人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

若い女性だからといって舐めるんじゃない!

2020-05-12 23:21:25 | 日記
…って、私の話じゃありません、もちろん。
 私はもう若くないですしね、さすがに私のことをなめてかかる猛者はそんなに多くないです。きゃりーぱみゅぱみゅさんの件です。

 歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんが、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグでツイートを投稿したところ、「歌手やってて、知らないかも知れないけど」という前置きで「文化人放送局」を名乗るアカウントからマンスプレイニング(「男性が女性を見下ろす感じで説明すること」『現代用語の基礎知識』2019)を受けたり、「政治的なこと」について意見を公にすることに関して、「がっかりした」「イメージが崩れる」「やらないほうがいいですよ」などのコメントがあり、結果として「ファン同士がけんかするのが悲しい」という本人の説明つきでツイートが削除されることになりました。

 この、「歌手だから」(芸能人だから)「政治的なこと」については意見を表明しないほうがいいですよ、というの、「漫画家だから」とか「作家だから」とか、いろんなバリエーションがあって、いったいどんな人間であれば、「政治的な」意見を表明してもよいのか、と思ってしまいます。
「政治的なこと」というのは、何も特別なことではありません。
「個人的なことは政治的なこと」というのは第二派フェミニズムのスローガンですが、逆に言えば、どんなに個人的なことも、日常生活も、政治と地続きでつながっています。
 例えば私は大学院を出て学位をとった研究者ですけれども、私自身がまともに生きていけるかどうか、そして研究を続けていけるかどうかということは、国の文教政策や科学技術政策と密接に結びついています。そして私のような研究者という特定の人間だけではなく、今回の新型コロナウィルスによる感染症の流行に関しては、より多くの方たちが、自分たちの生存や生活が政治と直結しているという状況に、対面せざるを得なかったと思います。
 そういう、自分自身の生活や利害と密接にかかわっているものが「政治」ですので、政治的なことについて意見を公にすることはごく普通のことであるはずですし、逆に全く意見を表明しないというのは、一個人としての責任を健全に果たしていないようにも思えます。

 そしてもう一つ、若い女性が政治的(なり何なり、古い価値観で「女性にふさわしくない」と言われる領域のことについて)意見を表明すると、すぐにマンスプレイニングを受けるという問題があります。
 きゃりーぱみゅぱみゅさんは、例えばこういう記事「きゃりーぱみゅぱみゅは、なぜ今変わる? 世間へのプチ反逆を語る」(『CINRA.NET』2018年10月5日)を見ても、きちんと自分で考え、自分のことばでものを語ろうとしている人のように思えます。衣装も歌詞もエッジのきいた感じで、「ただのかわいいアイドル」という雰囲気じゃない。もちろんどんな女性でも(いわゆる「かわいいアイドル」という感じの女性でも)、マンスプレイニングを受けていいわけはない(受けているのを見るとむかつく)のですが、これだけ頑張っててエッジィな感じにしてても、若い女性でぱっと見なんか可愛ければ、おっさんになめてかかられるというのは絶望しかない、どんな頑張りも意味がないのか、という感じがしてしまいます。

 こういうかたちで、一人の女性が自分なりに発信したはずの「ことば」が消されてしまったことが、なかったことにされてしまったことが、本当に悔しいです。
 悔しいです。




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