人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

これまでの研究について

2013-02-28 21:00:57 | 研究の話

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『源氏物語』の主要な登場人物の一人である女三の宮は、研究史の中で、その存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの、内面を語らない、人形のような女君であると言われます。
 ですが、女三の宮の心内語や心情に添った描写、会話文など、女三の宮視点、女三の宮主体のことばは少なくありません。そこで、研究史上で女三の宮の「内面」が描かれないとされた理由について考察した上で、女三の宮のことばを総合的に捉え、『源氏物語』中に果たす機能を明らかにすることを試みたのが、博士論文の骨子です。
そのために、
1.近代的な「内面」観という視座から、研究史の整理を行った上で、
2.女三の宮の心内語・会話文・和歌等を、抽出・整理し、
(1)一貫する特徴
(2)時系列による変化
(3)表現上の効果
について考察し、『源氏物語』全体における意味づけを行いました。

1.について。「『源氏物語』女三宮のことば」(『日本文学』2008年12月号)
近代的な内面は、以下のような条件が指摘されます(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社、1980年等)。
(1)ことば(表層)と、内面(深層)が分離され、ことば(表層)は内面(深層)を表現するものとされる。内面(深層)が先にあって、内面(深層)に真実があるという観念を伴う。
(2)それぞれの時間・空間における自己の意識がツリー状に整理され、統一的に説明する〈私〉が構築される。
(3)自己の人生が顧みられ、過去現在未来と続く直線的な時間によって物語化・歴史化される。
源氏や紫の上の述懐は、このような条件に適っており、女三の宮のことばは当てはまりません。女三宮のことばは短く断片的であり、一筋なものです。源氏が前提とする、季節と女君の重ね合わせ、和歌の常套である琴と男女関係の重ね合わせなどの象徴性を理解しないため、象徴性を破壊する発言を「何心なく」発してしまいます。
『源氏物語』研究における近代的な内面観の限界が浮き彫りとなった。但し私は、『源氏物語』を書かれた時代に戻して読むべきであるとする立場には立ちません。上記のような構造を持つものを「近代的内面」と呼ぶならば、現在既に「近代的内面」を持たない人も多いでしょう。

2.について。「『源氏物語』女三宮の自己意識」(『日本文学』2009年9月号)
 女三の宮は結婚当初、思ったことを思ったまま口にしており、自己意識もありません。柏木事件後に「身」「我」の意識があらわれますが、それは憂き身を嘆くネガティヴなものであり、出家後穏やかな状態を獲得すると消えます。藤壺や紫の上の物語では、男女関係の苦しみが男女関係や子への愛情を深化させます。一方で女三の宮の物語は、男女関係からの離脱し、共に仏道修行することによって、父親との精神的な結びつきを取り戻す過程を描きます。

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