人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

日本文学Ⅰ(第4回):『源氏物語』女三の宮と季節

2020-06-05 13:42:15 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

すみません遅くなりました。
第4回をアップします。

はじめに
『源氏物語』は大きく分けて源氏が栄華に到達するまでの第一部、表面上の栄華とはうらはらに登場人物たちが内面に懊悩を抱える第二部、源氏死後の物語を描く第三部に分けられます。源氏は六条院と呼ばれる四季を模した大邸宅を造り、それぞれに女君を住まわせていました。
 ところが、源氏が作りあげた六条院の四季の秩序は、『源氏物語』第二部において、徐々にバランスが崩壊していったことが様々に指摘されます(1)。そこには女三の宮の参入が関わるとされます(2)が、女三の宮自身の言葉にはさほど注目されていません。

 女三の宮は、春の町に住み、柏木によって桜に、源氏によって青柳に譬えられます(3)。それゆえ春のイメージが強いのですが、女三の宮自身の言葉においては、その存在が一貫して春と相容れないものとして表現されます。しかも、当初は春に消えるものとして自己を表現していましたが、出家後は六条院のほうが春の来ない、光のない場所となるのです。

1.女三の宮出家前
 第二部の冒頭で話題になるのが、源氏の兄朱雀院が出家するに際し、鍾愛の娘である女三の宮を誰と結婚させるか、ということでした。太政大臣(かつての頭中将、最終的には致仕大臣)の長男である柏木は女三の宮との結婚を強く望み、源氏の長男夕霧なども候補にあがりましたが、最終的には朱雀院のたっての願いにより、源氏と結婚することになります。

【場面①】源氏は三日間女三の宮方に渡るものの、三日目は紫の上を夢に見てまだ暗いうちに帰ってしまう。その日は一日紫の上のところで過ごし、その夜訪れない言い訳に「けさの雪に心地あやまりて」(体調が悪いので)という文を送る(若菜上、3巻245頁)。その翌朝の源氏と女三の宮とのやり取り。

 中道をへだつるほどはなけれども心みだるゝけさのあは雪
梅につけ給へり。(中略)
 御返り、すこし程経る心地すれば、入り給ひて、女君に花見せたてまつり給ふ。「花と言はば、かくこそ匂はまほしけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」などのたまふ。(中略)。
  はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風にたゞよふ春のあは雪(若菜上、4巻245~246頁)


【口語訳】(源氏)中の道を隔てたというほどではないけれども、淡雪が乱れて降るように、心が乱れる今朝の淡雪である(今日は行きません)。
梅につけてお贈りになる。(中略)
 お返事が少し時間が経つような気がするので、中に入って、女君(紫の上)に花(梅の花)をご覧に入れなさる。「花といえば、このように匂ってほしいものであるよ。(梅の香りを)桜に移したならば、また塵ほども心を分ける方向はないだろう(他の女性に浮気することなどない)」などおっしゃる。(中略)
(女三の宮)(あなたの訪れが)はかなくて上空に消えてしまいそうな、風に漂う春の淡雪(のような自分)である。

 源氏の贈歌は、
・『後撰和歌集』巻第八 冬
   雪の少し降る日、女につかはしける               藤原かげもと
479 かつ消えて空に乱るゝ泡雪は物思ふ人の心なりけり

【口語訳】雪が少し降る日、女に遣った歌               藤原かげもと
479 すぐに消えては空に乱れる淡雪は、もの思う人(である私)の心であるなあ

を引きながら、雪のために訪れないという言い訳を述べるものです。
 女三の宮の返歌は、同じ歌を引きながら、源氏の訪れが儚いために消えてしまいそうだと詠むものです。この歌は乳母の詠んだ歌とも言われます(4)。本人の代わりに乳母や女房が歌を詠むことはよくあることですので、そう考えてもおかしくはないのですが、あくまでも女三の宮の歌として提示されることが重要でしょう。
 常套的には源氏が訪ねてこなかったことを恨む歌です。贈歌では訪れを阻害するものであった雪は、答歌では訪れのはかなさに消えてしまう女三の宮自身の存在に転換されています。筆跡は幼いものの、歌自体には特に不味いところはありません。
 儚く消える淡雪が女三の宮の象徴として機能していることに注意してください。雪は冬であれば消えず積もり、春になると消えます。女三の宮の存在は、春に消えるものに喩えられるのです。もちろん前後の文脈や引歌からすると、雪に喩えることは不自然ではないのですが、繰り返し描かれる梅と雪のうち、梅ではなく雪が選び取られることに注意しましょう。

