暇な月日をだらだらと・・・・・爺々放談   Since 2009.01.01

  日々の生活の一部、散歩などをコラム風に
       ~ my winding road ~

倭は 国のまほろば・・・

2010年01月18日 11時50分51秒 | 近くの名所・旧跡・催し
五十狭城入彦皇子の陵墓・・・見学?

岡崎市西本郷町和志山 に古墳がある。 「五十狭城入彦( いさぎいりひこのみこ )の墓」とされている。

名古屋鉄道・宇頭駅から南へ数分、自転車でも自宅から10分程度の場所だ

散歩道の途中から 西側を見ると、木々が見える(和志取神社と古墳のある場所です)


この古墳を観に行く際に、『古事記』を引っ張り出し、読み直した。 (1万円札が出て来た 他の所にまた隠した)

五十狭城入彦尊は、第12代:景行天皇の第十皇子であり、
 兄の第三皇子 日本武尊(やまとたけるのみこと=倭建命=日本武尊)と共に諸国を平定したとされる。
 この皇子、三河地方を平定した、とあるが、ここにお墓が在ると言う事はどういう事だろうか???
 日本武尊の東征(千葉あたりまで)付いて行ったと勝手に考えていたのだが・・・
 
 和志取神社の祭神と言う事で、暖かくなったら行ってこよう
 と、思っていたが、陵墓のすぐ傍だから、帰りに寄ってきた。

その五十狭城入彦皇子の陵墓付近に行って来ました。 本当に行って・・・帰って来るだけ・・・アッ!と言う間です。
入り口には、このような注意書きが・・・


入れるのは、この階段の上部まで...どこの陵墓も同じだ


階段の最上部より   パノラマ仕様のデジカメが...欲しい!
 
古墳、何処の古墳に見学に行っても同じ (階段登って...はい! 終わり 後は展示館の有無だけ)

この裏手は、蓮花寺というお寺  (老夫婦が...このお寺、何宗ですかネ? と聞いてきたが...判らないと答えた・・・)

帰り道、和志取(わしとり)神社に参拝してきた。 『ずぼらして 少し遅めの 初詣 私一人で ご利益あるかも』...一応、短歌?
この社の祭神は、五十狭城入彦皇子 そう、古墳の主と言われている人物です。

     左画像:社殿                  右画像:神宮社 その数百m後に古墳が鎮座
 

和志取神社の参考HP
 です。 この社の御紋は【十六菊】皇室の紋章です。
古墳の北側にも和志取神社の名は有るが、御紋は諏訪明神の神紋【立梶の葉】でした。

『ハイ! これで今日の報告は終わり』では ほんの少し寂しいので 思い浮かんだ事をダラダラと・・・

日本武尊・・・私はこの名前より、熊曾建(熊襲=くまそ)を成敗する際、熊曾から貰ったと言う【倭建命】のほうが好きだ。
(関係ないか・・・)
日本武尊・・・逢いたければ・・・伊吹山山頂に行けば立っている (どちらを向いているのかな?)
日本武尊・・・焼津・・・静岡・・草薙・・清水・・草薙の剣・・・熱田神宮・・・伊吹山・・・近い・・・三重県・亀山市で30歳で没
 (私は彼が勇猛すぎて・・・後の成務天皇の擁立派との争いで暗殺された・・・と思っているのだが・・・考えすぎか?)

景行天皇は、80人の父親という事になっているが・・・実在性には疑問の声が多い・・・との事
何せ、137歳まで生きていた事になっているのだから。
織田信長でさえ『人生50年』と言っているのに、その頃の天皇は百歳前後を平気で生きている。
 
また、古事記には【一、后妃と御子】の項 以外は日本武尊の事ばかり8編も書かれているからと実在は?と推測。
然しながら、奈良県・渋谷向山古墳に葬られている事になっている。

朝廷の先兵隊は、すでに近畿地方に入っており、天皇は頭八咫烏(やたからす)の導きにより熊野から・・・
現在は、15代からは大陸からの渡来人、秦氏の協力により近畿に拠点(大和朝廷)を置いたと・・・
その辺りからが史実であろうと言われている。

秦氏は、前秦滅亡(394年)、後秦滅亡の(417年)頃に日本に亡命した とか
 失われたイスラエル10部族のひとつである 等と言われている。
 (鞍馬の)天狗伝説も一緒に渡来・・・
安曇野に住む海洋民族と伝えられる秦氏、
 波多氏、羽田氏、波田氏、秦野氏、波多野氏・・・迫害を逃れるために字を替えたと聞いたが・・・聞き違いか?

日本武尊と言えば・・・「思国歌(くにしのびうた)」
私にとっても北九州は 『倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し美し』 の句 そのものだ。

景行→成務→仲哀天皇(妻:神功皇后(じんぐうこうごう))と続く系図...
親父を含め昔の人は、歴代の天皇の順番を暗記していてスラスラと言っていた。
神功皇后→朝鮮出兵→皇后崎→八幡→帆柱山→我が故郷の地名が・・・→なつかしい!

八幡・・・語源は、「ユダヤ」を意味するヘブル・アラム語の「ヤェフダー」、あるいは、「秦氏の神」の「ヤハ・ハタ」から来ている
 らしい・・・

九州縦貫道を作った際、一杯遺物が出て来たが、調査・報告無用、道路の完成を優先したとか・・・ 
『邪馬台国は、北九州だ!』 と言っても...今はむなしいだけか
神功皇后=卑弥呼 と言う人達もいる。 そうであれば邪馬台国はその時点で九州に在るので、OK! となるのだが
仲哀天皇も福岡・香椎宮で即位なされているのだから 合点がいく。

そうでなければ・・・15代~が・・・近畿の邪馬台国を滅ぼしたことに・・・
景行天皇の母は、日葉酢媛・・魏志・倭人の項が伝える女王卑弥呼の血筋・壱与(イヨ)(トヨとも言うと習った)


初期の天皇の系譜について
興味のある方は、意外と知識のUPになるかも
この200年~300年の倭国び隣国(朝鮮・中国)の歴史は非常に面白い!
曹操が赤壁で大敗
しかし曹操が魏公となり、ヒミコが魏へ朝貢、晋の武帝・司馬炎没晋の混乱、神功皇后 新羅出兵、高句麗王没ete.etc

だいぶ、おまけが長くなった と言うより是が本編になってしまった

蔵書の中の綴じ込み・・・浦島明神縁起絵巻/部分 京都:宇良神社(浦島神社)蔵

コメント
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