釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

東北の真の復興のために

2011-09-29 19:34:00 | 文化
今週は晴天が続いてくれて、ここのところ毎日のどかな秋日和を味合わせてくれている。朝はやや気温が低いためか今日も近くで百舌の声を聞いた。ここのところ黄昏時の空はほんとうに惚れ惚れするほど美しい。次第に光を失って行く空を背景にした愛染山の黒々としたシルエットに惹き付けられる。釜石の被災地域の瓦礫はほとんど片付けられたが、残された壊れた建物は少しずつ壊されていて、まだまだ被災地域が更地になるには時間がかかる。比較的破壊の少なかったところでは改修して住着いたり、商売を初めているところもわずかだが何軒かある。被災者の方々は50カ所以上の仮設住宅にとりあえず入居し、何とか生活を続けておられる。被災した旧商店街の店も2カ所で仮の店を立ち上げた。しかし、本格的な雇用を含む復興策はまったく打ち出されていない。政府もマスコミも復興財源としての増税に力を入れている。「歴史に学ばぬものは歴史(過ち)を繰り返す」という言葉がある。日本は過去20年間経済は低迷し、物価が下がり続けるいわゆるデフレの状態から抜け出せないでいる。こんな時に増税を真っ先に掲げれば経済はますます落ち込み、税収も急激に減って行くのは目に見えている。何故20年間経済成長がなされなかったのか、まったく反省がないまま場当たり的に増税が叫ばれている。1993年-2001年までの米国クリントン政権はそれまでの財政赤字を見事に黒字に転換させた。日本も1990年代初めまでは経済成長を維持して来ていた。経済が成長するというのは国内総生産、GDPが増えるということを意味する。残念ながら日本はこのGDPが名目で減り続けている。(デフレのため実質GDPは見かけ上増えているように見えるのだが)GDPは式で表すと要するに GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出 となる。経済が低迷している限りは民間消費や民間投資、純輸出などは決して増えることはない。いくら待っても民間からは何も出て来ない。この状況で増税すれば民間の消費や投資は間違いなくさらに縮小する。この20年間の大きな誤りは政府支出という現在のような経済低迷期に唯一GDPを上げうる手段を使って来なかったことだ。財政赤字を強調し、緊縮財政一本でやって来た結果がこの20年だ。経済成長により財政赤字を解消したクリントンの政策も1990年代初めまでの日本も財政支出があって初めてなし得ていた。財政支出を惜しめばGDPは確実に減少し、税収も当然落ち込む。経済低迷時は逆に財政支出を惜しまず、積極的に投じれば民間投資や消費を促し、GDPは増え、税収も増えて行く。このことは歴史を見れば明らかだ。これほど単純なことを何故政府はやらないのか。政治家たちは今だに新自由主義、市場原理主義の経済学に縛られ、官僚である財務省は目先の財政赤字や税収の増大にのみ縛られている。それがまさにこの20年間であった。財政支出は無論財政支出であれば何でもいいというものではない。経済効率のいいものに投じられなければならないが、生活に密着したものがその意味では以外にも経済効率がいい。医療や福祉、教育などはこれまで軽視されて来たが単年度ではなく5年単位で考えれば極めて効率は高い。地方の生活に密着したインフラへの投入も現状を考えると必要だと思う。次第に明らかになって来た原発の虚像を考えれば新しい自然エネルギーへの基盤整備も日本の技術を取り戻すいい機会になると思われる。いずれにしろ、歴史を見れば今政府がやろうとしていることが大きな誤りであることは自明だ。政権が変わっても経済政策は変わらず、変わらないばかりか一層悪化を招こうとしている。かっては確かにワンパターンの無駄の多い公共投資も含まれていたが、それはまた財政出動の問題とは別の問題としてチェックされねばならい。世の多くを上げて『改革なくして成長なし』に賛意を示した結果はこの長引く経済の低迷であった。「小ブッシュ政策」や「小泉改革」と言った大企業や裕福層に偏重し、有効な財政支出を抑えた新自由主義がいかに経済効率が悪いか、すでに示されている。経済政策などと言っても結局は結果が出なければまったく意味がない。結果の出せなかった政策にいつまでもしがみ付く官僚や政治家を見限る必要がある。
日射しを浴びたサフラン