釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

日本に吹いている風

2011-09-20 19:23:58 | 文化
大型台風12号は記録的な降雨量で紀伊半島に大災害をもたらしたが、やはり大型の台風15号が再び四国、紀伊半島に迫ろうとしている。今年は日本列島は自然災害の脅威に見舞われている。今日は北海道と沖縄を除いて全国的に雨が降っている。釜石では日中最高気温が17度の予想だ。昨夜も半袖だと寒いくらいだった。太平洋沿岸部の被災地は進展の度合いは異なるが復興に向けてそれぞれ取り組んでいる。東京では昨日震災後では最大の「さようなら原発5万人集会」が開かれた。イタリアやオーストラリアのメディアも報じている。大江健三郎、内橋克人、鎌田慧、澤地久枝、落合恵子、山本太郎などの著名人が参加し、日の丸を掲げたいわゆる右翼団体から日教組まで主義主張によらず、高齢者から幼児まで年齢に関係なく、明治公園を埋め尽くした。世界的にも平和運動を展開している日蓮宗の日本山妙法寺大僧伽の僧たちも参加していた。日本では国民が直接政策に対して意思表明する手段が限られている。しかし、現在インターネットという情報網が広く行渡っているため、こうした集会の情報はたちまち広がりを見せて、原発被害の福島県はむろん全国各地から人々が集まって来たようだ。国内だけで54基もある原子力発電所はそのどれかで事故が起きることを考えると、日本全国どこにでも可能性があり、被害を免れ得る地域などどこにもない。それだけに原発事故の問題はあらためて全国で切実な問題として捉えられたのだろう。毎日新聞の面接による世論調査では「生活程度は低くなっても電力消費を少なくすべきだ」が65%で、原子力発電所については「危険性の高いものから運転を停止し、少しずつ数を減らす」が60%になっている。「生活程度を維持するために電力供給を増やすべきだ」とする人は32%だ。「生活程度は低くなっても電力消費を少なくすべきだ」と答えたのは30代で71%、20代で67%と若年層が積極的に答えている。原子力発電所について「できるだけ早くすべて停止する」と答えた12%を合わせると脱原発は7割を超える。この結果は当然とも言える。新首相は原発推進を表明し、国連で「安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ」と演説する予定だ。電力の発送電分離を潰した小泉純一郎元首相は18日川崎市で「政府は、原発は低コストだとしてきたが、高レベル放射性廃棄物を処分するには、膨大な費用と数万年単位の時間がかかる」と原発はコスト面でも問題があると述べて、「政府は原発建設を進めてきたが、この費用を安全な自然エネルギー開発に使い、原発依存度を下げるべきだ」と原発依存に批判的な見解を表明している。風見鶏と言われた元首相だけあって国民の風向きだけはさすがに察知したようだ。原発事故当時日本原子力学会会長であった元関西電力常務の辻蔵米蔵氏は3月18日に「国民の皆様へ」と題して日本原子力学会会長声明を出し、その中で「今回の地震の規模は当初の想定を超えており、また津波についても、・・・・福島第一発電所においても想定をはるかに上回る津波が押し寄せたと考えられます。」と想定外を強調した。しかし、昨日の毎日新聞によれば福島原発事故についてロバート・ゲラー東京大学教授(地震学)らは米原子力専門誌の電子版に論文を投稿し、「70年代以降に巨大地震の規模を正確に計算する手法が確立し、マグニチュード(M)9以上の地震の存在が海外で明らかになったほか、東北で東日本大震災と同規模の津波が過去にあったことを示す研究成果が90年代には出ていたと指摘」し、「事故を『想定外』と認めるべきではない」と述べている。「想定外」が震災直後から強調されたのはこれまで原発を安全だとしてきた電力会社や学会及び政府が責任を免れるためだった。スイスの原子力安全研究者、ロシアの津波研究者らと共著で書かれたこの論文は国際的には「想定外」などとは考えられていないことを示している。細野豪志原発事故担当大臣は昨日ウィーンの国際原子力機関(IAEA)の年次総会で「原子炉を冷温停止状態とする「ステップ2」の達成期限をこれまでの「来年1月中旬」から「年内」に前倒しする考えを表明した」が、今朝の東京新聞は「福島第一 建屋に地下水大量流入か 収束作業に難題」と題する記事を載せている。東京電力によれば地下水が「日量百トン単位でわき出ていると思う」ということで汚染水がなかなか減らない状態が続いていることを明らかにしている。冷温停止などとても年内に前倒しなどできるはずもない。
大弁慶草(おおべんけいそう) 弁慶のように強く切り取っても数日は枯れない