▽雪=贈歌(源氏)…訪れを阻害する
答歌(女三の宮)…訪れのはかなさに消えてしまう女三の宮自身
▼雪…冬であれば消えず積もり、春になると消える

 さらにこの場面では、乳母の視点によって
 「あけぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし」(夜が明けきる前の薄暗い時間帯の空に、雪が光って見えておぼろである)
という風景が切り取られながら、源氏の
「なごりまでとまれる御匂ひ」(いなくなった後まで残っている御香り)
について、乳母は
「闇はあやなし」(闇は道理に合わない)
とつぶやきます(同、244頁)。ほのかなものであっても光はあるのですが、「闇はあやなし」と言われることに注意してください。
 「闇はあやなし」とは、諸注指摘するように
・『古今和歌集』巻第一・春歌上 
     春の夜、梅の花をよめる                   凡河内躬恒
41 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる

【口語訳】春の夜、梅の花を詠んだ歌                  凡河内躬恒
41 春の夜の闇は道理に合わない。梅の花の色こそ見えないが、香りは隠れるだろうか。

の引歌であり、目には見えなくても香りがはっきりと漂ってくることを喩えたものです。香りだけ残して源氏自身が不在であること、まだ暗いうちに帰ることを咎める気持ちが込められているでしょう。
 女三の宮の結婚は当初から「闇」に彩られているのです。

▼風景…ほのかなものであっても光はある↔「闇はあやなし」
▼女三の宮の結婚は当初から「闇」に彩られる。

 柏木との密通場面でも、はかなく消える女三の宮が詠みこまれています。

【場面②】密通場面。柏木が侵入している間、終始怯えて声を出すことが出来なかった女三の宮は、柏木がようやく出て行こうとしたので少しほっとし、歌を返す。

   おきてゆく空も知られぬあけぐれにいづくの露のかゝる袖なり
 と、引き出でて、愁へきこゆれば、出でなむとするにすこし慰め給ひて、 
   あけぐれの空にうき身は消えななん夢なりけりと見てもやむべく(若菜下、3巻366頁)


【口語訳】(柏木)起きてゆく空(方向)も(暗くて)わからないあけぐれ(夜の明けきる前の時間帯。未明)に、どこの露がかかる袖であろうか(あなたの涙と私の涙とでぐっしょりと濡れている)。
と、(袖を)引き出して、嘆き訴え申し上げたので、出て行こうとすることに少し心が慰められなさって、
(女三の宮)くらい明けぐれの空につらい(私の)身は消えてしまってほしい。夢であったのだと見てすませるように。

 終始怯えて声を出すことが出来なかった女三の宮は、柏木がようやく出て行こうとしたので少しほっとし、歌を詠みます。
 柏木の贈歌は、自分の涙と、女三の宮の涙や汗でぐっしょり濡れた袖を詠み込み、恋の懊悩を表すものです。
 対する女三の宮の答歌では、「あけぐれの空」に消える女三の宮の「うき身」が詠まれています。贈歌「露」の縁から「消ゆ」が導き出されます。「露」は夜間に宿り、朝や昼という光のあたる時刻には消えてしまうものです。自身の「うき身」は、朝になれば消えてしまうものに喩えられているのです。

▽柏木の贈歌…「置き」「起き」の掛詞。「露」「置く」は縁語。
自分の涙と、女三の宮の涙や汗でぐっしょり濡れた袖
恋の懊悩を表す
▽女三の宮歌…「あけぐれの空」に消える女三の宮の「うき身」
贈歌「露」の縁→「消ゆ」
▼「露」は夜間に宿り、朝や昼という光のあたる時刻には消える。
▼女三の宮の「うき身」=朝になれば消えてしまうもの

☆女三の宮出家前の歌四首中三首に「消ゆ」(5)。
 ところで、最初にあげた源氏への返歌にも、ここであげた柏木への返歌にも、「消ゆ」という語があらわれます。贈歌から導き出された表現ではあるのですが。
 実は、女三宮が出家する前の歌四首中三首に、「消ゆ」という語があらわれるのです。
 そこで、「消ゆ」という語があらわれる残り一首も見ておきましょう。

