釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

変わらない「甘い」見方

2011-09-15 19:21:10 | 文化
予想と違って今日は良く晴れて気温も30度近くになっている。しかし風があるため日陰では涼しい。職場の裏山からミンミンゼミの声が聞こえて来た。岩手県は北海道に次ぐ面積があるが大半が山地になっている。太平洋沿岸部もぎりぎりまで山が迫っている。海に注ぎ込む川のあるところだけが川の大きさに応じて砂州が形成されてそこに集落が出来ている。従って沿岸部で広い面積を持つ市町村は基本的に低地になっている。そうした低地が今回の津波で被災した。最近被災した釜石、大槌の人たちが入居した山裾の仮設住宅に月輪熊が出没している。仮設住宅のゴミ捨て場に餌になるものを見つけたためだろう。高齢者や子供も入居しているので危険なのだが、仮設住宅の用地が限られており、どうしても山裾の土地を使わざるを得ない。何とか被害が出なければいいが。土木学会東日本大震災特別委員会の津波特定テーマ委員会が発表したところでは今回の津波後の現地調査の結果、釜石の北になる宮古市では陸地の斜面をさかのぼった津波の高さ「遡上高」が39.7mに達していたという。これは1896年の明治三陸地震で大船渡市綾里で確認された38.2mを超える観測史上最高の遡上高となる。津波は語源的には「津の波」、港を襲う波ということだが東北の太平洋沿岸部では過去にも何度も津波の被害を受けて来ている。宮城県の仙台平野は北上川と阿武隈川からの堆積によって作られた湿地帯であった。伊達政宗がここに本拠を築いて以来、その湿地の排水が取り組まれ、次第に人の住む平地が広がって行った。それとともに耕地が広げられて行った。この仙台平野の表層堆積物の地質調査をすることで過去3000年間に3度、津波が溯上していたことが分かっていた。また堆積物の年代測定から800~1100年ごとに巨大な津波が来ていたことも分かっていた。その最後の貞観地震津波から1100年がすでに過ぎていたことも分かっていた。東北大学や産業技術総合研究所・活断層・地震研究センターなどは2009年にもそれらの内容を発表していた。しかし、こうした研究のために地質調査をしようとすると「迷惑だ」と地元当局に言われたこともあったと言う。要するにそれまでの対策で十分なのだからこれ以上詮索しないで欲しいということだったのだろう。昨日国連は東京電力福島第1原発について事故の可能性の想定が「甘すぎた」と批判している。また世界83カ国が加盟し、1985年にノーベル平和賞を受賞している「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)は先月「政府機関が公衆の健康より政治的・経済的利益を優先してきたのではないかとの疑問が上がっている」、「自国の一般公衆にふりかかる放射線に関連する健康上の危害をこれほどまで率先して受容した国は、残念ながらここ数十年間、世界中どこにもない」などと述べた上で、 (1)被曝の許容線量を、外部被曝と内部被曝の両方で年間1ミリシーベルトに早急に戻す。これは特に子どもと妊婦にとって重要だ。(2)汚染された地域の住民および福島第一原発の全作業員の包括的登録と、被曝の早期評価・生涯にわたる長期的健康調査を実施すること。(3)放射線防護策実施に当たっては避難しか方法はなく、事故現場から八〇~一〇〇キロ圏内で避難者に対する援助策も含めた避難計画を立案・実施すべきだ――。と緊急措置を求めている。今回の震災は自然災害をきっかけとして起きた人災の側面が非常に大きい。巨大津波の危険性はすでに警告されていたし、地震も活動期に入っていたことも警告されていた。全てが甘く見られてていた。しかもその甘い見方は震災後も続いており、たくさんの子供や妊婦が被曝を続けさせられている。この「甘さ」の淵源は「お役所仕事」と無関係ではないように思う。自分たちが経験した過去の想定内のことにしか対応出来ない。地方の自治体も国の各省庁も同じだ。同じ仙台藩であった陸前高田市、大船渡市、住田町の近隣3市町は新しい街作りを目指して、陸前高田市に太陽光発電システムと大規模な定置型蓄電池を設置して、電力を大船渡市や住田町に供給する構想が出ている。これなどは壊滅的な被害を受けた陸前高田市だからこそ再生に新しい発想を取り入れることが可能となった側面が大きいと思われる。
川岸のコスモス