平穏に見える遠野

2011-09-19 19:25:17 | 文化
昨日は秋らしい筋雲が見えるいい天気だったが今日からまたしばらく1週間ほどは曇天や雨が続くようだ。9月に入ってからすっきりと晴れる日が少なく、南側に面した庭も植木で日が当たらないところでは苔が広がって来た。十和田湖の奥入瀬渓谷のような渓谷は釜石近辺にもたくさんあり、そうした渓谷にある苔むす岩は絵にもなるが、残念ながら我が家の庭の苔は種類も違ってあまり絵になる代物ではない。今日のように小雨が降ると苔よりもかえって木々の葉にのる雨露のきらめきの方が絵になる。草むらではコオロギたちが鳴き続けている。所用があって昼前から遠野に出かけた。今日は釜石自動車道を避けて旧仙人道を行った。JR洞泉駅の前の甲子川の流れを見てみた。思ったほどは水かさは増えていなかった。相変わらず緑青色の澄んだ水の流れは見ていてきれいだ。夏場だと緩やかな流れの中を子供たちの泳ぐ姿が見えるのだが、もうこの時期は人は誰もいない。橋野から笛吹峠を越えて遠野に出る道とは違ってこちらの道は山と山の間が狭くなっているため農家があっても田の大きさはずっと小さい。山々に霧雲が立ち上る仙人峠付近をのんびり眺めて走った。途中道路を跳ねながら横断するリスに出会った。長い尻尾が動きに合わせて揺れていた。よく見ているとリスの好物であるクルミや栗が実って来ていた。このあたりの山道だと熊が出てもおかしくない。長い仙人峠トンネルを抜けると遠野に入る。以前には上郷へ至るまでに和歌山ラーメンで有名な「星のかがやき」というラーメン屋さんがあったが今は市街地のバイパス沿いに移ったようだ。上郷からは遠野の東端の田園地帯を走って土淵に抜けた。荒神神社の周囲の稲はみんな稲穂が垂れて来ていた。仙人峠近くの釜石側の農家ではもう稲刈りを終えて稲架(はぜ)に稲を干しているところがあったが、遠野はまだ稲刈りを終えた田は見られない。農家の庭先には菊やコスモスなどの花々が色を添えていた。大小様々な大きさの石碑の回りにも花が植えられている。小雨がちの中でたき火の煙が漂っているところもあった。遠野の田園風景はいつ見ても子供の頃にタイムスリップさせてくれる。今日は日中でも気温は15~16度までしか上がらない。ここ何日か岩手県沖や三陸沖を震源とするマグニチュード5以上の地震が増えて来ているが、沿岸部よりかえって遠野のように内陸部の方が震度が高い。遠野近辺にも活断層があるのでその関係なのか、あるいは岩手の大部分が下が岩盤で出来ているためなのだろうか。先日も東京から祖母のいる御殿場へ向かう途中の娘が地震を心配してメールを送って来た。マグニチュードは比較的高いが震度はそれほどでもなく、ただ最近の地震はいつもの地震と違って地震の前の地鳴りが短い気がする。いつもだと地鳴りがしてさあ地震が来るぞ、と待ち構える感じなのだが、地震がすぐにやって来る。揺れる時間も長くはない。遠野市中は釜石以上に平穏で、震災などまったくなかったかのようだ。1台だけすれ違ったSAVE THE CHILDRENの横浜の仮ナンバーの車がそれらしく感じられただけで、以前のように自衛隊の車両も走っていないので、ますます何事もなかったかのような雰囲気だ。しかし、遠野も実際は釜石同様放射線のホットスポットがあるはずで、3月中旬に飛散した放射性物質からは無縁ではないはず。遠野は農産物が主体なので農作物が不安なのだが、釜石にしても遠野にしても食品は一切測定されていないようなので尚更不安が残る。9月13日に厚生労働省が発表したところでは岩手県でも八幡平市や岩泉町の松茸からセシウム137が検出されている。遠野のスーパーに寄ってみたがキノコ類も特別普段と変わらず売られている。何の表示もなく、恐らく放射線の測定もされていないと思われる。チェルノブイリ原発事故の後の2003年には岩手県でカノシタというキノコが210Bq/kgあったそうだから、検出されないはずはないと思う。知らないうちに子供たちの被曝が広がっているのではないかと危惧する。
洞泉駅近くの甲子川の清流