・病中の柏木との贈答。この後女三の宮は妊娠し、密通のことが源氏に知られ、源氏に知られたことを知った柏木は恐れのために病に伏す。病の中でも女三の宮への執着やみがたく、文を贈る。女三の宮は返事したくないのだが、取り次いだ乳母子(乳母の子で、侍女や従者の集団の中で重要な役割を果たす)の小侍従が硯などを準備して返事を強いるため仕方なく返事する。

(柏木の贈歌)
   いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
 あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に迷はむ道の光りにもし侍らん(柏木、4巻6頁)
(女三宮の返歌)
 心ぐるしう聞きながら、いかでかは。たゞ推しはかり。「残らん」とあるは、
  立ち添ひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙くらべに
 おくるべうやは。(同、9頁)
(柏木)行方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ(同、10頁)


【口語訳】(柏木)今は限りといって燃える(火葬の)煙もくすぶって、私の絶えない思いの火が、やはりずっと残るのだろうか。
「あはれ」とだけおっしゃってください。心を静めて、人のせいではない(自分のせいである)死後の闇(無明長夜)に迷う道の明かりにもしましょう。
(女三の宮)心苦しくはうかがいながら、どうしたものか。ただ推測し。「残るだろう」とあるのは、
  立ち並んで消えてしまいたい、つらいことを思い乱れる思いの火の、煙比べに
死に遅れるものだろうか。
(柏木)(火葬されて)行方のない空の煙となったとしても、思うあたり(女三の宮のそば)を立ち離れまい。

 ひたすら死んでも残る執着を詠む柏木に対し、女三の宮は自分の消えたい思いを詠みます。出産後の場面でも、出産の「ついで」に「死なばや」(死にたい)と思う女三の宮が描かれています。二人の思いは全く平行線で、立ち昇る二つの煙が交わらないように、決して交わることがありません。

▽「思ひ」と「火」の掛詞
▽死んでも思いの残る柏木
   ⇅
 消えたい、死にたい女三の宮 
▽贈歌とのかかわりによって導き出されたものではあるが、一貫して「消ゆ」。

2.女三の宮出家後
 ところが出家後には、消えてしまいたいという思いは描かれません。父朱雀院との贈答において「憂き世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ」と詠むように、六条院ではないところに思いのありかを求めてゆきます。

第3回引用箇所
☆出家後の女三の宮のもとに、朱雀院から山菜が贈られる。
 春の野山、霞もたどくしけれど、心ざし深く掘り出でさせて侍るしるしばかりになむ。
   世を別れ入りなむ道はおくるともおなじところを君もたづねよ
 いとかたきわざになむある。
と聞こえ給へるを、涙ぐみて見給ふほどに、おとゞの君渡り給へり。
  (中略)
 憂き世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ
「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所求め給へる、いとうたて心うし」(横笛、4巻49~50頁)


【口語訳】(朱雀院)「春の野山は、霞ではっきりしないけれど、(私の)こころざし深く掘り出させたしるしばかり(お贈りします)。/女三の宮のほうが世を分かれて入る道(出家)は遅れても、「おなじところ(野老/所)つまり同じ極楽を尋ねて下さい。/極楽往生するのは)とても難しいことである」と申し上げなさるのを、(女三の宮が)涙ぐみながらご覧になっていると、源氏がお渡りになる。(中略)
(女三の宮)「「憂き世」ではないところに行きたくて、朱雀院が仏道修行する山路に思いこそ入るのだ」。
(源氏)「(朱雀院が)気がかりそうな様子であるのに、この「あらぬ所」(=六条院ではない場所)をお求めになるのが、とてもひどくつらい」

▽「所/野老」の掛詞
▽「野老」は朱雀院と宮とを結ぶ装置

 ここで朱雀院と女三の宮は、直接対面することは難しくても、一緒に極楽往生し、そこで会いましょうと呼びかけあっています。
 女三の宮は自らの心のありかを、「あらぬところ」、朱雀院とともに仏道修行する山路へと、求めてゆきます。女三の宮における「憂き世にはあらぬところ」は、漠然と「憂き世ではない場所」でしたが、続く源氏の言葉によって、「憂き世」は六条院に限定されてしまいます。

▽女三の宮出家前は女三の宮への思いは、俗世へと残る思いであったが、当該場面では仏道修行や極楽往生と矛盾しないもの。
▽女三の宮歌「あらぬところ」は漠然と憂き世ではない場所であったが、源氏のことばで六条院(源氏の邸宅)ではない場所、の意味に限定。

