人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

鴎外の動物虐待。

2013-05-07 20:47:21 | 書評の試み
 森茉莉の論文は、何とか書き上がりそう。査読があるので通るかどうか分からないし、まだ構成や文章の流れにスムーズじゃない部分があるけど、良い論文になりそうです。

 今日は論文に入れられないことで、ちょっと触れておきたいことがったので、書いておきます。

 森茉莉に、「犬たち」というエッセイがあるのですが。全集だと、3巻に入ってるかな、『記憶の絵』に入ってるエッセイ。
 これが、かなりひどいのです、何がひどいって、鴎外が。つまり鴎外が、子犬を地面にたたきつけた、というエピソードが語られている。私引用するのも心が痛むので引用しないんですが、子犬と一口に言ってもいろいろなんで、どのくらいの大きさの子犬かにもよるんですけど、これは助からんだろう…、という感じで。
 茉莉は、あまりにびっくりしたからその後どうなったかは覚えていない、と書いています。
 これ、笙野頼子は大好きなパッパのためなら、忘れてしまう、とか書いてますけど(『幽界森娘異聞』)、私は必ずしもそうじゃないと思うんですよね。だって、むごい結末を推測させるには、「覚えていない」で充分ですもん。子犬が無事だったら、「覚えていない」なんて書くわけない。
 茉莉は、父親を告発してるんだと思う。聖人面した父親の、残酷な一面を。いちばん弱い存在にストレスのはけ口が向かう、「偉きな」とはとても言いがたい、父親の一面を。
 すごい、ショックだったと思うよ。一瞬のことで反応できなかったにしても、ひょっとしたらこうしていれば、助けられたかもしれない…、とか、絶対思うはず。しかもそれ、自分の父親が危害を加えてるわけで。たぶんすぐには告発できないと思うのですが、だって、告発しても子犬の命は戻ってこないから。それでもそれだけ長い間経って、不意に外面に現れるほど、心の傷は残っていたんだと思う。

 茉莉から父への思いって、書かれているものはやはりフィクションで、ほんとはそんなに、大好き、ってわけでもなかったのかもな、と思います。わだかまりは結構あったと思う。

 ともかく、鴎外ひどいです。



ろこちゃん。ろこちゃんはいつでも熟睡してて、帽子を被せられても、ごらんのとおり。

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