遠野の田園地帯にはたくさん古い石碑が残されている

花に囲まれて1つだけ小さな石碑が立っていた

人が幸せであること

2011-09-18 19:20:55 | 文化
1週間前までは一気に気温が下がって寒くさえ感じていたのがまた気温が上昇し、同時に曇天が続いて湿度も高くなり、身体を少し動かすと汗ばんで来ていた。今日は久しぶりにまた日が射して来た。震災以来何度か山田町に出かけたが、その度に船越半島にある荒神社がどうなったのか気になっていた。神社の前はすぐ海岸になっている。ただ神社自体は背後の山の少し高いところにあるので社殿はひょっとすると無事だったのではないかと密かに期待はしている。気になる一方でそこを確かめに行くことが何故かためらわれたままでいる。当初青森県の津軽地方に本拠をおいた荒覇吐王国は後に岩手県閉伊、現在の二戸市近辺にも王居を移しており、山田町の十二神山や宮古市の津軽石地名にもその痕跡を残している。東北だけでなく日本各地に残る荒神社や荒神神社は荒覇吐の神を祀った名残ではないかと考えている。「和田家文書」では「山田潟」と書かれており、かっては山田町の平地は干潟になっていたのだろう。今回の震災でその低地は壊滅的な被害を受け、宮古市の最も山田町よりにある津軽石地区も同じく相当の被害を受けている。恐らくこれらの地は他の沿岸部を含めて荒覇吐王国時代にも津波の被害を何度も受けているだろう。この時代の復興は生き残った人々が高地での新たな住居の建設を自らの手でやらざるを得なかったと思われる。現代以上にその津波の恐ろしさについて子孫に伝承されていただろうと思う。古老の智慧が重視されたはずだ。時々、進歩や近代化というものに懐疑的になることがある。進歩や近代化は便利さの代償として人々から本来の「幸せ」を奪って行っているのではないだろうか。特に戦後の「発展」はそれが顕著であるように思える。大家族制が崩壊しそれぞれが独立して、家を持つようになったが、その家はかって「ウサギ小屋」と評されたように人の生活を無視したような極めて狭い空間しか確保されていない。医学の進歩は長寿社会をもたらしたが、惨めな生活を強いられる高齢者が一挙に増えてしまった。長生きに何の意味も見出せない人々が増えてしまった。地方には若者を引き寄せる魅力がどんどん失われて行く。確かに進歩や近代化そのものの意味の解釈にもよるだろうとも思う。進歩とは何か、近代化とは何か。先に掲げた点はいずれも国の政策次第で大きく変わるものばかりだ。となれば、戦後の政策が間違っていたとも考えられる。近いところで見れば2005年の小泉内閣当時、政府は構造改革が進まなければ日本は5年後に財政破綻すると言って、強力に「構造改革」を進めた。しかし、その結果はますます経済は低迷し、個人所得は低下し、生活の不安定な派遣労働者が急増し、小泉内閣の4年間で290兆円もの国債が発行され、財政赤字を改善するどころか逆に財政赤字を一挙に増やしてしまった。構造改革に「待った」をかける少数の研究者はいたが、無視されてしまっていた。自ら企業経営に手を出す学者を経済財政の担当大臣に据え、「構造改革」の錦の旗をひらめかせて、反対勢力を「守旧派」として排除し、国民を煽動することで政策を押し切った。今や日本全体の債務残高は1145兆円に余る。国民一人当たり898万円づつ借金を抱える。乳幼児一人一人を含めてだ。ここ最近は毎年国債を44兆円発行しているがこれを返済するだけでも消費税を25%にしなければならないと言う。以前からの債務残高はそのままとしてだ。超円高が一挙に進み、企業は難を逃れて海外へ工場を次々に移して行っている。いわゆる「国内空洞化」が進んでいる。そうした中で増税が図られようとしている。日本経済のさらなる収縮は目に見えている。当然税収は確実に落ち込む。各国の国債の国際的評価を見ているとそれが国民の幸福度とリンクしているように見えてくる。ヨーロッパは最上位で、米国は4ランク下、日本はその米国のさらに6ランク下なのだ。中国でさえ1ランク上だ。無論理由は様々だが、古来民の安寧が保てない国は滅びて来たことだけは確かだ。
浜茄子の実 浜梨を浜茄子と聞き間違った森繁久弥が『知床旅情』で広めた名

無策の日本はこのまま沈んで行くのだろうか

2011-09-17 19:19:53 | 文化
午前中は久しぶりに沿岸部を北上して山田町まで行ってみた。どこも瓦礫はすっかり除去されていたが、それだけで放置された状態のようだ。わずかに残る壊れた建物の二階のテラスや屋根には雑草が生えている。帰りに匠の方の家にお寄りしてお聞きしたところでは最近気仙沼に行かれたようで気仙沼はずいぶん活気に満ちていたそうだ。魚市場などにも観光バスが何台も来ていたようだ。先日も書いたように陸前高田市、大船渡市、住田町は互いに協力して自然エネルギーの利用に踏み切ろうとしている。気仙沼を含めこれらの市町は旧仙台藩の領域になる。釜石から山田にかけてはいずれも盛岡藩、南部藩で、どうも気質の違いがあるような気がしてならない。これは以前から感じていたことだが、盛岡藩でも特に釜石は製鉄所が出来て以来製鉄所頼みの姿勢が根付いてしまっているように思う。仙台藩、伊達藩のように自力で立ち上がるという気質が欠けているように思う。市や町も互いに協力し合う姿勢より、むしろ反発し合っている。過去からの軋轢があるようだが、それが現在のような状況で大きく復興を妨げているように見える。自然エネルギーの利用にについては岩手県のように自然環境のすばらしいところでは大いに活用すべきだと思う。全国的にも有名になった岩手県の葛巻町は沿岸部の久慈市と内陸の八幡平市の中間にある山間の町で、酪農が主体の町だが、町を上げて自然エネルギーの利用に取り組み、町の住民が必要とする電気の180%を供給する。風力やバイオを利用したさまざまなエネルギーの利用に取り組んでいる。釜石にもすでに和山高原一帯に43基の風車が設置されている。しかし、市全体が一体となって自然エネルギーの利用に取り組むというまでにはなっていない。これには葛巻町自体も訴えているように発電した電気の購入がわずか9円(1キロワット時)で抑えられていることにある。電力会社の電気の消費者への売値は22~23円であるが9円で電力会社に売ると採算が採れない。ドイツなど自然エネルギーの利用に積極的な国々は電気の買い取り料が消費者への売値に近く設定されている。逆に日本では原子力発電の場合5円で設定されている。この価格は実態上の価格ではない。原子力発電には政府が様々な角度から優遇措置をとっており、そうしたことを勘案すると原子力発電が最も価格が高いという試算が出されている。総括原価方式という消費者への売値もコストがかかればかかるほど利益も多くなるという電力会社にとっては打ち出の小槌のような計算方法が認められている。こうした原子力発電への国の優遇をやめて、自然エネルギーへの優遇策を当初とれば一層開発が進み効率の良い自然エネルギーの利用が可能になる。結局は国の政策次第なのだ。岩手に限らず東北は自然が豊かであるから、一旦大事故が起きればその自然を台無しにしてしまうような原子力発電ではなく、自然エネルギーの利用の推進を声高く訴えるべきだ。経済が低迷して失業者が増えている現在のような状況で政府は増税を模索しており、これほど大きな放射能汚染を広げた後で尚、原発の再稼働を模索している。今の時点での増税は間違いなくさらなる経済の落ち込みを招き、税収は確実に減少するだろう。実態を素直にそのまま「死の町」と表現した大臣の責任を厳しく追及し辞任に追い込んだマスコミは実際に「死の町」にしてしまった者の責任は追及しない。本来ならば増税の前に東京電力の発電以外の保有資産を売却させ、株主責任も問い、金融機関の債権も放棄させた上で足りないところを税で補うという手順がとられるべきなのだ。しかしマスコミはこうしたことは一切口に出さない。増税は官僚や政治家にとって最も安易な政策だ。足りなければ増税するなどと言うことは小学生であっても考えうる。国費をかけて官僚や政治家を成り立たせる必要がどこにあるのだろう。国会は本来そうしたとり得る様々な政策を議論する場のはずだが、7月27日に児玉龍彦東京大学教授が国会で述べたようにまったく「国会の怠慢」と言うしかないだろう。電力帝国に支配され切った官僚,政治家、マスコミには国民は何も期待出来ないのだろうか。かっての政治家や官僚、マスコミにはもう少し骨があったと思うが。
色違いの八重の木槿 (むくげ)