 ところがこのような六条院空間も、女三の宮の出家による改築によって変容してゆきます。
 持仏開眼供養の準備における、源氏と女三の宮の贈答を見ておきましょう。

【場面③】六条院の蓮の盛りに、出家した女三の宮の持仏(守り本尊として常に身近に置いておく仏像)開眼供養(仏像に魂を入れることになる、開眼の儀式)を行う。その準備をしている場面における、源氏と女三の宮の贈答。

(源氏)蓮葉をおなじ台(うてな)と契りおきて露のわかるゝけふぞかなしき
   と、御硯にさし濡らして、香染めなる御扇に書きつけ給へり。宮、
(女三の宮)へだてなく蓮の宿を契りても君が心やすまじとすらむ (鈴虫、4巻72頁)


【口語訳】(源氏)「一蓮托生を誓ったのに、蓮葉の露が別れるようにあなたが出家して別れる今日が悲しい」
と、御硯に(筆を)浸してぬらし、香染め(黄色をおびた薄紅色)の御扇に書きつけなさった。
 女三の宮、仮に隔てなく一蓮托生を誓ったとしても、あなたの心は澄まず、蓮の宿に住もうとしないでしょう。

▽「露」「置く」は縁語。
▽女三の宮が出家したことによって、一蓮托生を誓うものである夫婦関係は自然に解消。
▽「露のわかるゝ」…魂は別々の蓮に向かう。
▽「住む」「澄む」の掛詞

 女三の宮の扇に、一蓮托生を誓ったのに、露が別れる今日が悲しい、と源氏が書きつけます。女三の宮が出家したことによって、一蓮托生を誓うものである夫婦関係は自然に解消され、「露のわかるゝ」、つまり魂は別々の蓮に向かうことになります。対する女三の宮は、仮に隔てなく一蓮托生を誓ったとしても、あなたの心は澄まず、蓮の宿に住もうとしないでしょう、と返します。
 ここで注意しておきたいのが、女三の宮歌で源氏の心が澄まない、蓮の宿に住まないと言われることです。持仏開眼供養は六条院の「蓮の花の盛りに」(同、70頁)行なわれており、六条院の蓮の盛りは極楽浄土をイメージするものでした。それゆえ、「蓮の宿」は極楽浄土や一蓮托生の蓮であると同時に、蓮咲く六条院を象徴するものでもあるはずです。にもかかわらず、女三の宮歌において源氏の心は「蓮の宿」から排除されてしまうのです。

▽「蓮の宿」…極楽浄土や一蓮托生の蓮であると同時に、蓮咲く六条院を象徴
   ⇅
 女三の宮歌…源氏の心を「蓮の宿」から排除

 鈴虫巻では、出家した女三の宮のために、六条院が改修されます。
※六条院の改修
 秋ごろ、西の渡殿の前、中の塀の東の際を、おしなべて野に造らせたまへり。(中略)
 この野に虫ども放たせ給ひて、 (同、74~75頁)
【口語訳】秋頃、西の渡殿(女三の宮のいる寝殿の西面と、西の対を結ぶ渡り廊下)の前、中の塀の東側の境目を、一面に野の様子に造らせなさった。
▽改修によって空間が変容。野の様子に虫の声、秋の景物。
▽春の町に秋が(6)。

【場面④】源氏は、女三の宮の居室前の野に秋の虫を放たせる。源氏はその鈴虫にことよせて、女三の宮を褒める。「松虫は人里離れたところで鳴くから心の隔てがあるが、鈴虫は心安く現代風なのが可愛い」と源氏は言い、暗に出家はしても六条院から出て行かないよう訴える。それを聞いて、女三の宮は歌を詠む。

(女三の宮)大方の秋をばうしと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声
   と忍びやかにのたまふ。(中略)
(源氏)心もて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
など聞こえ給ひて、琴(きん)の御琴召して、めづらしく弾きたまふ。宮の、御数珠引きおこたり給ひて、御琴になほ心入れ給へり。(鈴虫、4巻76頁)


【口語訳】(女三の宮)「一通りの秋はつらいものだと思い知ったが「鈴虫」の声だけは振り捨てることが難しい」と忍びやかにおっしゃった。(中略、源氏)「自分から草の宿り(である六条院)を厭っても、やはり鈴虫の声=あなたの声は古びることがない」など申し上げなさって、琴の御琴をお取り寄せになって、珍しくお弾きになる。女三の宮は、御数珠を繰る手がたゆみなさって、御琴にやはりまだ執心が残っていらっしゃる。

