人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

炎上サントリーCMの問題点

2017-07-16 22:20:15 | 日記
こんばんは。
新しいお仕事が始まって約二週間、まだ全然分からない状態ですが、とりあえず、毎日何を着て行ってもいい自由(前の職場は厳しかったんです)を謳歌して、開放感を味わっています。ワンピが基本☆の自分に戻れて嬉しい。
ただ、なかなか朝型生活に馴れることができないので、体はちょっとしんどいです。毎日暑いですし。

なかなか『スウィング…』レビューの続きを書けなくてごめんなさい。
近日中に更新します。
今日はもうちょっと気楽に書けるネタで…。

ということで、少し前に大炎上してた、サントリーのビール「頂」のCMについて。

1.王の国見あるいは貴種流離と接待文化
簡単にどういうCMなのか説明しましょう。
基本の型は、視点人物(男)が、様々な場所に出張に出かけ、その土地土地で美味しいものを食べ、ちょっとかわいい女の子と仲良くなり、その女の子と「さし」で飲みあって、最後に男の持っていたビール「頂」を女の子が飲んで、幸せの「絶頂」に達する、というもの。
男は映像も声も一切出てきません。視聴者が男の視点に移入する…、ことが目論まれているものと思われる。
話題になって初めてショートバージョンを見たときに、これはないなあ…、と思いました、私。

いくつかの記事(→例えば、「サントリーのビールCM炎上の舞台裏 電通社員「炎上を狙うことがある」」)で指摘されていたような、「お酒飲みながらしゃぶるのがうみゃあ」「肉汁いっぱい出ちゃった」「コックゥ~ン!しちゃった」などのセリフが卑猥だと思ったわけではありません(それよりは「二週間前に彼氏にフラれて」とか「えー、一流企業」とかのほうがよっぽど不愉快だな)。それを言うならばそもそもがものを食べるということは性愛の隠喩です。

それでは何が「ない」と思ったのか。
端的にいえば、ものすごく女の子たちの行動が、「接待」臭いんです。それに加えて、男が出張で各地をまわるという設定。
これ、何か連想しませんか??
日本で高度経済成長期からバブル期くらいまででしょうか(私は1980年生まれなのでリアルには知りませんが)、盛んだった、接待文化みたいだなあ、と思うわけです。中央省庁のお役人や、本社の社員が地方に行って接待を受けるという。
もうちょっと抽象的なお話をすれば、貴種流離譚において、流離した王子がその土地土地の女性と結婚するという話型があります。あるいは、古代「采女」という官職があったのですが、これは各地から献上され、天皇に近侍して食事などのお世話をする女官で、中央から地方への支配を象徴するものとされるんですよね。
ちなみに古代の酒は、乙女たちが口の中で米などを噛んで醸造したものと言われています。
ただ言うまでもなく、「頂」のCMで想定されている男は、王や王子ではありません。ただのくたびれた勤め人であっても、中央で勤めてさえいれば、地方に行けば「えー、一流企業」とか言って女の子がせっせと接待してくれる…、なんて、冗談言っちゃいけません。そういうのはお金払ってやってもらえ。

2.オリエンタリズムと女性の周縁化
そういうわけで、中央と地方との格差を強調することで、男性が女性の接待を受け、おいしい思いをするという構造を私は不愉快に思ったわけです。
そう考えると、女の子たちが(うさんくさい?)方言を話すことも、見逃せません。中央のことばではない、その土地土地のことばで話す女の子たち。そういえば女の子たちの顔も、美人と言えば美人なのですが、女優さんやモデルさんのようなシャープな顔立ちではなく、ちょっと垢抜けない雰囲気を演出しようという意図が透けて見えます。
ここには、いくつかの格差の構造が仕組まれています。中央と地方。男と女。都市と自然。その劣位の側に、周縁の側に、主体としての自分が見る、客体として見られる側に、女性を置く発想が、問題なのです。
私のこういう見方は、たぶんかなり古風なものです。研究史的な流行で言えば相当古い。けれどもそういう古い発想で見た構造に、ぴたりと当てはまってしまうところが、何ともやり切れないわけです。

ところで、「頂」CMの炎上をきっかけに、往年のサントリー名作CMをいろいろ紹介してた人がいましたけど、これなんか、中年男性の夢や妄想と言えば妄想ですけど、「えー、一流企業」なんて言う女の子より、「だからいつか泣かせてみようと思って」って言う女の子のほうが、絶対可愛いよなあ、と思います、です。


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