何故大地と海が汚染されたのか

2011-09-16 19:13:19 | 文化
年を取って来ると人は自分を何らかの形で見つめ直すようになるのかも知れない。見つめ直す視点は無論人によって異なる。自分の場合を考えてみると写真を通して身の回りの自然を見つめ直すことに気付き、日本人のルーツを辿ることに気付いた。それが釜石の自然を愛でることに繋がり、人類の移動や日本の歴史への興味に繋がって行った。しかし、3月11日の震災は後者よりも前者に釘付けにしてしまった。釜石の豊かな自然が放射能汚染でこれから少なくとも何十年も失われて行くからだ。3月11日以前の自然はもう再びは戻って来ない。メディアは測定が可能なγ線を放出するセシウムしか問題にしないが実際にはα線を出す半減期が2万4000年にもなるプルトニウム239も放出されている。ある研究者がその実態を今月末の米国の論文集で発表する予定になっている。従って詳細は来月始めには明らかになるだろう。国内では発表しづらいようだ。放射性物質は目には見えないため一見周辺の自然も以前と変わらないが、そこには放射線を出す物質が消えること無く存在している。多くは落ち葉や折れ落ちた枯れ木に積もった形になっている。やがては地下水にも影響して行くだろう。釜石の海の豊かな幸もやがては食物連鎖で濃縮された放射性物資によって確実に変容して行くだろう。太平洋に沿岸を持つ20カ国はすでに4年がかりで海洋汚染による賠償請求を東京電力や国へ行おうとしている。少なくとも数10兆円に上るだろうと言われている。日本は広島、長崎で被爆の経験があり、そこで被爆した人たちは国に対して救済の訴訟をお越し、国や国側に立つ多くの研究者が内部被曝の実態を認めようとしない中で裁判所が大部分内部被曝を認めるに至っている。山からは山菜やキノコが、海からは多種の魚介類が今後内部被曝の原因となって来る。すでに平地の野菜や肉類も国が定めた「甘い」規準で内部被曝は犠牲者を広めている。その実態が明らかになった時には過去の広島や長崎が示すようにすでに手遅れだ。すでに起こってしまったことを、過ぎ去ってしまったことを集計する統計にたよった研究ではなく、これから起きるであろうことをコンピュウターでシュミレートした研究が徐々に出て来るだろう。それでも最大の放射性物質の放出はすでに3月中旬までに起きてしまっている。今後もまだまだ予断を許さない状況は続くが。東京電力あるいは電力会社は日本と言う国にあって最も頂点に立つ企業とされている。政界、財界、官界、さらには学会や報道、あらゆる世界に君臨している。誰も頭が上がらない。日本国内では「原子力村」と呼ばれているが、福島第一原発事故後米国ザ・ニューヨーカー The New Yorker はそれを指してニュクレアー マフィアNuclear Mafiaと表現し、ドイツのデア・シュピーゲル Der Spiegelは原子力国家と、そして原発大国のフランスのル・モンドLe Mondeでさえ原子力ロビーと称している。地域独占で競争相手もいないはずの電力業界は熾烈な競争にさらされている自動車業界のトップを行くトヨタの500億円を遥かに超えた年間800億円もの広告宣伝費を使っている。何のためにそれだけの広告が必要なのか。報道は今やこの広告収入がなければ立ち行かないほどこの広告費に頼らざるを得ない状況になっている。日本の報道は無制限の広告費の導入で独立性を全く失ってしまっている。世界でも例を見ない特殊な報道のあり方がここに淵源を持つ。そしてこの広告宣伝費は総括原価方式によって電力料金に上乗せされる。経営側と労働組合ともに政界への巨額の寄付により、いつでも官僚人事でさへ自由に口を出せるまでになっている。世界では常識となっている電力の発送電分離を図ろうとする政治家や官僚は必ず潰されて来た。今や政治家でそれを口にするのは自由民主党の河野太郎氏のみとなった。これだけの大事故を起こして、巨額の賠償を負わされれば資本主義国家におけるどんな企業も倒産は免れない。しかし、東京電力は最初から潰さないことが大前提とされる。日本航空では会社更生法が適用され、航空機の運航は支障無く続けられながら、経営陣の刷新と株主の権利放棄や、債権者の債権放棄を強いられたにもかかわらず。誰も東京電力には手を触れられないのだ。そして弱い国民にすべての肩代わりがしわ寄せされ、東京電力を支えるために多額の税金が投入される。ミスや事故が続出し、検査データの改ざんが常態化した環境が許され続けていた。3月11日に繋がるのは当然とも言える状況だった。そうした常態化すら誰も諌めるものはいなかった。とても諌めることなどできないほどの相手なのだ。従ってまた第二、第三の「福島」は必ずやって来ると見て間違いないだろう。日本の国土はいずれ放射性物質によって汚染し尽くされる日が来ると言うことだ。理不尽だがこれが日本の置かれている現状なのだ。
秋明菊 (しゅうめいぎく) 中国では秋牡丹と書かれる