▽(常套的には)「秋/飽き」の掛詞(7)
▽「ふり」は「鈴」の縁語

 女三の宮の歌は、「大方の秋」はつらいものだと思い知ったが「鈴虫」の声だけは捨てがたいというものです。対する源氏の返歌は、鈴虫にことよせて、女三の宮の声の若々しさを褒めるものです。
 ここでは源氏の弾く琴に「なほ心入れ」る女三の宮が描かれています。「琴(きん)の琴」は琴柱のない7弦の琴で、琴柱がないために弾くのが難しく、『源氏物語』のなかでこれを弾くのは皇族に限られます。
 源氏と一緒に琴の練習をした日々は、ぼんやりとした長い日々の後に続く、柏木事件後の辛い日々という結婚生活のなかで、唯一はっきりとした愉しいものだったのでしょう。
 六条院の試楽(朱雀院の五十賀(五十歳のお祝い)のために、女三の宮が琴(きん)の琴を披露することになり、その予行演習のために六条院の中で女君たちが合奏する)の後には、琴に「ひとへに」「心入れ」る女三の宮の様子も描かれます。

 我に心おく人やあらむともおぼしたらずいといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。「いまは、暇ゆるしてうち休ませ給へかし。ものの師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなり給ひにけり」とて、御琴どもおしやりて大殿籠りぬ。(若菜下、3巻353頁)

【口語訳】(女三の宮は)自分に心の隔てがある人がいるかもしれないともお思いにならずとてもひどく若々しく、ひたすら御琴に執心していらっしゃる。(源氏)「いまは、暇をくださってお休みさせてください。ものの師匠には満足させてこそです。とても苦しかった日ごろの練習の甲斐があって、安心して聴けるほどにおなりになった」といって、御琴などを押しやってお休みになった。

▽源氏が女三の宮を褒めると、女三の宮は喜んで琴の練習をしようとする。
▽「我に心おく人」…紫の上。女三の宮はそのような人がいるとも思い至らない。

 源氏は女三の宮を褒めるのですが、すると女三の宮は喜んで琴の練習をしようとします。「我に心おく人」とは、紫の上を指すのでしょうが、女三の宮はそのような人がいるとも思い至りません。
 しかも、琴に男女関係を重ね合わせる和歌の常套表現があるのですが、ひたすら琴に執心しているのですから琴の上達と源氏との仲を重ね合わせるような発想はありません。源氏は、女三の宮と共に寝るために「御琴ども」を押しやらなければなりませんでした。
 琴と男女関係の重ね合わせは女三の宮の前では破綻してしまうのです。

▽琴と男女関係の重ね合わせが破綻。

 これを参照するならば、【場面④】で女三の宮が執着するのは、文字通り鈴虫だけ、琴だけ、と読むべきであり、そこに世俗への執着が重ねられていると読むべきではないでしょう。

▼【場面④】女三の宮が執着するのは、文字通り鈴虫だけ、琴だけ。
▼男女関係への執着は重ねられていない。

 鈴虫巻では六条院が改築され、春の町のなかに仏道修行する空間や、秋を思わせる野の様子の前栽などが造られます。と同時に、女三の宮も少しずつ、六条院のなかに居場所を見出していったのでしょう。

 最後に女三の宮の言葉の中で季節が表現されるのが、紫の上死後の幻巻の場面です。

【場面⑤】紫の上死後の幻巻。春、源氏が女三の宮方を訪れる。源氏は心穏やかに仏道修行する女三の宮をうらやましいと思う一方で、やはり女三の宮を心の浅いものと軽く見ているため、女三の宮にすら出家が遅れてしまったことを悔しく思う。仏前の花が夕日に映えて美しく、春に心を寄せていた紫の上の不在を嘆く。

「(略)。植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりもにほひ重ねたるこそあはれに侍れ」とのたまふ。御いらへに、「谷には春も」と、何心もなく聞こえ給ふを、言しもこそあれ、心うくも、とおぼさるゝにつけても(幻、4巻194頁)

【口語訳】(源氏)「花を植えた人のない春とも知らないで、いつもよりも美しく咲き誇っている様子が「あはれ」です」とおっしゃる。お返事に、(女三の宮は)「谷には春も」と、他意なく申し上げなさるのを、よりによってそんなことをと、(源氏は)お思いになるにつけても

