なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

既視感と逃げたくなる気持ち

2007-01-08 20:15:41 | スローライフ
「掛川ライススタイルデザインカレッジ2006」を書籍化するにあたり、そろそろ原稿をまとめなければ、と作業を開始した。はじめてみてみると「ホントにできるのだろうか」と不安になった。

まず、12回あるフォーラム(講演会)は、講演会の音声データがすでに原稿になっているので、それを抄録としてまとめる。1時間半の講演で約80枚分(原稿用紙換算)。これを10枚分にまとめる。時間はかかるが講演のポイントをきちんと押さえていれば、あとは講演者の気持ちになってコツコツまとめていくだけだ。

問題はセッションと各アクティビティプログラム。
まず、セッション。講演というよりワークショップやフィールドワークが中心なので、何を、どんなふうに実施し、どんなことが起こり、どんなことが見え、どんな感想を持ったか、そしてこの講座が生活をどのように変えていく可能性があるか、そういったことをまとめあげる必要がある。私的な感想や視点ではなく、あくまでパブリックに。

各アクティビティプログラムも、全6~7回ある講座をどのようにまとめるか非常に難しい。すべての講座に出ているわけではないので、生きた情報をどのように文章にするか、具体的に考えはじめると途方もないような気がしてきた。

といって「ああ~、どうしよう~」と言っていても仕方がないので、とりあえず大変そうなところから手を付けてみる。
まず、セッション。7月に行われた「浜野安宏と歩く―掛川ストリートワークショップ」をまとめてみた。フォーラムやセッションがあるたび「なだれ込み研究所の一日」で詳細を書いてきたし、このセッションに関しては、セッション後に「浜野語録」を自分なりにまとめていたので、それらをつなぎ合わせればなんとかなると思った。
書いて、S藤さんに送った。
「このようなまとめ方、文体でよければ作業を先に進めますが、いかがでしょうか?」
すると、しばらくしてメールが返ってきた。
「客観的に書き過ぎ。これはレポートではない」

このメールを読んで、既視感を感じた。
「これはあの時と同じだ……」
ちょうど2年前、K松さんの本を作ることになり、はじめての原稿がメールで送られてきたときのことだ。
ホームページ上でイキイキと語れていたことが「いざ本!」となったとたん、まるで論文のような文章になっていた。K松さんの文体の美点がすっかり抜け落ち、立派そうだけど、読んでもちっとも面白くない文章だった。

K松さんは苦しんで苦しんで(たぶん)、自分の文体を取り戻した。
それには、今までホームページ上で書いたものをまとめるのではなく、新たに書くという作業が必要だった。エピソードはすでに書いたものを素材とするが、結局その文章を上書きして手直ししようとすると、前の文章に引きずられる。頭の中や心の中に残っていることこそが大事で、それを今書き、必要なデータのみ、前に書いたものから持ってくる、というようにしけければならなかった。
たぶんK松さんは、そういう書き方をしたのだと思う。

あの時と同じ。今度は私が書く番で、立派じゃなくてもその時その時の場面を思い出し、臨場感あふれる読んでいてワクワクするような文章を書かなくてはいけない。パブリックに、でも報告書やレポートのようになってはいけない。ストリーテラーを目指す私なりの美点を入れ込みながら。

それにしても……。
K松さんの本についての打ち合わせは、2年前の1月6日が第1回目。出版は3月25日だった。ということは、実質2ヶ月半で原稿を書いたことになる(毎日メールで1話ずつ送られてきた)。もちろんその間も仕事をし、様々なイベントに顔を出し、飲み会などもたくさんあっただろうし、ホームページ上のブログも更新していた。今思えば驚異的である。

……それを自分ができるのだろうか。でもやるしかない。でも逃げたい。
だからこうやってブログを書いている。

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