変わらない「甘い」見方

2011-09-15 19:21:10 | 文化
予想と違って今日は良く晴れて気温も30度近くになっている。しかし風があるため日陰では涼しい。職場の裏山からミンミンゼミの声が聞こえて来た。岩手県は北海道に次ぐ面積があるが大半が山地になっている。太平洋沿岸部もぎりぎりまで山が迫っている。海に注ぎ込む川のあるところだけが川の大きさに応じて砂州が形成されてそこに集落が出来ている。従って沿岸部で広い面積を持つ市町村は基本的に低地になっている。そうした低地が今回の津波で被災した。最近被災した釜石、大槌の人たちが入居した山裾の仮設住宅に月輪熊が出没している。仮設住宅のゴミ捨て場に餌になるものを見つけたためだろう。高齢者や子供も入居しているので危険なのだが、仮設住宅の用地が限られており、どうしても山裾の土地を使わざるを得ない。何とか被害が出なければいいが。土木学会東日本大震災特別委員会の津波特定テーマ委員会が発表したところでは今回の津波後の現地調査の結果、釜石の北になる宮古市では陸地の斜面をさかのぼった津波の高さ「遡上高」が39.7mに達していたという。これは1896年の明治三陸地震で大船渡市綾里で確認された38.2mを超える観測史上最高の遡上高となる。津波は語源的には「津の波」、港を襲う波ということだが東北の太平洋沿岸部では過去にも何度も津波の被害を受けて来ている。宮城県の仙台平野は北上川と阿武隈川からの堆積によって作られた湿地帯であった。伊達政宗がここに本拠を築いて以来、その湿地の排水が取り組まれ、次第に人の住む平地が広がって行った。それとともに耕地が広げられて行った。この仙台平野の表層堆積物の地質調査をすることで過去3000年間に3度、津波が溯上していたことが分かっていた。また堆積物の年代測定から800~1100年ごとに巨大な津波が来ていたことも分かっていた。その最後の貞観地震津波から1100年がすでに過ぎていたことも分かっていた。東北大学や産業技術総合研究所・活断層・地震研究センターなどは2009年にもそれらの内容を発表していた。しかし、こうした研究のために地質調査をしようとすると「迷惑だ」と地元当局に言われたこともあったと言う。要するにそれまでの対策で十分なのだからこれ以上詮索しないで欲しいということだったのだろう。昨日国連は東京電力福島第1原発について事故の可能性の想定が「甘すぎた」と批判している。また世界83カ国が加盟し、1985年にノーベル平和賞を受賞している「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)は先月「政府機関が公衆の健康より政治的・経済的利益を優先してきたのではないかとの疑問が上がっている」、「自国の一般公衆にふりかかる放射線に関連する健康上の危害をこれほどまで率先して受容した国は、残念ながらここ数十年間、世界中どこにもない」などと述べた上で、 (1)被曝の許容線量を、外部被曝と内部被曝の両方で年間1ミリシーベルトに早急に戻す。これは特に子どもと妊婦にとって重要だ。(2)汚染された地域の住民および福島第一原発の全作業員の包括的登録と、被曝の早期評価・生涯にわたる長期的健康調査を実施すること。(3)放射線防護策実施に当たっては避難しか方法はなく、事故現場から八〇~一〇〇キロ圏内で避難者に対する援助策も含めた避難計画を立案・実施すべきだ――。と緊急措置を求めている。今回の震災は自然災害をきっかけとして起きた人災の側面が非常に大きい。巨大津波の危険性はすでに警告されていたし、地震も活動期に入っていたことも警告されていた。全てが甘く見られてていた。しかもその甘い見方は震災後も続いており、たくさんの子供や妊婦が被曝を続けさせられている。この「甘さ」の淵源は「お役所仕事」と無関係ではないように思う。自分たちが経験した過去の想定内のことにしか対応出来ない。地方の自治体も国の各省庁も同じだ。同じ仙台藩であった陸前高田市、大船渡市、住田町の近隣3市町は新しい街作りを目指して、陸前高田市に太陽光発電システムと大規模な定置型蓄電池を設置して、電力を大船渡市や住田町に供給する構想が出ている。これなどは壊滅的な被害を受けた陸前高田市だからこそ再生に新しい発想を取り入れることが可能となった側面が大きいと思われる。
川岸のコスモス