 花を植えた人のない春とも知らないで、いつもよりも美しく咲き誇っている様子が「あはれ」なものです。源氏は「あはれ」を語り、共感や同情を求めますが、女三の宮は「谷には春も」とそっけなく答えるだけです。
 源氏はがっかりしますが、なぜ自分とは全く異なる相手である女三の宮に、共感や同情を期待できるのかわかりません。
 女三の宮にはすでに、若君(後の薫)が生まれてすぐの場面で、

「かゝるさまの人はもののあはれも知らぬものと聞きしを、ましてもとよりかゝらぬことにて、いかゞは聞こゆべからむ」(柏木、4巻28~29頁)
(出家者は「もののあはれ」も知らないものと聞いていたが、まして私はもともともののあはれを知らないことで、どのように申し上げるべきか)

と言われていたはずです。

 「谷には春も」は、
・『古今和歌集』巻第十八 雑歌下の、
    時なりける人の、にはかに時なくなりて歎くを見て、みづからの歎きもなく喜びもなきことを思ひてよめる 清原深養父
967 光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし


を引歌としています。
 第五句の「物思ひもなし」は、「この世にうらめしく御心乱るゝこともおはせず、のどやかなるまゝに紛れなくおこなひたまひて、一方に思ひ離れ給へる」(幻、4巻193頁)(この世に未練が残って心が乱れるようなこともおありになく、穏やかなままに間違いなく仏道修行なさって、一途にこの世から思いが離れていらっしゃる)女三の宮の様子によく合致しているでしょう。
 仮に女三の宮の意図を推測するとすれば、私はときめいた(寵愛された)ことがないから物思いもないということになるでしょうが、ここでは「谷には春も」の表現に注目します。
 六条院の春の町を舞台として、思う様に花々の咲く、春の風景が描写されるからです。それが春の来ない谷とされるのです。
 女三の宮の言葉は、今いるこの場所から春を排除する機能を持つでしょう。

▽常套的な意味合い…私はときめいた(寵愛された)ことがないから物思いもない
▽「谷には春も」↔六条院の春の町、思う様に花々の咲く、春の風景。
▽春の風景を前にし、六条院の春の町にいながら、自分のいる場所を、光のない、春の来ない谷に喩える。
▼今いるこの場所から春を排除する。

 しかも、直接引用されている部分ではないのですが、深養父歌では「光なき」とも言われています。もちろん深養父歌における「光」は、栄華や天皇の恩寵を象徴的に表すものでした。しかしながら『源氏物語』における「光」は、源氏を象徴するものです。それゆえこの言葉は、今いるこの場所、六条院の春の町から「光」、つまり「光」源氏、そして源氏の「光」性を排除する力を持つのです。

▼『源氏物語』における「光」…源氏
▼女三の宮がいる場所=「光なき谷」
▼六条院の春の町から「光」、つまり「光」源氏、そして源氏の「光」性を排除する

まとめ
 春の町に住みながら、女三の宮は春にあっては存在できず、秋や冬を知るものです。
 結婚当初の歌では消える春の淡雪に自己を喩え、幻巻の引歌では今いるこの場に春が来ないと言われます。しかもこの引歌をたどれば、「光なき」との表現もありました。
 源氏が光にたとえられ、女三の宮参入後も一貫して紫の上が春の女君といわれる、『源氏物語』においては、春は紫の上、光は源氏の象徴です。紫の上死後の幻巻冒頭でも「春の光」は描かれますが、源氏の心中は「くれまど」っていました。また、源氏死後の匂宮巻では源氏のことが「光」と表現され、その不在が語られます。
 春にあっては消えてしまう女三の宮が六条院のなかに居場所を獲得してゆくにつれて、春は排除され、源氏は居場所を失ってゆくのです。

