人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

日文協大会(2012年)印象記。

2013-04-11 21:34:00 | 学会レポ
 日本文学協会第67回大会(第二日目)の記事が、『日本文学』4月号に出ました。
 大会テーマは「書物とリテラシー」、パネリストは小峯和明氏、木元氏、松浦寿輝氏。
 私が書いた印象記「紙の皮膚、書物の身体」も載ってます。

 まず訂正とお詫びから。

 1行目、大会テーマ(誤)「書物のリテラシー」→(正)「書物とリテラシー」
 38頁下段2行目、4行目、11行目(誤)高木→(正)木

 大変申し訳ございません。とりわけ木氏には、失礼致しました。お詫び申し上げます。
 なぜこれに気づかないんだ私…。猛省しております。

 いくつか、字数などの関係から書ききれなかったことを。
・前提として確認しておきたいのだが、基礎学としての文献学が軽視される傾向にあったというのが事実であるとすれば、
1.(質問用紙にも書いたことだが)ものとしての書物に対する愛着はフェティシズムであり、フェティシズムを抑圧したところに近代学問としての文学研究が成立した点、
2.物としての書物にアクセスすることができる人間が限られるため、公平性を確保することが難しい点
に原因があると考えられる。
 とはいえ、松浦も言うように抑圧しなければならないほどの書物愛が根底になければ文学研究は困難となるだろうし、近代学問としての国文学成立以来のたゆまぬ努力によって、二点目の問題もかなり軽減されたといえる。

・グローバルなネオリベラリズム化による学問環境の変容に関して。
 「書物とリテラシー」というテーマから、図書館のことなどにも当然言及があったのですが、図書館はいろいろな学問分野の人が共通して利用する場所であって、学問の足場を組み直すためにも重要な機能を果たすだろうと思います。
 今は、競争で、限られた学問分野、大学だけが勝ち残ることができる状況なのだろうと思うのですが、それだと学問にとって一番重要な多様性が確保できないし、勝ち残った大学や学問分野も、まるで別物に変えられてしまう…ような結果になりかねない。それを回避するために、多様性を確保すること、多様な学問分野が共有できるような足場をつくること、は重要だと思います。
 例えば司書課程における情報系科目の追加も情報工学の生存戦略としてあるのであって、ともに学問環境の足場を組みなおすことができなければ、チキンレースの果てに自分で自分の首を絞める結果になりかねない。何度でも繰り返し言いたいのですが、これから就職する大学院生やオーバードクターにとって、これは「生存」の問題に他ならない。

 松浦さん、この日は犬の散歩があるということで、懇親会にも参加されなかったのですが、
 ブログなどを拝見しておりますと、わんこちゃんは現在、鼻腔癌で治療中のこと。
 犬の病気の場合、治療方針なども本人が決めてくださいというわけにはいかないので、飼い主が決めるしかなく、いろいろ悩むことも多いかと思います。あまり無理をしない程度で…と思うのですが。治療、うまくゆくことを祈っております。

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