専門家に任せてはいけないということ

2011-09-14 19:21:47 | 文化
本州の東端におおよそ位置する釜石はこの時期になるともう6時くらいには暗くなってしまう。だんだん日が短くなって来た。晴れた夕方帰宅時に夕焼けに染まる西の空をおそらく自衛隊のジェットと思われる機体が南に向かって白く長い飛行機雲を残して飛んで行くのがよく見える。愛染山にかかる時もある。そんな夕暮れの空を写真に収めたいと思う時に限って手元にはカメラがない。風景写真は写真を撮る人の腕であるよりも、タイミングに左右されることが多い。山田町から来られている職場の方からも出勤時に何度か冬の沿岸道を走っていて海に照りかえるすばらしい朝日を見ることが出来ると教えられたことがある。季節の花も同様にタイミングが重要で毎年咲く時期も咲き方も微妙に違っている。そこが逆に惹かれるところでもあるのだが。1990年6月23歳の誕生日を目前に来日した米国の詩人、アーサー・ビナードArthur Binard氏はその後日本に在住し、日本人の同じく詩人と結婚され、今や日本語を流暢に話され、日本の古典にも精通されておられる。2001年には日本語詩集『釣り上げては』で中原中也賞を受賞されている。リトアニア生まれのアメリカ人画家ベン・シャーンBen Shahnがシリーズで描いた1954年のビキニ環礁における米国の水爆実験で被爆した第五福竜丸Lucky Dragonの画像集をArthur Binard氏の父親が持っていたため氏自身もそれを見ており、来日してからも第五福竜丸への関心が強く、独自に調査をされた。遠洋マグロ漁船第五福竜丸は操業中に水爆実験による「死の灰」を大量に浴び、半年後に無線長の久保山愛吉氏40歳が亡くなられた。アーサー・ビナード氏によれば太平洋戦争中久保山愛吉氏は徴用船に乗っていた経験から水爆実験という米軍の軍事機密に遭遇してしまったと察知して「船や飛行機が見えたら知らせよ。その時は焼津に無線を打って、自分たちの位置を知らせる。そうでなければ無線は打たない」と同僚たちに指示したという。米軍に無線を傍受されたら攻撃目標にされることを理解していて発見されてしまったら、焼津に無線を打って最後の抵抗として足跡を残すつもりだったのだろうと推測されている。生き残るために何をしなければならないか心得ていただけでなく、生き証人として、証拠品の「死の灰」を持ち帰った。それがあったためにビキニ水爆実験が広く世界に知られるようになり、原水爆禁止の運動に繋がったと見ておられる。「核兵器がなぜなくならないのか、とよく聞かれますが、答えは簡単です。もうかるからです。」と語られている。今回の福島第一原発事故後も精力的に各地の講演会やメディアに請われて核である原発の廃止を説かれておられる。一般市民の役割についてもノーベル賞物理学者のスティーブン・ワインバーグの「専門家とは、小さな間違いを器用に避けながらも大きな間違いへと進んでいく人」という「専門家」の定義を引用して、「軍の政策を軍の専門家に任せると、僕らは「核の冬」に向かっていくのです。経済も経済学者に任せてはいけない、政治を政治家に任せたら大変なことになる。そういう意識を持って、専門家たちがコントロールする領域にも、市民の僕らが突っ込んでいく必要がある。」と述べている。核爆弾も原発も「危険と秘密に満ちているので一般市民を締め出してある一部の人間がコントロールできる。原子力村を作って自分たちだけが利益を吸い取ることができる。」とも述べておられる。吉本興業所属、夫婦音曲漫才おしどりは原発事故以来政府や東京電力の記者会見を見ていて肝心なことが質問されていないことに郷を煮やし自らが記者会見に出るようになった。以来大手メディアが質問しようとしない重要なデータの開示を求めてそれらのデータの多くを引き出して来た。専門家である大手メディアの記者に任すのではなく、一市民として自らデータを出させるために記者会見に出たいい例なのだろう。
近所の八重の木槿 (むくげ)

