自然科学だけが突出したスピードで「進んでいる」のではないだろうか。その突出した自然科学をそのまま受け入れていることが不調和をもたらしている部分があることに気付かなければならないのではないか。遺伝子組み換えの技術などもそれ自体有益なものをもたらしてくれる可能性が大いにあるだろうが、それによって生態系が調和を乱さないか、十分に検討する必要があるだろう。たかだかお湯を沸かすだけに核分裂、しかも熱効率の極めて悪いものを利用するなどということも安易過ぎないだろうか。制御する技術すら未完成のものだ。人類はすばらしいと同時にあまりにも愚かな、矛盾した存在だ。この発展スピードの早い自然科学をどこかで調和させる仕組みを社会の中に築かなければいずれ人類は自ら破滅の道に向かう可能性すらあるだろう。東北のこの豊かな自然を見ていると人類のある意味でひ弱さを感じる。
ススキ かっては茅葺き屋根の材料として茅場が確保されていた