釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「押す」から「引く」への転換が・・・

2011-09-04 19:37:35 | 文化
大型の台風12号は日本海へ抜けたようだが、近畿や中国地方で大量の雨を降らせて被害を残している。釜石は風はそれほど強くないが雨が続いて甲子川が増水している。岩手県は周囲に山が多く、そこに降りそそいだ雨は一気に川に流れ込み、たちまち川は雨水で溢れかえる。そのため単線のJR釜石線はよく運休される。今日も雨が止んでいる間は近くの甲子川の強くなった流れの音とともにミンミンゼミの鳴く声が聞こえて来る。「野分」や「二百十日」は秋の強い風を表すが、野分はすでに源氏物語でも使われている。二百十日は漁師の世界で強く根付いていたようだ。秋の時化は漁師にとって命に関わる。これほど文明が進んでも台風一つで人命が脆くも失われてしまう。自然の威力の前では人の文明などひどく小さなものに見えてしまう。「大地動乱の時代」に突入した現在、あらためてその自然の脅威と向き合う必要がある。そしてその脅威と共存して行くための発想の転換を図る必要がある。今回三陸沿岸に押し寄せた津波は平均すると4トントラックが時速40Kmの速さでぶつかった時と同じ圧力だったという。著名な防潮堤や堤防はすべて破壊された。陸では宮城県女川町のコンクリート建造物のすべてが倒壊した。壁や窓が破壊されて運良く圧力が逃がされる形になった建物のみが後に残された。津波が進むのに抵抗を示したものが全て破壊されたわけだ。東北大学の海底観測器では今回の津波の際の海底隆起をしっかり捉えていた。2008年2月の日本地震学会発行の『Earth, Planets and Space』誌ではインターネット用などですでに海底に敷設されている光ファイバー・ケーブルを利用することで安価にケーブルに生じる電圧の突発的上昇を、津波警告システムとして使用できる可能性があるとしている。経済的に余裕があれば大規模な海底圧力計を敷設することでもちろん津波の警報を速やかに出すことが出来る。こうしたシステムを使って津波を速く伝えることで人命を損なうことから免れることが出来る。「津波地震」と呼ばれる地震がある。これは通常の津波のように強い揺れを伴った地震の後、少し遅れてやって来る津波とは全く異なり、地震の規模は大きいにもかかわらず、揺れはせいぜい震度わずか2~3程度でごく小さな揺れしか感じない。ほとんどの人は気にも止めない程度の揺れでしかない。ところが巨大な津波を後にもたらす。1896年の明治三陸地震の際の津波がこれに当たる。マグニチュード8.2- 8.5という巨大地震であったにもかかわらず、わずかないつも無視している程度の揺れだったために三陸沿岸の人々はほとんどが逃げることをしなかった。突然襲って来た津波にあっという間に飲み込まれて行った。これが大きな揺れが事前にあった1933年の昭和三陸地震より多くの犠牲者を生んだ原因だ。 1605年の慶長大地震も同様の地震であったため三陸で多くの犠牲者を出している。1960年のチリ地震では津波がハワイに到達した時点で日本の気象庁に津波を警告する電報がよせられたが、気象庁は可能性は薄いと判断して警報を出さなかった。当然犠牲者は多く出てしまった。米国の地震学者や地質学者の間では米国北西部の全長がおよそ1100Kmに及ぶ「カスケード沈み込み帯」で今後50年以内にマグニチュード9の大地震が起きる可能性が75%だとされている。この地震は日本へも巨大な津波をもたらすだろうと言われている。『日記書留帳』『大内家文書』などで1700年に日本でこの米国の「カスケード沈み込み帯」の地震に由来する津波の記事が記されていることを2005年に産業技術総合研究所の活断層研究センターや東京大学地震研究所が米国地質調査所と合同で発表している。これらはすべて津波の警報が早期に出される必要性を浮かび上がらせる。何十年かかけて巨額の防潮堤を造る構想より、早期の津波警報システムの構築の方がより安価で、早期に実現可能なのだ。繰り返される三陸の津波の悲劇は「逃げる」確かなシステム作りで避けることが出来る。逃げられない場所に、従って、人が住んではならないのだ。
増水した甲子川 これからさらに水かさは増して来るだろう