地方の再生がかかっている復興

2011-09-13 19:31:46 | 文化
通勤路の甲子川沿いの道にはまだ咲き始めた紫陽花が見られる。甲子川の砂州にはどこかから飛んで来たコスモスが咲いている。風に揺れるコスモスは秋の情感をたっぷりと味合わせてくれる。職場の近くの薬師公園には観音寺がある。全国に宗派も様々に観音寺はあるが、四国香川県には観音寺市がある。子供の頃からこの名は見知っていた。東北の歴史から日本の古代史へ入り込み、九州太宰府にも鎮西観音寺、観世音寺があったことを知る。しかも建築家の米田良三氏によればその観世音寺が移築されて法隆寺とされたという。観音寺という寺院名一つをとっても歴史をたぐれば興味ある事実が次々にわき出して来る。昨日は被災地にいる関係である有志の方々から古田武彦氏の近著『卑弥呼(ひみか)』を贈られた。これから秋の夜長を過ごすのに楽しみが増えた。3月11日の地震で家財が倒れて、ガラス等もかなり割れてしまったが、本棚もみんな倒れてしまい、とりあえずの片付けをしただけで、未だに本類の整理が付いていない。読みかけていた『和田家文書4』が行方不明のままになっている。東北への弥生期の稲作の伝来が記されている『東日流六郡誌大要』ももう一度読んでみようと思っているがこれも行方不明だ。3週間ほどの娘の不在の間に少し整理しておこうと思っている。昨夜は東京に住む妹のところで世話になっている娘から電話があった。11日のシンポジウムは大盛会だったようで会場一杯の聴衆を前にして何とか娘も釜石の状況を話せたようだ。釜石からは娘の他に職場の同僚の方やNPO団体の方も出席され、それぞれが話をされたようだ。福島から来られた方の話もあったそうだ。シンポジウムの後は場所を移して夜半0時位まで米田選手やU先生を交えて夜景のきれいな場所で楽しく飲み会が開かれたようだ。遅くなったため急遽U先生が近くのホテルを手配して下さった。そのU先生や米田選手が今日と明日は釜石入りされ、またボランティア活動を展開される。明日は娘の頼みで米田選手の案内役をしなければならない。6月にも訪問した同じ小学校の生徒たちに体操を教えるらしい。6月の時は6年生が修学旅行で不在だったため6年生たちの強い要望で再訪することになった。こうして自費で被災地に長期にわたって関わっていただける人は決して多くはない。特に著名人ほどなお難しい。東京大学の研究者たちがはじめて提案したコミュニティ型の仮設住宅も住民がみんな入って機能し始めたが、本格的に機能するにはまだ多少時間がかかる。U先生も市長からその仮設住宅での常駐を依頼されているが、どういう形で常駐するか思案されておられる。提案者である東京大学の研究者グループと市や地元住民との間での調整もいくつか必要なようだ。今日の毎日新聞によると政府は今年度に導入される地球温暖化対策税を震災の復興財源とする考えのようだ。4年間で6000億円を見込んでいる。増税に必ずしも反対ではないが、十分な検討をした上で決定されればいいが、これまでの経緯を見ても安易な増税が多い。無駄な政府支出を放置したまま財政赤字が続くからと言って増税や国債発行に頼るのではあまりにも智慧が無さ過ぎる。また復興もせっかくの税金を相変わらずの土木事業につぎ込むだけでは貴重な税の無駄使いになってしまいかねない。同じ税を使うならばこれまでの過去の復興の繰り返しではなく、津波への根本的な対策を検討した上で使ってほしい。従来の復興対策では今後も同じような被災があるだろうし、同じような復興の必要性に直面せざるを得ないだろう。地方は地方でこうして何度も津波被害を受けて来ているわけだから、地方としても政府にそうした今後の根本的な津波対策を要求するべきだと思う。基本はどうしても高所移転を前提とすべきだと思う。防波堤・防潮堤と言った工学的な津波対策には研究者自身が言っているように限界がある。自然界は人の想定しない事象をもたらす。そのたびに尊い人命や財産が失われる。過去の歴史や先人の教えに現代人はもっと真摯になる必要があるだろう。釜石など近くの吉浜地区のように高地移転によって被害を最小に留めたいい例があるのだ。
鬼灯(ほおずき) 朝顔市とならんで鬼灯市も江戸時代からあるようだ

当事者責任は何故追及されないのか

2011-09-12 19:00:43 | 文化
今日は夏に逆戻りしてしまったようだ。予想最高気温は30度になってしまった。実際は31~32度になっただろう。昼休みに車で郵便局まで行こうとすると車の中はかなり暑く、すぐにすべての窓を開けた。風が吹いているので助かったが。昨夜は月が出て星も比較的たくさん見えた。まわりで虫たちが鳴いて気持ちのいい秋の夜だった。半年前の震災の夜の空がすばらしい満天の星空だったのを思い出した。今振り返ってみると震災から2~3週間のことが断片的にしか思い出せない。人から言われて初めてそんなこともあった、と思い出す始末だ。あまり楽しくない記憶は早く消えて行くのかも知れない。経済産業大臣が福島を見た後の発言がもとで辞任に追い込まれたようだが、マスコミや政治家の必要以上の問題視にむしろ疑問を感じた。脱原発の姿勢を表明した経済産業大臣が狙い撃ちされたのではないかとさえ思えて来る。辞任表明の記者会見での某大新聞記者のヤクザのような激しい言葉を耳にしてもマスコミがここまで品格のないところまで落ちてしまったのかと、唖然とさせられた。辞任した大臣の発言内容にしても新聞各社微妙に違いがあり、どれが本当の本人の発言なのかよく分からない。今回の震災では直後に被災した職場にたくさんのメディアがやって来たが、インタビューでこちらが話した趣旨とは全く180度違った内容が記事にされてしまった。以前にも同様の経験があり、マスコミのいい加減さは日常的だと思われる。同僚の方もやはり以前マスコミのインタビューで酷い目にあったことがあると話されていた。同じ発言を聞いているはずなのに、発言内容として記事にしたものが各社微妙に違っている。「死のまち」という表現にしてもむしろその表現が適切なくらいに変わり果ててしまったということであり、釜石の被災地を見た時でさえ同じように感じた。まして今の福島であれば尚さらそう感じるだろう。住民より先に早々と原発から50Km以上も離れたところへ移動して、「死のまち」と化した現場には近づこうともしないマスコミに非難などできる資格はないだろう。岸田純之助、大熊由紀子といった新聞社に所属当時に原発推進の論陣を張って来た人々を抱えながら、未だに東京電力と深く関わるマスコミがこれまで自分たちが「安全」だと言い続けて来たことへの反省もなく、相変わらず同じ推進の立場から「脱原発」を掲げた政治家を潰しにかかっただけだろうと言う気がする。まともに東京電力の責任を追及するマスコミがどこにもいない不思議に気付かされる。8月3日に原子力賠償支援機構法が成立したがこれは東京電力の存続を大前提にした法律であり、株主責任すら問われない。単に赤字であっただけの日本航空では会社更生法が適用され厳しい処置がとられたにもかかわらず、これほどの被害を出しながら東京電力は国費を投入して責任を大幅に軽減されている。企業統治の第一人者として、取締役の責任や株主総会のあり方などについて、企業、経営者を多く指導してきた久保利英明弁護士は企業弁護士として企業の世界では著名な弁護士で「企業が選ぶ人気弁護士」のトップにも選ばれた人だ。その大久保弁護士が政策研究大学院大学の福井秀夫教授や大阪大学の八田達夫招聘教授らと共に今回の原子力賠償支援機構法には真っ向から反対を表明し、今後も東京電力の企業としての責任を追及して行く構えでいる。大久保弁護士は40年間公正な企業経営を推進し、企業側に立って株主総会での総会屋の排除を指導し、公正な株主総会の実現に努力して来た。しかし、ここに来てあまりにもあからさまな企業としてのモラル・ハザードを目にしてとても放置出来なくなったようだ。現在大久保弁護士は放射能汚染の被害を受けた野菜農家や畜産農家などの代理人を自ら申し出て東京電力に対して賠償請求手続きを行っているそうだ。東京電力は今回の震災のために15%の電気料金の値上げを打ち出しているが、東京電力の資産の実態などを調べている政府の経営・財務調査委員会は今月6日過去10年間の電気料金の原価を調べて、見積額が実績を常に上回り続けている項目があり、電気料金を必要以上に押し上げていた可能性があることを指摘している。地域独占企業でありながら年間広告費に256億円をつぎ込む理由は一体何なのだろう。こうした点も含めて電気料金の決め方も洗い直す必要がある。
家の玄関の門柱のそばに自生した朝顔

