釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

地方の再生がかかっている復興

2011-09-13 19:31:46 | 文化
通勤路の甲子川沿いの道にはまだ咲き始めた紫陽花が見られる。甲子川の砂州にはどこかから飛んで来たコスモスが咲いている。風に揺れるコスモスは秋の情感をたっぷりと味合わせてくれる。職場の近くの薬師公園には観音寺がある。全国に宗派も様々に観音寺はあるが、四国香川県には観音寺市がある。子供の頃からこの名は見知っていた。東北の歴史から日本の古代史へ入り込み、九州太宰府にも鎮西観音寺、観世音寺があったことを知る。しかも建築家の米田良三氏によればその観世音寺が移築されて法隆寺とされたという。観音寺という寺院名一つをとっても歴史をたぐれば興味ある事実が次々にわき出して来る。昨日は被災地にいる関係である有志の方々から古田武彦氏の近著『卑弥呼(ひみか)』を贈られた。これから秋の夜長を過ごすのに楽しみが増えた。3月11日の地震で家財が倒れて、ガラス等もかなり割れてしまったが、本棚もみんな倒れてしまい、とりあえずの片付けをしただけで、未だに本類の整理が付いていない。読みかけていた『和田家文書4』が行方不明のままになっている。東北への弥生期の稲作の伝来が記されている『東日流六郡誌大要』ももう一度読んでみようと思っているがこれも行方不明だ。3週間ほどの娘の不在の間に少し整理しておこうと思っている。昨夜は東京に住む妹のところで世話になっている娘から電話があった。11日のシンポジウムは大盛会だったようで会場一杯の聴衆を前にして何とか娘も釜石の状況を話せたようだ。釜石からは娘の他に職場の同僚の方やNPO団体の方も出席され、それぞれが話をされたようだ。福島から来られた方の話もあったそうだ。シンポジウムの後は場所を移して夜半0時位まで米田選手やU先生を交えて夜景のきれいな場所で楽しく飲み会が開かれたようだ。遅くなったため急遽U先生が近くのホテルを手配して下さった。そのU先生や米田選手が今日と明日は釜石入りされ、またボランティア活動を展開される。明日は娘の頼みで米田選手の案内役をしなければならない。6月にも訪問した同じ小学校の生徒たちに体操を教えるらしい。6月の時は6年生が修学旅行で不在だったため6年生たちの強い要望で再訪することになった。こうして自費で被災地に長期にわたって関わっていただける人は決して多くはない。特に著名人ほどなお難しい。東京大学の研究者たちがはじめて提案したコミュニティ型の仮設住宅も住民がみんな入って機能し始めたが、本格的に機能するにはまだ多少時間がかかる。U先生も市長からその仮設住宅での常駐を依頼されているが、どういう形で常駐するか思案されておられる。提案者である東京大学の研究者グループと市や地元住民との間での調整もいくつか必要なようだ。今日の毎日新聞によると政府は今年度に導入される地球温暖化対策税を震災の復興財源とする考えのようだ。4年間で6000億円を見込んでいる。増税に必ずしも反対ではないが、十分な検討をした上で決定されればいいが、これまでの経緯を見ても安易な増税が多い。無駄な政府支出を放置したまま財政赤字が続くからと言って増税や国債発行に頼るのではあまりにも智慧が無さ過ぎる。また復興もせっかくの税金を相変わらずの土木事業につぎ込むだけでは貴重な税の無駄使いになってしまいかねない。同じ税を使うならばこれまでの過去の復興の繰り返しではなく、津波への根本的な対策を検討した上で使ってほしい。従来の復興対策では今後も同じような被災があるだろうし、同じような復興の必要性に直面せざるを得ないだろう。地方は地方でこうして何度も津波被害を受けて来ているわけだから、地方としても政府にそうした今後の根本的な津波対策を要求するべきだと思う。基本はどうしても高所移転を前提とすべきだと思う。防波堤・防潮堤と言った工学的な津波対策には研究者自身が言っているように限界がある。自然界は人の想定しない事象をもたらす。そのたびに尊い人命や財産が失われる。過去の歴史や先人の教えに現代人はもっと真摯になる必要があるだろう。釜石など近くの吉浜地区のように高地移転によって被害を最小に留めたいい例があるのだ。
鬼灯(ほおずき) 朝顔市とならんで鬼灯市も江戸時代からあるようだ

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