人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

メモ:イメージ、表象、書物

2013-06-17 12:34:41 | 研究の話
 研究計画のようなものです。今後10年くらいの…。
 自分のためのメモなので、とくに公表する必要はないんですが、ブログに残しておくと、ちゃんと振り返ると思うので。

 私の読みの特色として、小説の中に出てくるイメージの連環を読み解く、というのがあります。このブログに公表してるものだと、「病の金貨」と題したシリーズに顕著だし、論文として書いたものだと、一番最初に発表した、「『源氏物語』の「おなじところ」と「同じ蓮」」(『古代文学研究 第二次』14号、2005年10月)とか、「女三宮と季節―六条院の空間と時間」(『古代文学研究 第二次』17号、2008年10月)とか、「生殖の拒絶―『それから』における花のイメージ」(『名古屋大学 国語国文学』2009年11月)とかね。一応通ってはいるけどまだ掲載号が未定な、『道化師の蝶』に関するちょっとした文章(研究ノートのようなもの)でも、そういう読み方をしました。たぶん、私が小説を読むときの、一番ベーシックな態度なんだと思う。

 先生には、「イメジャリー論的な」手法と評されたんですが、実は私、イメジャリー論はよく分かりません。イメジャリー論に限らず、詩論全般弱い(というか、詩が読めない)。
 どこかに書いたような気がするのですが、『薔薇のイコノロジー』と『薔薇の名前』と『虚無への供物』をほぼ同時期に読んだり、ボリス・ヴィアンをまとめて読んだりしたらそうなった。バシュラール的な炎と水の発想は好きだけど、ユング的な、原初的なイメージに還元してゆくところが気に食わない、とか言ってたらボリス・ヴィアンも同じようなこと言ってるんですよね。
 たぶん、「イコノロジー」的な発想の影響は受けていると思われる。で、イコノロジーの教科書的な本でも、イメジャリーについて一章が割かれている(W.J.T.ミッチェル『イコノロジー イメージ・テクスト・イデオロギー』)ので、たぶんイコノロジーとイメジャリー論には関係があるのだと思われます。

 …というような感じで、自分の読みの手法に関する、理論的な位置づけができてない。今後、「病の金貨」を論文なり単行本なりでかたちにしてゆきたいのであれば、読みの理論的な附置を固めることが、たぶん必要になってくると思います。で、必要なことをピックアップしてみました。

1,炎と水のイメージとか。錬金術とか。
 ①詩論を読む。ヴァレリーとか、マラルメとか。
 ②バシュラール的なイメージ、イメジャリー論とイコノロジーとの関係を把握。
 ③ブランショとか。現代の文学理論。
 『砂男』にも『心臓抜き』にも山尾悠子『仮面物語』にも自動人形が出てくるので、「自動人形」の表象についても考えておく必要があるかな。私がいまずっと考えてる、球体関節人形的なものとつながってくる部分もあると思うけど、違う部分もあると思うので。「自動筆記」とかと、関係あるのかな?
 「病の金貨」という題は、『黒の過程』の読みで、「恥と後悔」の対価として支払われる「金貨」に重要な意味を見出したから。錬金術的なモチーフもある小説なので、「金」は重要なんだと思うんですが、それが「金貨」なんですよね。貨幣とは何かについても考えたいところ。

2,エクリチュールとか、書物とか。
 「エクリチュール」というと、日本では圧倒的にフランス現代思想の影響が強いと思うのですが、どういうわけか私がエクリチュールや書物について気になるのは、ドイツ文学(からの翻訳)なんですよね。
 トーマス・ベルンハルト『消去』とか、ペーター・ハントケ『反復』、W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ』など。
 たぶん私の発想に一番近く、影響も受けてるのが原克『書物の図像学』かな。
 これに関しては、みんな大好きベンヤミンをちゃんと読めばいいんでしょうか。あとは、図書館や読書、書物に関する歴史やメディア論を押さえればよい。どういうわけか私、メディア論的な本が苦手ですぐ眠くなってしまうので、ちょっと頑張らなくちゃいけないです。

3,「山」のイメージ
 これはあんまり大きくないテーマですが。
 『源氏物語』の宇治十帖に関しても「山」が重要な意味を持つ(恋と道心)し、ベルンハルトの『ウィトゲンシュタインの甥』の冒頭で、非常に上手に「山」のイメージを使ってたんですよね。精神病と肺病のサナトリウム。『魔の山』的な(笑)。正確に言えば、『ウィトゲンシュタインの甥』はサナトリウムではないですが。山のこっち側とあっち側で、語り手と主人公とが、一方は肺病のために死にかけて、一方は精神的な危機のために死にかけてる。
 いつか書いてみたいテーマです。

 私の発想は比較文学的ではなく(語学がまったくダメだし)、あくまでも日本(語)文学研究者だと思っているので、日本(語)文学として考察するんだ、ということについてどこかで固めておく必要もある。

 勉強しなきゃいけないこと、いっぱいあるなあ…。

 あ、こんな本を読めばいいよとか、アドヴァイスがある方は、ツイッター上ででもご教示いただければありがたいです。



最新の画像もっと見る