半年になっても不安だけが見えてくる

2011-09-11 19:22:44 | 文化
釜石の気温が下がって来ていたので東京へ出かける前の娘は服装の関係で東京の気温を気にしていた。今日の釜石と東京の最高気温の差は9度もある。毎年釜石へ来てからはこの時期になると家の中にコオロギが迷い込んで可愛い声で鳴いてくれる。正確にはコオロギは羽根を擦り合せて音を出すので声ではないが。今年も何匹かのコオロギが家に入り込み今も鳴いている。土の中に産卵されたコオロギはセミと異なり土中で越冬すると翌年の5~6月には地上に出て来て羽化して、秋が過ぎ冬になると死んで行く。1年毎に新しい世代と入れ替わる。万葉の時代には蟋蟀(こおろぎ)は現在のコオロギを含めたすべての鳴く虫を指していたそうだ。鈴虫やキリギリスもみんな蟋蟀(こおろぎ)だったということだ。「影草の 生ひたるやどの 夕影に 鳴く蟋蟀(こおろぎ)は 聞けど飽かぬかも」(万葉集 巻十 詠み人知らず) おそらく太古からコオロギは秋になると人の心にまでその鳴く音を響かせていたのだろう。ちなみに万葉集の「詠み人知らず」は作者が実際には分かっているが、九州王朝の人々の詠った歌であったため「詠み人知らず」とされたものがあった可能性があるようだ。ただ柿本人麻呂ほどの歌となるとあまりにも抜きん出ていたため名を伏せることができなかったが、九州王朝の人物であったため、記紀では一度も触れられていない。今日で震災からちょうど半年になるが余震は相変わらず毎日15回程度続いており、3日前には夜福島県沖でM5.2の余震があった。震災前はM5以上の地震は1年間に150~160回くらいだったが震災後の半年間ですでに560回にもなっている。869年の東日本で起きた貞観地震から15年後の684年に起きた記録が残る最古の南海地震である白鳳地震が南海トラフに沿った東海・東南海・南海の3連動地震であったことが産業技術総合研究所の地層調査で明らかになって来た。南海地震単独の周期は約100年となっているが連動型となると地震の規模は巨大化する。そのため連動型の周期の把握が大きく問題になって来る。記録からは1707年の宝永地震が最後の連動型地震だと言われている。従ってそれから300年経っていることになる。連動型では大きな津波を伴っている。太平洋戦争末期の1944年12月7日に起きた昭和東南海地震は国民の戦意喪失を回避するため被害を過小に発表されて、資料もほとんど残されていなかったが、兵庫県立大学木村玲欧准教授(防災教育学)は先月「帝国議会衆議院秘密会議事速記録集」に詳細な被害状況が書かれていたことを発表されている。それによると東南海地震の規模は「関東大震災より大きい」とし、静岡、愛知、三重、和歌山など2府14県で死者977人、負傷者1917人があったと記されており、橋梁(きょうりょう)172カ所、道路773カ所、堤防351カ所の損壊に加え、工場全壊1731棟、同半壊1281棟、流失81棟があったと報告されている。また昭和東南海地震に続いて起きた1945年1月13日の内陸型の三河地震では2652人の死者が出たと報告されている。震災から半年経っても地震の活動期に入った日本列島はまだまだ巨大地震の可能性が残っている。東北の太平洋沿岸部の三県では震災後死者・行方不明以外にも2万5000人近くの人が他府県へ流出している。釜石では1000人が流出したと推計されている。10月末には特別処置で延長された雇用保険の失業手当も切れ始める。そうなれば流出は加速されて行くだろう。どこの自治体も本年度の財政は逼迫しており、税収も確実に落ち込む。被害の大きかった宮城県の石巻市などは税収が3分の1になる見込みだと言う。国は未だに抜本的な対策は打ち出していない。地元が自力で立ち上がって行くにはあまりにも荷が重過ぎる。
鷺草 白鷺の飛翔 (万葉集では白鷺は一首しか詠われていない)