釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

蝦夷以外にも滅ぼされた民はいた

2009-04-25 07:08:22 | 歴史
東北の蝦夷が大和朝廷により徹底的に滅ぼされてしまったが大和朝廷により滅ぼされたのは蝦夷だけではなかった。日本書紀や各地で編纂された諸国風土記に登場する土蜘蛛と蔑称される人々もまた蝦夷と同じ運命をたどった。穴居生活に手足が長いなどと記されているが土蜘蛛の名から尾ひれを付けて記されたものと思われる。東北南部から九州に至る各地に土蜘蛛の存在が認められ、リーダーの多くに何とか姫の名が付いており、女性のリーダーが多かったようだ。いずれもやはりまつろわぬ人々であった。平安時代に入っても京の都近くにも土蜘蛛は出没し、帝の命で源頼光がこの土蜘蛛を退治するという説話が残り、土蜘蛛草紙が記されたり、能、歌舞伎、神楽などにも取り込まれるようになって行く。興味を惹かれるのはその能や歌舞伎の中での土蜘蛛の台詞である。能では 汝知らずや、我れ昔、葛城山に年を経し、土蜘の精魂なり。なお君が代に障りをなさんと、頼光に近づき奉れば、却って命を絶たんとや と唱えられ、歌舞伎では我を知らずや其の昔、葛城山に年経りし、土蜘の精魂なり。此の日の本に天照らす、伊勢の神風吹かざらば、我が眷族の蜘蛛群がり、六十余州へ巣を張りて、疾くに魔界となさんもの。 と唱えられている。武力に敗れた土蜘蛛の朝廷に対する怨念が詠われている。支配者から見た土蜘蛛とは異なった土蜘蛛の姿が描かれている。歌舞伎に言う判官びいきでもあるのだろうが。大和朝廷による統一は決して野蛮な民の征討などと正当化し得るものなどではなくまつろわぬがための先住の民を犠牲にした、彼らの血の上に打ち立てられたものだった。諸外国の先住民の滅亡については触れる歴史書も自国のこうした歴史には触れようとしない。しかしこうしたことも研究されてはじめて真の日本の歴史が明らかになる。歴史は隠蔽するものではなく、明らかにするもののはずななのだから。日本ではまだまだ歴史学は遅れていると言わざるを得ない。


ボケの花は比較的長く咲いてくれる