*『源氏物語』、『後撰和歌集』の引用は新日本古典文学大系、『古今和歌集』の引用は新編日本古典文学全集による。なお今回の内容は、拙著『『源氏物語』女三の宮の〈内面〉』(新典社新書、2017年)でも扱っている。
   注
(1)若菜巻の時間については、まず、「繰り返される過去」という視点から論じた清水好子「若菜上・下巻の主題と方法」(『源氏物語の文体と方法』東京大学出版会、1980年、初出1969年)がある。また、「四季が円環をなす神話的な時間秩序を持続すべき六条院を解体する、もっとも根底的なものが、年代記的な時間であった」(高橋亨「源氏物語の〈ことば〉と〈思想〉」『源氏物語の対位法』東京大学出版会、1980年、所収。初出『国語と国文学』1973年12月)とあるように、円環的時間から、源氏の「さかさまに行かぬ年月よ」(若菜下、3巻404頁)に象徴されるような再び戻ることのない直線的な時間に変化したことがつとに指摘されている。
(2)森野正弘「研究史――女三の宮」【研究ガイドライン】(室伏信助監修、上原作和編集『人物で読む源氏物語 女三の宮』勉誠出版、2006年)には、「四人を定員とする六条院は、五人目の女君を迎え入れたことで従来のとおりにシステムを運用することはできなくなるに違いない」とある。
(3)柏木が女三の宮を桜にたとえるのは次の場面。六条院のつれづれなる折、源氏は夕霧や柏木ら若君達を呼んで蹴鞠を催す。夢中になって毬を蹴っていた夕霧と柏木が階(きざはし)の上で一休みしていたとき、走り出してきた猫の綱(当時は綱をつけて飼っていた)が絡まり、御簾が持ち上がる。偶然に女三宮を垣間見してしまった柏木の脳裏に、女三宮の姿が焼き付く。その帰りに柏木が、夕霧に対して詠んだ歌。
   「いかなれば花に木伝ふ鶯の桜をわきてねぐらとはせぬ
  春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆる事ぞかし」
(若菜上、3巻300頁)
また、源氏が女三の宮を青柳にたとえるのは六条院の試楽の場面。
 宮の御方をのぞきたれば、人よりけにちひさくうつくしげにて、たゞ御衣のみある心地す。(中略)、二月のなかの十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむ心地して、鶯の羽風にも乱れぬべく、あえかに見え給ふ。桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかゝりて、柳の糸のさましたり。(若菜下、3巻338頁)
(4)例えば、古注では【岷江入楚】、現代注では新潮【日本古典文学集成】、論文では久保重「朱雀院女三の宮の乳母たち」(『源氏物語の探求』第十五輯、1990年10月)がある。
(5)残りの一首については、柏木事件後に体調の悪い女三の宮を見舞った源氏に対し、引き留めようとして詠んだ「夕露に袖ぬらせとやひぐらしの鳴くを聞くくおきて行くらむ」(若菜下、3巻381頁)(夕露=涙に袖をぬらせと言って、ヒグラシ=私が泣くのをききながら起きていくのだろうか)。【場面②】で引いた柏木歌と「露」「袖」「おきてゆく」が共通する。この頃には柏木が「わりなく思ひあまる時くは」(同、377頁)しのんでくるようになっており、直接訴えたい意図があったわけではないだろうが、柏木への嫌悪や恐怖、そこから助けてほしいという気持ちが無意識のうちにあらわれたものと言える。
(6)「秋好中宮が不在であるがゆえに、春の町の一部を秋の野にして、秋好中宮の存在を呼び起こしている」(倉田実『六条院の改修』『源氏物語の視界四 六条院の〈内〉と〈外〉』)。ほかに、馬場婦久子「源氏物語「六条院』の変容」(『中古文学』昭和54年4月→『源氏物語の視界四 六条院の〈内〉と〈外〉』新典社、平成9年)、注6前掲論文、岩原真代「『源氏物語』の「しつらひ」―「鈴虫」巻・女三の宮の住環境をめぐって―」(國學院大學国文学会『日本文学論究』2001年3月)など。なお、平安時代の鈴虫が今の松虫、平安時代の松虫が今の鈴虫、という説が江戸時代にあり、今西祐一郎「鈴虫はなんと鳴いたか」(新日本古典文学大系『源氏物語四』岩波書店、1996年)で詳しく整理されているように、平安時代に鈴虫の声は「チンチロリン」系、松虫の声は「リンリン」系で聞きなされていたとある。
(7)表現上「飽き」の意味も発生し、そのことに意味はあるのだが、そのような意味とは齟齬する女三宮の心内も同時に描かれており、その両方に意味があるだろう。なお、『紫式部集』には、夫の夜離(よが)れを恨んだ贈答の中に
    また、同じすぢ、九月、月あかき夜
85 おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも

というものがある。ここでは秋に飽きがかけられており、飽きられた悲しみは「うし」とは対照的に「あはれ」と表現されている。

第3回
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